読書録

シリアル番号 982

書名

日本は没落する

著者

榊原英資

出版社

朝日新聞社

ジャンル

経済学

発行日

2007/12/30第1刷

2008/2/28第5刷

購入日

2008/9/16

評価

 

鍋倉高原でのNEWフォーラム 日本農業とグローバリゼーションの討議をして帰るとそこに出席していた友人のK.から「ここ数日の間に読んだ本の中では「日本は没落する」が、なかなか腑に落ちるところ大でした」とメールをもらった。

榊原英資は元大蔵省審議官。

ネットで書評を見るとロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」程評価は高くはなく、常識の線を出ないとか官僚擁護があるとかの批判があるが、要領よくまとまっていて入門書としていいのではないかということのようだ。

とあるネットの書評は「著者の考えはグローバル化、自由化やむなし。現在日本は財政破綻、マスコミ、教育、医療、年金、企業競争力の低下など問題山積だが対策は採られていない。知識社会の到来により大量生産大量消費の「規模の経済」は終焉したと言われるが、日本が「知識社会」に入れずもたもたしている間にインド、中国が先を行ってしまいそうだと主張している」と紹介している。

藤沢の書店に出かけたが売り切れであった。人気のようだ。しかし榊原英資氏自身がたっぷりと日本の官僚社会に浸っていたので日本を救う大切な方策に気がついていないおそれもある。ここは米国の識者であるロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」やフランスの識者ジャック・アタリの「21世紀の歴史」の見識を知った上で読めば榊原英資氏の限界、ひいては我々日本社会の限界に気がつくつくかもしれないと思ってこれらの本を先に読むことにした。山木会参加のため東京に出たとき丸善書店本店で購入してようやく読んだ。現状認識は全く同感。

「小泉時代に反中路線を強行したのは時代に逆行。阿倍政権が内向きのナショナリズムを前面に打ち出したことは間違い」との指摘は同感。「企業が先進国マーケットしか眼中になかったのは現状認識が甘い」との指摘は新鮮だった。

著者は「サブプライム問題は日本のバブルは借り手が土地を担保にレバレッジした土地バブルだったのにたいし、米国のサブプライムは貸し手も証券化等でレバレッジした金融バブルだったことでより性質が悪い。結果として超流動化現象が生じ、為替取引に占める貿易(実需)の割合はいまやわずか2%に過ぎない」と書いている。その懸念通り1年後まさに大崩壊が生じた。

著者はまた「よく金融立国という言葉があるが、日本の雇用者の比率は金融保険業3%、製造業14%、医療福祉16%、教育6%で金融で国を維持することはドダイ無理。技術・知識に立つ実体経済が大切。米国が1990年代に一人勝ちしたのは決して金融ではなく、シリコンバレーの知的集約にあった。サムスンは一人が10万人を養うとして世界のプロを呼び込んでいるが日本は仲間内で慰めあっているだけだ。中国の指導層は工科大学の清華大学の出身者である。しかるに日本は文系が跋扈し理系の生涯所得が文系より5000万円すくないため、1990年代に工学部志願者は半分に下がってしまった。国の富を増やすのは理系だというのにである。

1993年の細川内閣のあと自民政権が復活するが、1997年の第二次橋本内閣で消費税率の5%への引き上げ、行政改革など諸改革をしたとき、金融危機が発生した。そのとき、政治家達は苦し紛れに失政への批判の矛先を官僚の失敗に振り向けた。その中心に野中広務がいた。以後政と官の協力は崩れたという。そして「天下り規制」が出来たため民から官への人材の供給が途絶えた。米国ではリボルビング・ドアといわれるくらいトップから局長クラスの官民の交流が活発であるにもかかわらずである。志が低く、能力が低く弱い人が公務につくと社会保険庁のように害が大きい。天下り規制は撤廃すべきである。

対策としては女性と老人の復権が大切。日本には定年退職という制度が定着しているがアメリカでは60年代に「雇用における年齢差別禁止法」が制定されて雇用の際に性と年齢による差別が禁止され、80年代には年齢制限による強制退職が禁止されている。

教育では人事と権限を教授会から学長にシフトし教員職員免許法を撤廃して「社会人」を教員に。混合診療を解禁し、アジア通貨基金を設立し、移民受け入れをする」など沢山の提案がなされていてまっとうな提案と感じた。

サブプライム問題に関するCNNのTV討論を聞いているとレバレッジの倍率が30倍となっていたようだ。国民の税金で救済するということになったのだから倍率を法で規制することが必要だろうと論じていた。

私は米国のエンジニアリング会社で米英のエンジニアに混じって働いたとき、Bechtelのロートルエンジニアが60才を過ぎても働いているのを不思議に思ったことがある。米国に「雇用における年齢差別禁止法」があることは知らなかった。若者にその席を譲り、彼らが働いた金を年金として受け取ればよいと考えていたが、年齢構成が不均衡になればこの制度も立ち行かなくなる。年齢差別禁止法と年金制度改革はパッケージにしなければならないだろう。

著者は「石油開発公団を解散したこととはエネルギー確保からみて由々しきこと」としているが資源国が権利を主張するようになってからメジャーも力を失っているわけで、たとえ石油公団を残したとしても税金を無駄に使うだけでなにもできないだろうと思う。私は現役時代、公団の無駄な金の使いかたを業者側からみて腹立たしく思ったものである。原子力にかんしては著者は「リスクと利得を真正面から討議できない不幸な歴史」をなげいている。これに関してはまったく同感。

著者は政の官たたきを始めた野中広務氏は高卒だとか中傷し、かなりの不快感をもっているようだが、これも偏見というものだろう。著者の品格を落としている。私は野中広務氏とは面識がないが1999年に野中広務氏の出身地園部町を訪問し、野中広務氏の弟にあたる町長と会ったことがあるが、なかなかの人物であった。

政と官の協力が崩れたのは私はむしろ好ましく思う。官はあくまで公僕だからだ。 代わりに優れた人が政治家になればよい。いままでは日本の政治家のレベルが低すぎるため、官におんぶにだっことならざるをえなかった。政治は本来、他人の生き方に大きく影響を与える厳粛な職業だ。緊張感をもって勉強し、ブレーンで固め、つねに政策を蓄積していなければならないのだ。こうすれば国を導くのは有能な官僚ではなく、有能な政治家というすっきりとした体制ができる。こうして代表制(議会制)が正常に作動するだろう。

ジャック・ランシエールの「民主主義への憎悪」にモンテスキューは代表制(議会制)と民主主義を峻別していると書いている。代表制とは貴族政ないし寡頭政の一種で選挙によって選ばれた有能なエリートが支配する体制である。しかし民主主義の本質は、アテネでそうであったように。くじ引きにある。町内会のアレである。デモクラシーとはデモス(民衆)、 「とるにたらない」、「誰でもよい者」が統治する体制なのである。プラトンはこの衆愚制を憎悪した。しかし民主主義とはこれまで公的な領域から排除され、「言葉をもたない」とされてきた者らが、「不合意」を唱え、異議を申し立てる出来事を意味するのだ。

友人のKは裁判員制度で「とるにたらない人」に裁かれるよりプロの裁判官に裁かれることのほうがいいといったが、私はプロの裁判官はかなりバイアスのかかった人たちが多いと思っている。一審は「とるにたらない人」に裁かれ、不満なら上級審でプロに判断してもらうことで良いと思う。

1990年大蔵事務次官をつとめ、1996年まで公正取引委員会委員長、1998年に旧開銀総裁を勤めていたK氏が2001年亡くなったとき、残された妻が「私の夫は橋本首相に殺されたようなものだ」と言った。どういうことか分からなかったが、当時、官と周辺天下り団体の統合でもみくちゃにされた事情を物語るものであろうか。 お気の毒だが、死ぬのがいやなら辞職すればいいことで、うらんでも仕方ない。ただ著者が指摘するように官民の交流を阻害するというのであれば天下り規制は修正が必要だろう。

さて本書を手に入れる前に予感した榊原英資氏自身がたっぷりと日本社会に浸っているので日本を救う方策に気がついていないおそれがあるのではという危惧についてはどうか。

ロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」に提案された「企業は法的擬制であり人でない法人資格を剥奪すべきである。税金は人間だけが支払うべきである。法人税は撤廃する。代わりに配当を受け取った個人が所得税として支払う」という論理明晰な提案がない。これはいずれ米国発の制度として日本に押し寄せるであろう。

ジャック・アタリの「21世紀の歴史」の「日本は国を開いての超ノマドの受け入れを拒否してきたから、1980年代に世界の中心都市となることに失敗した。今後もそのチャンスはないだろう」というきびしい指摘は「移民受け入れをする」との提案に見られるごとく榊原英資氏も十分認識しているようだ。

オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストロームの「ヒトデはクモよりなぜ強い」の「中央集権よりも、権力分散が強い。昔のヨーロッパみたいに、いろんな貴族(リーダー)が、いつでも次の君主(トップ)になれる準備をしている組織は強い」ということを榊原英資氏は十分認識していないようだ。氏がかって録を食んだ中央集権国家のノスタルジーから逃れられないようだ。 ここが著者の限界だろう。

Rev. September 23, 2008


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