読書録

シリアル番号 1048

書名

源氏物語の時代 一条天皇と后たち

著者

山本淳子

出版社

朝日新聞社

ジャンル

歴史

発行日

2007/4/25第1刷

購入日

2010/4/21

評価

鎌倉図書館蔵

源氏物語の舞台となった一条天皇の頃の歴史解説

一条天皇の一代前の天皇は花山(かざん)天皇であるというところから引き込まれた。花山天皇といえば西国巡礼の創始者である。 一条天皇の時代は藤原氏がその権勢を最高度に発揮した時代で、自分の権勢のために一帝二后の先例を開いた。一条天皇はこれにより、愛情問題に悩むことになる。

一条天皇の后である定子(ていし)、その女房の清少納言、一条天皇の3番目の后である彰子(しょうし)、その女房の紫式部。

紫式部は源氏物語を書くに当たり、桐壺帝の心理的モデルとして一条天皇を、桐壺更衣のモデルとして薄命の定子をモデルにしたと著者は考える。一条が愛と政治の間で苦悩するのを彰子の女房として傍で観察していた紫式部は、自らつぐむ虚構の中に一条が悩んだであろう心の様を描きこんだのである。 その虚構とは桐壺帝と更衣、光源氏と紫の上、そして宇治十帖の薫と宇治の大君の物語である。

一条天皇は叡哲欽明であったらしい。そして年上の后である定子は清少納言に御簾を上げさせるために白楽天の有名な七言律詩の「香炉峰の雪は・・・」となぞかけて御簾を上げさえたり、「琵琶行」の一場面の主人公を演じてみせる知的な女であった。一条の心は定子にあった 。しかし定子の兄伊周が花山法王暗殺未遂を起こす。一条は天皇としてけじめを示すために伊周を大宰府に流すことを決めると定子は剃髪して出家意してしまう。一条はこれを環俗させて一子を儲けさせる。これが敦康親王(あつやす しんのう)である。しかし定子はやがて死んでしまう。 遺書に

よもすがら契りしことを忘れずは 恋ひん涙の色ぞゆかしき   定子

煙とも雲ともならぬ身なりとも 草葉の露をそれと眺めよ   定子

三番目の后、彰子は幼い。やがて紫式部に漢文を教えてくれと頼む。式部は「白氏文集」のなかからこともあろうに白楽天(白居易)が天子に民の苦しみと心を知ってもらうために作ったというメッセージ詩集「新学府」を選ぶ。「長恨歌」「琵琶行」「新楽府」が代表作とはいえ、白楽天が玄宗皇帝と楊貴妃のロマンを詠んだ「長恨歌」のようなロマンチックなものではない。理由は一条が「新楽府」を好んだかららしい。2年に渡り 、辛抱強く学んだ。「新学府」が一条の知の世界につながっていると考えたからだ。唐代になってからできた学府を「新楽府」とよんだ。

彰子は長子を生んだ直後に思い立ち、紫式部に源氏物語の新しい章を製本させて一条帝への土産とするのである。

一条は敦康親王に譲位したいと望んだが、道長の意向をおもんぱかって失意のうちに死ぬ。看取った彰子にささやいた辞世の歌は

露の身の風の宿りに君を置きて 塵を出でぬることぞ悲しき   一条

しかし一条と定子に仕えた藤原行成はこの歌のお志は定子皇后に寄せたものだと権記に書き記している。

父道長のいうがままにすなおに従って一条と定子の間の子、敦康親王を養子として育てた彰子はしかし、一条の死から一変する。 一条との生活で鍛えられた彼女は人が変わったように強い人格となり、父に敦康親王を東宮に立てなかったとクレームし、事毎に反旗を翻すに至る。 しかし道長は応じない。彼女は87才まで生きて一条との間に儲けた2人の子が、後一条天皇、後朱雀天皇になるのを見届けると共に、天皇にはなれなかった敦康親王(光源氏に相当)が残した娘を後朱雀天皇の后に入れて、定子の血を残すのである。

しかし一条、定子、道長に仕えた藤原行成はなんと有能な官吏なのだろう。これも一条や道長が環境を作ったためとも思える。そして権記という日記を残している。

彰子の父、道長は1007年に彰子に子が授かるようにと御嶽詣(吉野の金峯山登山)をしている。

Rev. May 6, 2010


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