白鳥の湖第2幕白鳥達の踊り第7曲
                             2003年8月11日〜18日 JTB関西
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  3:サンクトペテルブルク その1
 8月15日(金)到着時、小雨 その後曇り

 朝7時30分モスクワ駅に着く。小雨が降っている。ガイドの小柄なオリガさんがホ−ムで迎えてくれる。汽車では洗顔が出来ないだろうとの事で駅近くのモスクワホテルに寄る。両替1ドル=29ル−ブル。午後の予定であったエカテリ−ナ宮殿が午前中になり、一路プ−シキン市(ツァ−ルスコエ・セロ)にある宮殿に。凱旋門を横に見て、広いモスクワ大通りを。市役所の前にレ−ニン像。次には円く囲まれた中にオベリスクがソ連兵士の群像が建つ戦勝記念碑。1941年秋より900日レニングラ−ド(当時の名前)はナチ・ドイツ軍の包囲網に囲まれ飢餓と酷寒を耐え抜き80万の戦死者と64万人の餓死者を出した。やがて広い林の中に宮殿が見える。バスを降りると楽隊のお迎え(1ドルを帽子に)。宮殿の入り口でも君が代の演奏で。
 ビニ−ルの靴袋をかぶせて宮殿の部屋に入るが滑りそうになる。
 
 エカテリ−ナ宮殿

 階段の間、金箔とガラスで彩られた広い大広間(舞踏の間。光太夫がこの部屋でエカテr−ナ2世に拝謁し帰国の許可を得た)、寝室、将軍の間、煌びやかな琥珀の間(2003年に一般公開。宮殿の目玉で1770年2世によって作られたが、ドイツ軍が撤退時にソックリ取り外しその後、行方不明になった。古い写真を頼りに今回復元された)、絵画の間等を見る。
 
 宮殿は建都300年を期して修復復元されており、全体の印象として晴れ晴れした感じ。宮殿の庭園から宮殿聖堂などを写真に撮り、庭園の散策をする。
 
 午後からはサンクトペテルブルク市内の観光
 
 サンウトペテルブルクは18世紀初頭、強国スウェ−デンとの戦争を戦いながら、西欧化のためヨ−ロッパ向かって開く窓としてこのネヴァかわの泥湿地の三角州に多くの人々の犠牲の上に建設された。『北のパリ』、『ロシアの頭脳』(モスクワは『ロシアの心臓』)ともいわれる。1713年からソ連革命までロシアの首都。

 スモ−リヌイ寺院の代替になったニオライ聖堂を下車入場観光。マリインスキ−劇場、イサク広場写真下車(ニコライ1世の馬上像、イサク聖堂。)、デカブリスト広場写真下車(青銅の騎士像。広場には結婚したカップルが仲間達とにぎやかに盛り上げていた)、旧海軍省、夏の庭園、ピョ−トル大帝が好んだ最初の小さな宮殿、巡洋艦オ−ロラ写真下車(日露戦争時の日本海海戦に参加。1917年10月革命の始まりを合図して冬宮に発砲した)、色鮮やかな9つのねぎ坊主の塔のキリスト復活聖堂写真下車入場せず(1881年に農奴制を廃止したアレクサンドル2世が暗殺され、その治世を記念して建築された)、芸術広場写真下車(プ−シキン像、ロシア美術館など)、キリスト復活聖堂写真下車など。

 その後、ネヴァ川のクル−ズ

 われわれのガイドのオリガさんの説明で約1時間。どんよりとした曇り空で雲も色濃くたれている。オリガさんの説明では典型的なサンクトペテルブルクの気候ですとの事。

 シュミット橋、ブカレスト広場、イサク聖堂、旧海軍省、宮殿橋、ヴァシリエフィスキ−岬、ロストラの灯台柱、旧取引所、エルミタ−ジュ美術館、ペトロパヴロフスク要塞、トロイツキ−橋、夏庭園、リティニィ橋、レ−ニン広場、フインランド駅 など。

 ホテルはヴァシリ−エフスキ−島の部屋が1200もある巨大なホテルのプリバルチ−スカヤ。ヴァイキングの夕食。
 
モスクワ駅 エカテリ−ナ宮殿 琥珀の間 エカテリ−ナ宮殿聖堂
モスクワ駅 エカテリ−ナ宮殿 エカテリ−ナ宮殿琥珀の間 エカテリ−ナ宮殿聖堂
エカテリ−ナ宮殿 池 ニコライ聖堂 青銅の騎士 イサク聖堂
エカテリ-ナ宮殿の庭園 ニコライ聖堂 青銅の騎士像 イサク聖堂
イサク聖堂 キリスト復活聖堂 プ−シイン ペトロパ−ヴロスキ−要塞
イサク聖堂 キリスト復活聖堂 プ−シキン像(芸術広場) ペトロパ−ヴロスキ−要塞
旧海軍省 エルミタ−ジュ美術館 エリミタ−ジュ美術館 ネフスキ−大通り
旧海軍省 エルミタ−ジュ美術館 エルミタ−ジュ美術館 ネフスキ−大通り