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清院本清明上河図

宋時代の張沢端が描いた首都、開封の春の祭り、清明フェスティバルの絵、写清明上河図(せいめいじょうか ず)のモチーフは後世の多くの画家によって描かれた。台北の故宮博物館を訪問した時、展示されている絵巻物( 35.6cm x 1152.8cm)は清朝朝の乾隆年間(1736-1795)に5人の宮廷画家によって模写された絵巻物である。石橋とジャン ク船が係留されている部分を紹介した。フルバテンの帆は降ろしている。マストは1本の小型船であるが、明時代の鄭和が乗って世界に 航海した宝船は3本マスト以上の隔壁を持つ8,000トンの大型船であったとされる。

北京の紫禁城(故宮)の宝物は蒋介石がほとんど持ってきてしまったと 言われる。1931年9月の関東軍の柳条湖事件後の1933年戦火の拡大を避けて故宮文物は木箱に詰められ北京から南京に移された。1937年7月廬溝橋 事件後、重慶郊外に移される。抗日戦が終わると南京に帰り、65万点が軍艦で台北に渡る。残りは北京に帰る。

張沢端が描いたオリジナルは神品と評され北 京故宮博物館にある。2012/1/2より24まで上野の東京国立博物館で開催される「北京故宮博物館200選の最大の展 示物がこれである。両者を比較すると全体の構図は似ているが細部はかなり違う。

 Rev. December 16, 2011


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