秩父34ヶ所観音霊場を気の向くまま、のんびりと歩きます。
午歳は観音様を開帳するので、にぎやかさのなかでの巡礼となります。
一巡すれば100キロとなりますが、時間的な制約もあり交通機関も利用しますが
風光明媚な巡礼道に身をまかせて・・・
第1回目(3月10日・日)
今年は、啓蟄と春一番が一緒にきた。まさに初春?まっ盛りの巡礼道である。
12年に一度、午歳に秘仏としてのご本尊さまのお厨子の扉が開かれ、観音さまの慈顔を拝すると
同時に、右手に結ばれたお手綱が、本堂の前に立てられた五輪塔より下げられ、握ることで観音さ
まのお手に触れられたことにより心の安らぎを求められると云われており、由来は馬が観音様の眷
属(けんぞく)であることから、また秩父観音霊場の創建が文暦元年(1234年)甲午「きのえうま」
歳と伝えられているところから総開帳したとも云われている。
三番(常泉寺)は向かいの山の麓にあり、本坊へは一面田んぼでのどかな参道を歩いた。その脇の
小高い丘に観音堂があります。
ここでは、観音さまが近くで拝めました。ついデジカメを向けて撮りました。
ご開帳の厨子の観音さまから五輪塔へ手綱が結ばれて一体となっている
ここから、秩父鉱泉の一つである山田温泉の静かなただずまいのなかを歩いた。灯台下暮しとよく云われ
るようで、近くに居ても泊まったことはない。ちよっとした橋の手前に民話の看板があった。
秩父地方にはいろんな民話がたくさんある。
『私は、終戦4日前に生を受けた。(昭和20年8月11日)秩父セメントの社宅で高校まで生活した。このこ
ろの生活環境はいいほうだったのか?社宅生活は子供の数も多く暗くなるまで遊びボケていた。
群れをなし、いつしかグループ化して何事も競争していた。そして縄張りも出来て、グループでの勢力争い
や、遊びでの競争もあった。陣取り合戦・ビー球のあてっこ・三角ベース野球などなど、親が呼びに来るま
で遊んだ。
小学校2年生の時、マラソンごっこでは頑張りすぎて風邪をひいてしまいそれが元で結核?になってしまい、
1ヶ月ほど休んでしまった。そのころ良く効く注射(ストレプトマイシン・カナマイシン)で治療したため軽度の
難聴になってしまった。
難聴のため、ちょっとしたいじめにもあったが、どうにか友達にも恵まれ楽しい中学・高校生活が出来た。』
小さな渓谷にたたずむ温泉郷