読書録

シリアル番号 978

書名

聖職の碑(いしぶみ)

著者

新田次郎

出版社

講談社

ジャンル

小説

発行日

1976/3/24第1刷
1977/4/20第12刷

購入日

2008/9/6

評価

コンチャンの蔵書

彼が奥さん連れで木曽駒ケ岳に登ったことが契機となって未読の本書を紐解いて以下のようにメールしてきた。

「大正2年8月の木曽駒ヶ岳、伊那の中箕輪尋常高等小学校の学校登山で多くの生徒が遭難死した史実を題材としています。突然の台風に遭遇し、山頂直下で野営のあとつぎつぎと倒れ、校長をはじめ11名の犠牲者をだした惨状が、生々しく迫力ある筆で語られており、一気に読み通しました。

おなじ作者の『八甲田山死の・・・』同様の緊迫感もさることながら、当時の学校登山の詳細、あるいは大正期の信濃教育会に台頭していた志賀直哉ら白樺派人道主義の実態、さらには往時の伊那谷の様子がよくわかり、興味津々たるものがあります。

つい先日歩いた馬ノ背、駒飼ノ池、濃ヶ池あたりが舞台となっているのも興味深いところです。もうちょっと歩けば記念碑があったようです」

そこで彼から借りて読み始めた。まず取材記から読む。いきなり白樺派がでてきたり、なぜ碑が立ったかなど、疑問をもって取材したことを記してあるが回答は書いてない。いよいよ読まねばならないことになる。

三部構成で一章は文部省の教育方針に疑問を持つ若い教師達が白樺派の影響を受けながら理想教育に傾倒して行く様、それに理解をしめしながら危うさを感じる校長、そして理想教育に傾倒している若き教師の恋愛と旧弊な社会との軋轢などが背景として描かれる。

二部は登山そのものの詳細な描写だ。そもそも現在の千畳敷から登るルートはなかったわけで、当時は学校からすべて歩いて将棊頭山経由で登っていた。遭難の原因は当時の脆弱な気象予報と事前調査しなかったため、毎年使っていた伊那小屋が破壊されていることを知らなかったためである。伊那小屋は宝剣と中岳の中間の今の天狗荘近くにあったと思われる。現地について伊那小屋が壊れていることを知ったとき、手は二つあった。そのまま引き返すか、さらに先にある木曽小屋に行くことである。木曽小屋に行かなかった判断に新田次郎は疑問を感じるが、現地調査して中岳を越えて疲れた子供達をつれてそこにゆくことは無理だったと判断する。そのまま引き返せば全員助かったかもしれないと思うが新田次郎は検討もしない。当時は今我々が持っているライトもないし、疲労しているしでそれも無理だろう。結局、校長は壊れた小屋を直して、屋根に蓑を載せてそこに仮泊することを選ぶ。妥当な判断なのだろう。しかし応急処理した小屋は雨漏りはする。床は水が溜まっているわでそこで子供が一人衰弱死してしまう。 一夜明けて恐怖にかられた青年達が子供一人を死なせて権威を失った校長の制止を聞かずに嵐の中、我勝ちに小屋の屋根に乗せてあった蓑を奪って下山してしまう。小屋はもはや小屋ではない。やむを得ず校長以下2人の先生は残された蓑もない子供達をつれて下山に向かう。そしてここで校長以下大勢の子供達が死ぬのである。読み 続けることが出来ないほど、心を揺さぶられる。しかし毛のスエーターを着ていた子は助かるのである。また岩陰に座って強風をさけた先生と子供も助かるのである。その他の人は校長も含め、強風の吹く尾根道で体温を奪われて死ぬのである。

そして三部は遭難後の対応である。若き教師は遭難の責任と将来への絶望から恋人と心中。残務を仕切り、記念碑を建てることを教育委員会に提言した、若き教師も結核に倒れて死ぬのである。現在では将棊頭山に伊那市西駒山荘を建て学校登山は継続されている。


トップ ページヘ