第四話 王子のわがまま
石の牢屋とは打って変わった豪華な天蓋付きのベッドは、城暮らしに慣れてきた王子の慣れないものの一つです。王子はなんだかそわそわと落ち着きません。
「どうしてこんなことになってしまったのだろう」
ようやく父と話すことができ、王子としての暮らしもよみがえったのに、王子の心は石の牢屋に居た頃のように寂しいのでした。
娘と出会ってからは毎日が楽しかったというのに。
真夜中、王子は人の気配で目を覚ましました。
「だれだ?」
王子が尋ねると、一人の美しい娘が部屋に入り込みました。宮廷の踊り子の一人です。顔を真っ赤にしてベッドの脇に近付いてきた踊り子を見て、王子はこれが王様の差し金だと気付きました。
王子は自分の愛する人はあの娘だ、と分かっていましたが、真っ赤な唇と熱い膚を持つ、炎でできた花のようなその娘に、好奇心が湧かないでもありません。
昼の娘の言葉で傷ついていた王子は、優しく愛らしい踊り子につい気を許し、その夜、試しにと踊り子と共にベッドに入ったのでした。そして娘に教わったように踊り子と愛を交わしてみました。
刹那的な快楽と、そして娘のものとは違う踊り子の愛のささやきが、王子に思いもよらない寂しさを引き起こしました。
わき起こるのは後悔の気持ちだけ。王子の寂しさちっともは癒されません。王子はそれがなんなのか、一生懸命考えようとしました。
次の日、いたたまれない王子は城を抜け出して、町の娘に会いに行きました。
娘は娼館で、美少年を買っている最中でした。なんせ王様からたっぷりとお金をもらったので、どんな子でも買い放題なのです。
王子は嫉妬に狂いそうになりましたが、昨晩の自分を思い出したので、ぐっとこらえて娘が出てくるのを待ちました。
「おや、王子。こんな所で何をしておいで?」
出てきた娘の脳天気な様子に、王子は少し悲しくなりました。でも、それ以上に見慣れた娘の顔を見ると、心が安らぐのでした。
「ついこの間まではあんなに僕と愛を交わし合っていたのに、もう僕のことは忘れてしまったかい」
王子の情けない声に、娘は王子以外の者が見たらゾッとするような卑しいにやけ顔で言いました。
「もちろん覚えているさ。あんたの腕も、あんたの腹も、あんたの足も、あたいの体がちゃんと覚えてる。あたいとまた寝たくなったのかい?」
娘のあざけるような口調にも、王子は真面目な表情を崩さずにいいました。
「僕も覚えている。君の唇も、君の言葉も、僕を孤独にしたことはなかった。心から、君を愛している。僕をあそこで一人にしないでくれ」
王子は娘の体をきつく抱き締めました。娘は物分かりの悪い子供を諭すように、優しくささやきました。
「あたいを手に入れるなんて簡単さ。好きなだけの富と、古今東西の美少年をはべらさせてくれるなら、あたいはいつまでもあんたの側にいるよ」
王子は身を放し、首をふります。
「僕を騙すことはできない。君は、そんな物でつなぎ留められる人じゃない」
「なんだいケチ!駄目なら駄目って言やぁいいのに。もう即金以外じゃ取引しないよ、あたいはもっといい思いがしたいんだ」
もう娘は何を言っても聞きませんでした。仕方なく王子は城に帰りました。
部屋で一人で考えこみました。娘はなぜ自分を受け入れてくれないのか。なぜ娘以外のものは自分に安らぎを与えてくれないのか。
答えは見つかりませんでした。
それでも時は容赦なく過ぎ、王子に立派な跡継ぎになれとささやくのです。
王子は娘の仕打ちを、自分を立派な王子にしようとする娘の与えた試練なのだと思い込むように、気持ちを持って行きました。そうでなくては、厳しく難しく常に孤独が付きまとう支配階級の暮らしにはついていけないからです。
「僕は立派な王子となり、王となろう。国が富めば、彼女の住む場所も富み、きっと喜んでくれるに違いない」
吹っ切った王子は、段々とその伸びやかで快活な本性を人前にさらすようになりました。あの娘と深くかかわり過ぎたせいか、王様の遺伝か、政治を行ううち狡猾さや取引の仕方も覚えていきました。
王子が少年から大人になり、一人でも執政できるようになると、王様は他国との戦争に集中していきました。もともと戦争好きな王様で、政治に向かない人なのです。
優しい父がいなくなると、王子はますます愛とはかけ離れた生活を送らなければなりませんでした。年若い王子は家臣になめられないよう、懸命に政治に打ち込みました。
でも彼がどんなに狡猾になろうと、人に与える堂々とした美しさは、見るものの目を引き、国民は誰もが彼を愛しました。
王子は、賢く、悪賢く、強く、正義に忠実で、正しい目的のためには悪を犯すことも恐れない人でした。物変えの魔法と偉大な智恵と、危険な魅力を持つ人になりました。
孤独で困難な人生が、彼を磨いたのです。彼を見ただれもが、その魅力の虜となるのでした。
それでも王子は寂しいままでした。今でも時々娘に会いに行っては、こっぴどくフられるのを繰り返しています。
ある夜一夜だけ、娘の気まぐれで約束を取り付けた日、娘は王子に尋ねました。
「どうして醜いあたいにそんなに執着するのさ。あんたはあたいより頭がいい。あたいがどうにかしてあんたを利用しようとしてきたことは知ってるだろう?」
王子は答えました。
「問うならば答えよう。今では神とも恐れられ、崇められる私だが、そなたがいなければ私は今も石の牢屋にいた。そなたが私を人にしたのだ。今では私も自分の偉大さを知っている。だが、私より先に私を見つけたそなたが一番に賢い」
「賢い娘ならほかにもいるさ」
「そなたは私を恐れなかった。私を初めて愛したのはそなただ」
「初めてがそんなに偉いってのかい?怖い物知らずはほかにもいるよ」
王子はたまらず、娘を抱き締めました。
「だが、私は今でも石の牢屋にいたときと同じくらい寂しいのだ」
その寂しさは、支配者の憂いであり、母親に愛されなかった子供特有の渇きでもありました。
娘は王子の腕の中で、されるがままでした。王子は続けます。
「私も時には寂しさに身が凍える。私がそれを忘れるのは、そなたといるときだけだ」
娘は笑いました。
「あっはっは。まるで子供だね。でもあたいはあんたの湯たんぽにはなれないよ。あんたがあたいに感じているのは錯覚さ、その寂しさは、決して埋まることはない」
そして朝、娘は別れ際に言いました。
「いくら偉大なあんたでも、手に入らないものが一つくらいあるほうがいいよ」
彼の手からスルリと抜け出した世にも醜い娘は、飄々と町に帰っていってしまうのでした。
王子は嘆きました。
「ああ、私は今やなんでも手に入るのに、初めてほしいと思ったものだけがどうしても手に入らない。いっそあきらめることができたらどんなにいいか。しかし私にはあの娘が必要だ。あの娘だけが私の心を暖めることができるのだ」
いくら素晴らしい王子でも、やはりあの様な孤独な少年時代では、女の趣味がゆがむのも仕方のないことなのでしょうか。
でも、昔も今も、王子の隣に座ることができるのはあの娘だけなのです。