読書録

シリアル番号 725

書名

スカートの風 チマパラム

著者

呉善花(おそんふぁ)

出版社

角川文庫

ジャンル

文化論

発行日

1997/2/25初版
2000/5/25第7版

購入日

2005/12/3

評価

角川文庫、鎌倉図書館蔵

S.K.が本書を読んでいた。題名に記憶があったので読書録を検索すると10年以上も前に読んだのは本書の続編であった。祖国の恨(はん)の文化論が説得力があったので鎌倉図書館で取り寄せてもらって読んだ。

彼女が指摘する日本と韓国の価値観の差はかの国を知り、おのれを知るための格好の資料を提供している。

李朝朝鮮519年のくびきは大変なもののようだ。日本が韓国より早く近代国家に変身できたのも儒教を指導原理とした江戸時代が265年と短かったことも幸いだったのだろうと思う。日本にも士農工商という階級制度があったが、地主は士ではなく農であった。士は西洋のノブレスオブリージに匹敵する武士道という強い倫理観を持っていた。韓国の場合は両班(ヤンバン)と庶民(サムノン)の2階級に別れていた。しかし地主階級は両班であり、個人的に豊かな生活をすることが庶民によって尊敬されていた。古代韓国には日本の巫女のような歴史を持つキーセンという風習があった。日本の額田王のような存在だったのだろう。李朝朝鮮の庶民は美貌の女児が生まれると娘をキーセンにして、あわよくばヤンバンの妾とし、庶民階級からの脱出を計った歴史がある。これが日本のビジネスマンを喜ばせたキーセン・パーティーの歴史的背景だったという。そういえばグリーンウッド氏は何度か韓国に出張したが一度もそのような機会はなかった。かなりハイレベルなサイエンスやエンジニアリングのコンサルティング、国際技術会議の企画のために出かけたのだが、いかんせん、ビジネスの交渉・契約のためではなかった。韓国ではサイエンスやエンジニアリングは両班のやることではないという。庶民の担当なのだ。それでも韓国の産業は驚異的に発展したが、日本の停年技術者が協力したためという見方もある。階級制はリーダーに倫理があるかぎり平等主義より優れている。だた李朝の両班や最近の日本のようにリーダーが倫理感覚を喪失したときには、その集団の機能は低下してゆくということがわかる。日韓今後はどうなるのだろう。

初めてチマパラム(スカートの風)が何を意味するか知った。有閑マダムがホストクラブで遊びほうけることをチマパラム(というのだそうだ。私の奉職したエンジニアリング企業は1970-1980年代にだぶつくオイルマネーを還流すべくアラブ諸国で石油精製・石油化学工場を建てまくり、韓国企業に現場労務者派遣を依頼していた。我々日本人は一つの現場に数十人程度しか駐在しなかったが、韓国人の現場監督以下、労務者は数千人のオーダーであった。これらの人が単身赴任で稼ぎまくった金が韓国産業発展の原資となったのだろうと思っていたが、チマパラムの風の原資にもなっていたようだ。

あと複雑な敬語を持つ日本語が日本人の思考を支配しているという指摘も藤原雅彦の「国家の品格」や養老孟司氏の「バカの壁」ならぬ「思い込みの壁」にあるという指摘とも一致する。


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