秩父札所『午歳総開帳』巡礼記

秩父34ヶ所観音霊場を気の向くまま、のんびりと歩きます。
午歳は観音様を開帳するので、にぎやかさのなかでの巡礼となります。
一巡すれば100キロとなりますが、時間的な制約もあり交通機関も利用しますが
風光明媚な巡礼道に身をまかせて・・・

第4回目(6月29日・土)

弟の奥さんのお母さんが亡くなり、通夜・告別式に参列するために帰ってきた。
5年も実家にいる母親を一生懸命に看護した。「大変だったね・ご苦労様」と声をかけてやる。
なんかスッキリした顔をしている。ホッとしているようだし心置きなく看取ってやったのだから・・
浦山の奥深いところで、山仕事してきたという。浦山ダムに引っかからなかったが、その時に
合わせて、長男夫婦とともに下界の荒川村に越してきた。
野辺送りするためにお墓に行った。浦山ダムを見ながら20分ぐらいにお墓はあった。
深い山に囲まれ下は川が流れ、家はもうつぶれそうになっていた。
代々林業で生活を営んできた。自然に囲まれたなかでの生活を懐かしむように、この櫻はきれ
いだった。この川で水遊びをしたよって義妹は話してくれた。
山は手入れされていて清清しい。時々猿の群れが鳴いている。
お葬式も終わった次の日、供養のために歩こうと思い、秩父市内にある札所を巡った。
市内には7ヶ所ある。家から一番近い18番から19番・17番・16番・14番・13番・15番と効
率的に。

18番(神門寺・ごうどうじ)へは我が家から10分も歩けば着く、ただ国道沿いで車の往来が激
しい。こじんまりした境内にある観音堂はどっしりとした落ち着いた趣がある。
札所の中には無住職のところがいくつかあり、近くの人々が守っている。
納経所のなかに小さな売店をもち、交代でお堂を管理している。

  

19番(龍石寺)へは、国道を渡り秩父鉄道の踏み切りを渡り道なりに下っていくと母校の中学校に
行き当たる。
グランド狭しと野球部・サッカー部と隣はテニス部と元気溌剌と動き回っている。
バレー部は、体育館なのだろう。我々の時は体育館もなく、グランドで動き回っていた。
それを見ながら19番を目指して歩いた。この辺も結構家が建ち変わってしまった。
ここのお堂は、大きな岩盤の上に建てられている。この岩盤は昔海だった頃に出来た堆積岩だそう
だ。
秩父地方は化石が多く見られ、子供の頃、夏休みに特に多く見ることが出来る吉田町の赤平川に
化石狩り?に行った。
お堂の横に三途婆堂がある、三途の川辺で死者の衣服を剥ぎ取る奪衣婆だという。そこに幼児の
人形が置かれていた。
何か異様な感情が迫ってくるが、この人形が置かれていたことによって三途婆が可愛いおばあさん
に見えてくる、不思議なことだ。
出入り口には道しるべの石碑がポツンと置かれている、この石碑には元禄16年(1703年)と刻ま
れている。この石碑を撫ぜながら「いつまでもこの世が平安でありますように」と祈った。
ここから市中に向かって17番へ足を進める。

 
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