秩父札所『午歳総開帳』巡礼記

秩父34ヶ所観音霊場を気の向くまま、のんびりと歩きます。
午歳は観音様を開帳するので、にぎやかさのなかでの巡礼となります。
一巡すれば100キロとなりますが、時間的な制約もあり交通機関も利用しますが
風光明媚な巡礼道に身をまかせて・・・

第3回目(5月4日・土)

7番から8番へは、初夏の陽射しと武甲山を眺めながら歩く。
武甲山の名は、日本武尊が東征のときこの山に武具・甲冑を納めたことから生まれた。
秩父地方は、昔織物が盛んであった。秩父銘仙といわれ、古くから絹が作られていたが、
絹の一大産地になったのは、江戸時代になって、絹の奨励策により
大絹市が開かれ、秩父の織物は、秩父銘仙として全国的に有名になった。
特に独特の縞模様が人気を博したといわれる。
その蚕の餌となる桑畑が、子供の頃は多かった。そして蚕部屋が二階に作られ、どこの
農家の家も大きく立派だ。また、小麦も多く生産されていた。
この織物に関して秩父には二つの大きな歴史的なことがある。
1つは、日本三大曳き山祭りとして、京都の祇園祭りと高山の祭りと秩父夜祭りである。
絢爛豪華の屋台は織物によって財産を成し作られた。
12月3日は、人口の3倍以上の人が見物に訪れる。夜空に打上げられる花火は、特に
夏と違って綺麗だ。
もう1つは、1884年(明治17年)に起こった秩父事件だ。
この事件については、23番札所に関係するのでそこで書くことにしたい。

ゴールデンウィークのさなかで人出も多く、イチゴ狩りや横瀬川の魚とりで観光客が多く
賑っている。

 

 
 

のんびりと旧巡礼道をたどり新鮮な空気を吸いながら30分ぐらい歩くと、8番(西善寺)に着く。
山門をくぐると、コミネモミジの大木が迎えてくれる。樹齢はおよそ600年、樹高9メートル、幹
回り2.9メートルと県指定の天然記念物である。
それを大石の階段で廻り、境内そのものが石庭に見まごうもので身を引き締めてくれる。