秩父34ヶ所観音霊場を気の向くまま、のんびりと歩きます。
午歳は観音様を開帳するので、にぎやかさのなかでの巡礼となります。
一巡すれば100キロとなりますが、時間的な制約もあり交通機関も利用しますが
風光明媚な巡礼道に身をまかせて・・・
第1回目(3月10日・日)
五番(長興寺・通称語歌堂)へは比較的近い距離にあり、お寺という感じはしない。ポツンと観音堂あるだ
けで、お寺は反対側の奥にある。
5番からは、6・7・8・9番を飛ばして10番に向かう。一日のコースとしてはこのようになってしまう。
『中学時代は、バレーボールをやった。地方大会を勝ち抜いて常に県大会へ出場していたが、我々
の時は同級生の部員が3名しかいなく大変だった。我々が3年生の時伝統の県大会への出場が
止まり、先輩達に怒られたしまった。
その同級生A君とは親友として今日まで続いている。A君は僕の従姉妹と結婚した。
A君は大変な努力家で、家庭の事情も苦しく新聞配達し家庭を支えながら、学年でトップ級の成
績を納め、県内有数の進学校へ下宿しながら通い、1年浪人してT大に入った。
A君は、忙しい身ながら彼岸なりお正月に我が家に寄って、仏壇にお線香を手向けてくれている。
お互い、社会人になってからはゆっくりと話をすることなく、元気な顔を眺めているだけである。
エリートはエリートなりの、ボンクラはボンクラなりの苦労を抱えて今日まできたが。
そのうち、ゆっくりと昔話ができる時を待つしかない。』
10番(大慈寺)はこじんまりとしたお寺であるが、風格のある禅寺であり。石段と山門がなぜかホ
ッとなごませる。
11番(常楽寺)は、秩父市街の入り口にある。のぞかな田園風景から一転町らしい風景を望めるところにある。
秩父盆地といわれるだけに、遠くには山々が望まれる。その下は秩父セメントの本社工場である。
今は、合併に次ぐ合併で太平洋セメントとなり、この工場は廃業してしまっている。
『小学5年生から、学区変更により新設の小学校(南小)に変わり、その小学校帰りにここを通って山に入り、粘
土採掘場と父が畑を借りていたところを見ながら山を下りて社宅に帰ったものである。
道草をするには、最高のローケーションであった。』
懐かしさの中でのお参りである。