胡蝶が別当屋敷に来たその日の午後。
望美は胡蝶に呼び出され、胡蝶のために用意された部屋へと行った。
侍女達はお茶を用意した後すぐに部屋から下がり、望美は胡蝶と二人きりとなる。
向かい合うように座る望美と胡蝶。
胡蝶はしばらくの間無言だった。
望美はどうにも居心地の悪い思いをしていた。
胡蝶が自分に一体何を言うつもりで呼び出したのか、望美は気になって仕方がない。
とはいえ、自分から話を切り出そうにもどう切り出せば良いのかわからなかった。
「望美様」
ふいに、胡蝶が口を開いた。
「は、はい!」
「望美様は今おいくつですの?」
「えっ? あ、18歳です」
「あら、わたくしより年上ですのね」
「えっ?! あなた、私より年下なの?!」
「ええ、もうすぐ17になりますわ」
「もうすぐ17ってことは、まだ16歳?!」
あまりにもしっかりしている雰囲気から、胡蝶は自分より年上だと勝手に望美は思っていた。
まさか年下だとは思いもしなかった。
「えっと、胡蝶…様」
「胡蝶と呼んでいただいてかまいませんわ。望美様の方が年上なのですから」
「呼び捨てはちょっと……。じゃあ……胡蝶さん」
「はい、何でしょう?」
胡蝶はにっこりと微笑んだ。
「胡蝶さんはヒノエ君に会ったのは昨日が初めて?」
「そうですわ」
その答えを聞いた望美はためらいがちに次の質問をする。
「あの、あなたは顔も知らない人と結婚することになってどう思ったの?」
「結婚は家と家とのつながりを第一に考えるもの。どう思ったのかと申されましても、それがわたくしの結婚だと受け取りましたわ。」
相手が誰であろうと、胡蝶はそれを受け入れるものだと言う。
この時代では当然の事なのかもしれないが、こういう答えが返されることに望美は戸惑う。
「でも、結婚って好きな人としたくない?」
この質問に胡蝶は小さく笑った。
「望美様はわたくしがヒノエ様のことを好きではないとお思いなのですか?」
「えっ?」
望美の心が大きく跳ね上がる。
「胡蝶さん、それって……」
「『一目惚れ』という言葉がございますわ。実際にお会いしたヒノエ様は話に聞いていた以上に素敵な方でしたもの」
「で、でも! ヒ、ヒノエ君って結構勝手だし、なんでも一人で決めちゃうし……」
「それはご自分の意志をちゃんともっていらっしゃるからではないのかしら?」
「そ、それは……」
確かにそうである。
ヒノエは勝手に動くことがあるけれど、それは先を見越し、勝算があるからこその行動である。自信に満ちたその行動は、望美がヒノエに惹かれたところでもある。
「え、えっと、いきなり抱きついてきて驚かされたり……」
「好きな殿方に抱きつかれて嬉しく思いませんの?」
好きだと気づく前は困ったけれど、今はあの温かい腕で抱きしめられる時は幸せな気持ちになる。
「急に耳元で変な事をささやいて困らせたり……」
「変な事とはどんなことですの?」
望美は顔を真っ赤に染める。
『オレの姫君』『愛している』とはさすがに口には出せない。
胡蝶の『一目惚れ』という言葉に慌てた望美は、ヒノエの欠点をあげて胡蝶の気持ちを変えようとするのだが、望美の言うヒノエの欠点は欠点にはなっていなかった。
「望美様、お顔が真っ赤ですわ?」
「えっ、えっと、それは……」
望美は混乱して自分でどうしたら良いのかわからなくなっていた。
そんな望美の様子を目にした胡蝶は楽しそうに微笑む。
「望美様とヒノエ様は本当に仲がよろしいようですわね」
「は、はぁ」
望美が思わずそう言うと、胡蝶はさらに笑いを漏らした。
その瞬間、望美は何故か若干の違和感を感じた。
胡蝶の笑みはただ楽しそうな感じしかない。
他意のない普通の笑み。
それなのに何かが心にひっかかる。
「それよりも、望美様」
「は、はい?」
「望美様は何がお得意ですの?」
「得意?」
「筝の琴はお弾きになられませんの? 香はどのようなものを合わせられるのかしら?」
「えっと……」
胡蝶の質問に望美は言葉を詰まらせる。
楽器など弾いたことがない。お香にしても、ずっと一緒に過ごしていた黒龍の神子の朔から少しばかり教わっただけである。得意どころか初歩の初歩をほんの少しかじった程度なのである。
「あら、何もおできにならないのですか? 仮にも熊野別当の奥方になろうというお方が?」
「ははは……」
何もできないのは本当の事なので、望美は返す言葉がない。
「筝の琴や香をたしなむのは女人として当然のこと。そんなことではいけませんわ」
胡蝶は手にしていた扇をパチッと鳴らす。
それを合図に現れた侍女に胡蝶は命じる。
「琴をここに」
「胡蝶さん?」
「琴くらいお弾きになられた方が良いですわ。わたくしがお教えいたしますから」
「で、でも、琴なんて私には……」
「あら、望美様はお逃げになるのですか?」
「逃げる?」
「がっかりいたしましたわ。望美様がやりもしないで初めから諦めるような方でしたなんて。ヒノエ様も一体どうしてこのような方をお好きになったのかしら」
胡蝶にこうまで言われては望美も黙ってはいられない。
望美は力をこめて宣言した。
「やってやるわよ! 琴くらいたいしたことないわ!」
「お手並み拝見といきましょう」
そう挑戦的に言いながら余裕のある笑みを浮かべる胡蝶に、望美は闘志を燃やしたのだった。
第八話 第十話
<こぼれ話>
さぁ、ついに始まりました、直接対決!(笑)
九話のタイトルを『初戦』なんてつけましたが、ちょっと大袈裟?(^^;)
とりあえず、初戦は胡蝶さんペースという感じでしょうか。
はじめこそ戸惑っていた望美ちゃんですが、持ち前のパワーでがんばってもらいましょう!
|