読書録

シリアル番号 1076

書名

なぜ科学を語ってすれ違うのか

著者

ジェームス・ロバート・ブラウン

出版社

みすず書房

ジャンル

サイエンス

発行日

2010/11/19

購入日

2011/2/23

評価

原題:Who Rules in Science? An Opinionated Guide To The Wars by James Robert Brown

社会構成主義批判がこの本のテーマであるようだが、社会構成主義とは一体何なのだか分からない。wikiで調べると「社会構築主義(社会的構築主義、社会 構成主義、social constructionism or social constructivism)とは、現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感 情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場である。これはヘーゲルの理論を基礎にして、デュルケームに よって発展され、ピーター・L・バーガーとトーマス・ルックマンによる1966年の著書『現実の社会的構成』によりアメリカで有名になった。シュッツ、 バーガー、ルックマンらの現象学的社会学、ハロルド・ガーフィンケルらのエスノメソドロジー、グラムシのヘゲモニー論やフーコーの権力理論などに想を受け た最近の社会学流派のことを一括してこう呼ぶ」とある。

著者は社会構成主義者は科学者をいらだたせ、科学者は「社会構成主義者」をアテナイの神殿に落書きをする無教養なペリシテ人であり、野蛮なヴァンダル人と まで言う。問題は政治的なことで社会正義のための戦いにおいて科学を拒否するのは間違いと言う。 著者は「社会構成主義者」と「ウィーン楽団」を峻別して「ウィーン楽団」をソーカル、チョムスキー、グールド、ルウォンティンとならぶ、正統的科学観を支 持し、政治的左派であると認定している。しかし私はすでにリチャード・ド−キンスが 「ブラインド・ウォッチメーカー」でジェイ・グールドの「区切り平衡説」をコテンパーに論破する のを読み、その後の古生物学の進歩もみてグールドを無条件に評価するものではない。ルウォンティンはグールドの同僚で共著で 「サンマルコ大聖堂のスパンドレルとパングロス風パラダイム:適応主義者のプログラムの批判」(Proc. R. Soc. Lond. B 205, 581-598, 1979) という進化生物学の有名な論文を書いている。この論文は適応主義万能の考えを徹底的に批判したもので、この世界は可能な限りの最善な状態にあると言い張る 善良なパングロス博士(ヴォルテールのカンディードに出てくる)の論理の批判である。

そして著者は1960年代に書かれたC・P・スノーの「二つの文化と科学革命」を紹介している。スノーのいう二つの文化とは理系の文化と文系の文化のこと である。スノーは文系の文化は伝統文化にすぎず、凡庸な人たちの文化として貶めている。文 系官僚と文系マネジメントが日本を滅ぼすという一文で2年間に渡り私が書いてきたことは、すでにC・P・スノー(Charles Percy Snow)の「二つの文化と科学革命」("The two cultures and a second look")で書き尽くされているとおもう。茅誠司は文系大学不要論を唱えたと森永先生が指摘し、我が見解に賛同して くださったが、すでに1960年代の英国に語られていた のだ。ヨーロッパの文系学部はもう時代遅れの学科に成り下がったのだろう。英国の凋落をみれば分かる。スノーだって英国人だ。日本はこれを追っている。不 幸なことはこの事実は理系の視点からは明らかであるが文系からは見えていない。または認識できないということだろう。たとえば経済学や社会学は面白いが実 用にはならないことが分かっている。経済学は実験ができないのだから理系的にコンピュータ上でシミュレーションして実験しなければ実用にならないだろう。 物理出身の千葉工業大学の荻林成章教授が始めた、エージェント・ベース・モデルを使った日本経済シミュレーションが最近の政府の経済失政の原因をするどく 暴いたように文系主体の経済学を駆逐するのが期待される。

最近朝日の記者が最先端医療の現場を白い巨頭的見地から「臨床試験中のがん治療ワクチン」報道をして医療関係者から総スカンを食った。文系的視点では本質 を見誤るという典型的な例だろう。

政治は技術で直せる、し かし技術は政治では直せない」のだ。文系が振り回す、法体系、哲学、経済学に理系が擦り寄るのではなく 、理系の法体系、哲学、経済学を打ち立てなければならないのだろう。法体系なんて政治勢力が権力行使のためのよりどころにすぎない。その様は山口進、宮地 ゆう著「最高裁の暗闘 少数意見が時代を切り開く」を読めば分かる。

反省材料としては丸山茂徳東京工業大学教授は「温暖化が先で二酸化炭素濃度は結果である」と指摘し、京都プロトコルは人類史最大の知的汚点と言っている。 これも誰が科学を支配しているか を知る典型的なモデルであろう。

日本で漫然と継続している核融合、高速増殖炉もだれが科学を支配しているかの典型的なモデルとなるが、根岸教授がカップリング反応でノーベル賞受賞したこ とを利用して日本の化学者たち120名が大勢徒党を組んで二酸化炭素の資源化を図ろうというテーマで文部省の研究費をせしめようとしているとCSP騒動の 本質を見抜いて動じなかった東京工業大の久保田名誉教授が歎いている。これも「誰が科学を支配するのか」の興味ある命題だ。太陽エネルギーを使って二酸化 炭素を固定しようというのだが、そんなことしなくとも、太陽光からアンモニア合成すれば済むこと。どうして分からないのだろうか?


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