2003年8月11日〜18日 JTB関西 |
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1: モスクワ |
2003年8月のお盆休みを利用して建都300年のロシア・サンクトペテルブルクとその周辺を巡るパック旅行があり、それに参加した。10年くらい前にはTVなどで、民情不安定などが言われており、今回は珍しく海外旅行障害保険を掛けた。 8月11日午後2時に2時間遅れのアエロフロ−トSU-548。10時間のフライトでモスクワに着く。A-310は184人乗りの飛行機であり、途中揺れることもあった。モスクワ・シェレメチェヴォU空港の入国手続きは事務的ではあるが、空いている列に誘導するサ−ビスも見られた。入出国カ−ドを機内で記載するが、カ−ドにはロシアの旅行社の記載が必要で(Tumlareと)ある。このカ−ドは日本再入国まで絶対に必要。外気温17度。オスタンキノ・テレビセンタ−の近くで宇宙征服モニュメントの隣にあるコスモスホテルは多数の国の観光客で混雑していた。なお、ロシアではホテルにパスポ−トを預けなければならない。両替にはドルがよく、1ドルが29ル−ブルであった。 8月12日(火) 雨 のち曇り モスクワ市内観光 朝から雨が降っていた。赤の広場は理由は不明だが立ち入ることが出来ず、広場に面したグム百科店の前から写真を撮る。9本のねぎ坊主の聖ワシリ−聖堂は16世紀ポストニクとパルマの設計であるが、その美しさゆえにイワン大帝により2人は目をくりぬかれている。レ−ニン廟を遠くに見る。 グム百科店で30分位過ごした後にトロイツカヤ塔からクレムリン内に入る。入口のクタフイァ塔での民警による荷物のチェックは厳しい。教会・武器庫各々カメラ・ビデオ50ル−ブル。武器庫はビデオ不許可。 大砲の皇帝、鐘の皇帝、寺院広場(十二使徒聖堂・ウスペンスキ−大聖堂・プラゴヴェツシェンスキ−聖堂・イワン大帝の鐘楼・アルハンゲリスキ−聖堂)、武器庫。 クレムリンとはもともと城塞を意味しており、時の支配者がその居城として権力の拡大を図ってきた場所である。モスクワのクレムリンは1156年ドルゴル−キ−公の木造の城塞がその嚆矢である。現在のクレムリンの城壁は一周2,235km、壁の厚さ3.5m〜6.5m、そして19の塔が建てられている。 現地ガイドのタチアナさんのイアフォン・ガイド(SONY製、関空で支給)でウスペンスキ−大聖堂・武器庫に入場し案内を受けた。大聖堂(14世紀)はウラジ−ミルのウスペンスキ−聖堂を模して作られ、かってはロシア正教の大聖堂で壁面には多数のイコンがある。 武器庫は個人と団体(時間制)の入口は別になっている。武器庫には鎧・甲、織物、金銀細工、王冠・王笏、宮廷馬車などのロシア帝国の歴史そのものが展示されている。ダイアモンド庫には別途料金になっており、時間の都合上入らなかった。 武器庫の7つのホ−ル:1:鎧甲 2:金銀細工 3:宝石 4:シルク、ベルベットなどの織物 5:諸外国の金銀細工 6:歴代の皇帝の王冠と笏 7:宮廷馬車 クレムリンのガイド本を売人より10ドルを7ドルで購入。武器庫のVHSを館内で購入(250ル−ブル)。 その後、市内の名所をバスの中から観光。広大なモスクワ大学の構内を通り、モスクワで一番高所のヴァラビョ−ヴィ丘でモスクワ市内を展望。スキ−のジャンプ台、モスクワオリンピックのメイン会場、屈曲したモスクワ川など。広場ではマトリュウシカ、細密ガラス細工、細密画、琥珀などが屋台で売られているが、まがい物が多いとの事。 ノヴォデヴィッチ修道院の前の白鳥の池の前で写真ストップ。白鳥の池(白鳥はいない)越しに写真を撮る。16世紀の初め創立された修道院で、多くのロシアの貴族や皇女がこの修道院に幽閉された歴史がある。近くのみやげ物店でウォツカ、キャビヤの試食。 よる9時過ぎにホテルに。コスモスホテルは1980年のモスクワオリンピックに向けて建築された26階建ての巨大なホテルでオスタンキノ・テレビ塔も近くに見える。 |
モスクワ川よりクレムリン | ワシリ−聖堂 | 鐘の皇帝 | 大砲の皇帝 |
ウスペンスキ−大聖堂 | ウスペンスキ−大聖堂 | ブラゴヴェッシェンスキ− 寺院 |
武器庫 王冠 |
武器庫 | ノヴォデビチ修道院 | ヴァラビョ−ヴィ丘より | フォ−クショウ |