第二話 石牢の王子

 王子はすくすくと育ち、王妃に似て愛らしく賢い子供になりましたが、まだ子供の王子は偉大なる魔法の力を全く使いこなせず、偉大なる智恵の意味も全く分からなかったのです。

 王子の力は時々暴走して、侍女を猿に変えたり、剣をラッパに変えたりしてしまうのでした。

 王子の手が触れたものは、いつ人間をやめさせられるか分かりません。

 王子の力を、王様はもとより城中の皆が恐れました。

 国の別の魔法使いが、自分がつくった特別な石の牢屋なら、王子の力を押さえることができると進言しました。そこで王様は、魔法使いにつくらせた石の牢屋に王子を閉じ込めたのです。

 愛らしい王子は、石の牢屋でたった一人で暮らしました。彼は大変孤独でした。あまりの寂しさから、牢屋番を小鳥の姿に変え、友達にする始末でした。

 幾つの夜を、頬をぬらして星を眺め、幾つの昼を、差し込む光のくゆれる影にだれかが訪ねてくることを期待したのか。

 王子の力を恐れて、石の牢屋には牢屋番ですら寄り付かなくなり、王子は石の隙間から生えた苔を食べ物や飲み物に変えて、一人でなんとか生き抜きました。

 王子は何一つ持たない子供でした。食べ物も与えられず、愛も与えられず、友も無く、あるのは孤独と悲しみと偉大なる魔力と智恵だけ。

 彼は与えられることに慣れていない子供になりました。彼は奪い取ることを知らない子供になりました。

 王様は王子を救うため、あらゆる魔法使いに助けを求めましたが、かつての偉大な魔法使いにかなうものはこの世のどこにもおりはせず、石の牢屋をつくった魔法使いでも、王子を封じるのがやっとなのです。

 初めての男の子、それに平気で裏切る女より血の繋がった子供達に愛を注ぐ傾向のある王様は、王子を深く愛していたのです。

 だから大切な息子がたった一人でいることに、本当は深く心を痛めているのでした。

 やがて、愛らしい王子は美しい若者に育ちました。

 王様は年を取り、王の座を譲る者を決めようと思いました。しかしいざ跡継ぎを探そうにも、生まれた男の子は後にも先にもあの王子一人だけ。王位は直系の男子に継がれるものと決まっています。

 王子を人前にだすなんて、しかも国の政をさせるなんて、できるわけがありません。

 仕方なく王様は王子を結婚させてその息子を王様にしようと決めました。

 城下町には王様の御触れが出て、こう書かれました。

『もしこの国の、恐ろしい魔法の力を持つ王子の子供を産むことができた娘には、好きなだけの宝を与える』

 しかしこの国の若い娘はもとより、子供から老婆まで、この御触れに挑戦しようとする女は一人もいないのでした。





 話し変わり、この国の城下町に、一人の娘がおりました。娘は大変醜く、ただでさえ醜い顔には大きな傷跡があり、恐ろしいまでの風貌です。心も大変醜くて、たとえ美人に生まれついていても、彼女の心が美しくなるなんてことは全く無いような、大変にひねくれた娘でした。生まれついての悪魔としかいいようがありません。

 その娘は若いくせに裏の世界にも平気で出入りするやくざ者。裏の世界ではとても有名で、男として扱われることもしばしばでした。

 無茶な賭も刃傷沙汰もへっちゃらで、大変な美少年好きという有様。

 小金を稼いでは美少年の男娼を買っていたのですが、醜い顔と心から、この町のどの男娼も相手にしてくれなくなっていました。

 ふだんなら王様のお触れ書きなんて見た試しもないのですが、娘はよりによってお触れ書きにあった王子の顔をいたく気にいってしまったのです。

 娘はもちろん、王子の恐ろしい魔法の力の噂を知っていました。

 しかし娘はそんな事はヘでもないと、意気揚々とお城にやってきたのです。

 王様も、さて大変な娘がやってきてしまったと思いましたが、結局きたのはこの娘ひとりだけ。仕方なく、娘に石の牢屋の鍵を渡したのでした。

 石の牢屋にただ一人、来る人もなく孤独に過ごしていた王子のもとに、娘がやってきました。

 王子は大喜びしました。物心ついてから何年も人に会っていなかったので、娘の容姿や心の醜さなど気にも留めません。

 でも、王子は自分の力が人々を恐れさせていることを知っていたので、やってきた娘をいぶかしみました。

「君はどうしてここにやってきた。僕が恐ろしくないのか?」

 娘は答えました。

「あたいはあんたなんか怖くもない。あたいがここにきたのは、美しいあんたといちゃつくためさ」

「いちゃつくだと?」

 王子は悲鳴を上げました。娘はてっきり、自分と交わるのがいやなのかと思ったのですが、どうも様子が違います。

「駄目だ駄目だそんな事。もし君の姿が、猿や豚に変わったらどうする」

「猿や豚の世界で楽しくやるよ」

「もしスプーンやラッパになってしまったら?」

「そうしたらあんたが使っておくれ。美しい男の子がいればあたいは幸せ」

 王子がまたやかましい口を開きかけたので、娘はピシャリと言い放ちます。

「お黙り、このすっとこどっこい。あたいはあんたの力なんてどうだっていいのさ。姿が変わったら変わったでそれもいい。変わらずにあんたといちゃつければもっといい。もしあんたの子供が産めれば、あたいの一生は安泰だ。何か文句があるかい?」

 娘の早口に圧倒された王子は、心なしか顔をほんのり赤らめて、ぽつりと言いました。

「でも僕は、物心付いたときから石の牢屋にいて、他の人としゃべったのも君が初めて。いちゃつくって言ったって、僕じゃきっと君を楽しませてあげられないよ」

 王子は、たとえそれがなんであっても、他人と触れ合えることが嬉しかったのです。だからこそ、ようやく訪ねてきてくれたこの客人に失望されることが、何より怖いのでした。

 王子の心を知ってか知らずか、娘はニヤリと笑います。

「あたいに任せておきな。初めてでも上手くやってやる。あんたは何も気にしないで、楽にしておいでよ」

 そう言って、王子の額の聖なる印にくちづけました。

 王子はようやく、娘が本当に自分と一緒にいても平気なのだと分かりました。なぜなら額の印は王子の力の源。王子の力を恐れるものならば、きっと触れはしないでしょうから。

 王子と娘は石の牢屋で一夜を共にしましたが、娘の姿が変わることはありませんでした。

 最初の一夜で王子をすっかり気にいった娘は、それから毎日王子のもとに通うようになりました。他の人を知らない王子も、刷り込みされたのか、顔も心も醜いこの娘をすっかり気に入って、娘がやってくるのを毎日楽しみに待つようになりました。

 ある日、娘は尋ねました。

「しかしあんたはおかしな奴だ。人と初めて話したのに、やけに物知りじゃないか」

 王子は答えます。

「魔法使いが僕にくれたのは、物を変える力だけじゃない。偉大な智恵も与えられた。僕は世の中のあらゆる知識に精通しているのさ」

 娘は感心しました。王子は娘に力が及ぶことを恐れて、物変えの魔法は使ってくれないので、なんとかその智恵とやらを利用できないか考えました。でもずるがしこい娘よりも王子のほうがさらに頭が良かったので、こんな世にすれた娘ですら純真な王子を欺くことはできないのです。

 二人の様子を聞き知った王様は、もしかしたら王子は力を使いこなせるようになったのかもしれないと思いました。そこで早速、娘が来ない日を見計らって、注意深く王子を謁見の間に呼びました。

 王子は美しく賢く成長し、性格も純真で優しく思いやりにあふれていました。王様は王子の恐ろしい力も忘れて、王子を閉じ込めていたことや醜い娘をあてがったことをひどく後悔しました。

「王子よ、久しいな。わしがそなたの父だ。長く惨い仕打ち、すまなく思っている」

「いいのです、父上。僕の力は恐ろしい力。父上が危なく思うのも無理ないことです」

「うむ。それでな、もしやそなた、力を使いこなせるようになったのではと思い、今日はここによんだのじゃ」

 王子は目をパチクリとしばたきました。

「考えてもみませんでした。では試してみましょう」

 そう言って、王子は床の絨毯にふれてみましたが何も起こりません。

「おお、平気なようだな。では、この土くれを、黄金に変えることはできるかな?」

 盆に盛られた土くれに、王子の指先が触れるとそれは、砂金の山になりました。財務大臣は思わず、凄い、と小さい悲鳴を上げてしまいました。

「では、猿になった侍女を戻してやれるか?」

 王子が幼い時に猿に変えられた侍女が連れてこられました。

 王子が元に戻れ、と思いながら猿に触れると、猿は元の侍女に戻ったのです。謁見の間に、その様子を見守っていた全ての人々の間から感嘆のため息が幾つも漏れました。

「そなたはどうやら完全に力を使いこなすようになったようじゃな」

 王様は嬉しくて泣きましたが、王子もまた泣いていました。

「はい。これもすべてあの娘のお陰です」

 王様はいいました。

「そなたはもはや立派な跡継ぎ、わしの跡を継げば、そなたに力を与えた魔法使いの予言通り、立派な王となるじゃろう。あの醜い娘はもはや用無し、美しいそなたならどの国の王女も選びほうだいだな」

 王子は驚きました。

「とんでもない!父上、僕の妻はあの娘だけです。あの娘が僕に力を与え、愛を与えてくれたのです。僕は彼女を妻にします」

 王様は娘と面接したので、あの娘がいかに意地汚く、淫乱で、危険と混乱を愛し、裏切りをものともしない心の醜い娘なのか知っていました。あの娘が、愛など小馬鹿にして王子をちっとも愛していないことも、痛いほどに良く分かっていたのです。

 少し見る目のある者なら一度見ただけで分かるほど、彼女の本質は疑いようもなく醜いのでした。

 そんな娘、物変えの恐ろしい怪物への捨て駒ならともかく、たった一人の大切な王子の恋人にさせるわけにはいきません。

 だからなんとか王子を説得しようとしましたが、王子の決心は堅く、曲げられそうもありませんでした。

「仕方ない。あの娘を呼ぶのだ」