永遙の花嫁

第七話 〜対話〜


 

 

 柱の影から姿を現した胡蝶はヒノエの前に歩み寄った。
「いつからお気づきででしたの?」
「さぁね」
 胡蝶の言葉にヒノエは素っ気なく応える。
「そのご様子だとわたくしがここにいる事は始めからわかっていらしたのですね。それなのに望美様と口づけを交わすなんて、わたくしに見せつけたということかしら?」
 黙って隠れていた事を悪びれる様子もなく胡蝶は言った。
「そう思ってくれてもかまわないよ」 
「お二人の間にはわたくしの入る隙はないと?」
「ああ」
「まぁ!」
 胡蝶は驚いたようにそう言ったが、その表情はまったく驚いてはいなかった。
「そうはっきりとおっしゃるとは思いませんでしたわ。噂に聞いていたヒノエ様はもっと女性に優しい方でしたのに」
「オレは女性に優しいつもりだよ? だからこそ余計な手間を取らせないように忠告してるんだ」
 口元に笑みを浮かべ、穏やかな口調ではあったが、目は笑ってはいなかった。
「ここにいても時間を無駄にするだけだ。荷物をまとめてさっさと引き上げた方が姫君のためだよ」
 気遣う言葉とは裏腹に、ヒノエらしくない冷たい視線が胡蝶へ向けられる。
 しかし、意外にも胡蝶はたじろぐことなくヒノエと向き合った。
「ヒノエ様は本当に望美様の事が大切なのですね」
「……」
「そのお言葉は、わたくしのためではなく、望美様のためでございましょう? わたくしがいなくなれば望美様のお心を軽くすることができますもの」
「へぇ、姫君はなかなか賢いことを言うね」
 確かに胡蝶が感じるように、ヒノエは少しも胡蝶のことなど考えていない。
 ヒノエが第一に考えることは望美のことだけである。
「ヒノエ様、わたくしのどこがお気に召さないのか、お教えいただけますか?」
 胡蝶は率直な質問をする。それに対し、ヒノエはためらうことなく告げた。
「気に入る気に入らないの問題じゃない。ただオレには必要な存在じゃないというだけだ」
 ヒノエにとって、胡蝶への感情は良くも悪くも何もない。
 初めて会う相手、しかも話をするのもこれが最初なのだ。
 そんな相手に感情などまだ持てる筈がなかった。
「それでは、もしわたくし以外の方が許嫁としてヒノエ様の前に現れたとしたら、やはり同じ事をおっしゃりますか?」
「そうだな。答えは同じだ」
 ヒノエに必要なのは望美一人である。
 どんな女性であっても、望美以外の他の女性は全部まとめて必要ない存在でしかない。
 胡蝶はヒノエの言葉を聞くと、ヒノエの顔を真っすぐに見据えた。
「そのお答えでは、わたくしはここを離れるわけにはまいりません」
 しっかりとした口調でヒノエに向かって言う。
「わたくしに何かしらの落ち度があるのでしたら諦めましょう。されど、わたくしのことを知らずして貴方はわたくしをお拒みなさる。望美様以外の者だからというだけで」
「……」
「わたくしは貴方の許嫁として熊野に参りました。これでもわたくしは覚悟を決めてこの地へ参りました。何もしないままおめおめと実家に帰れるはずがございませんわ」
 胡蝶ははっきりとヒノエにそう言った。
 ただの深窓の姫君なら泣いて立ち去るところだが、これは予想外の反撃だった。
「気の強い姫君は嫌いじゃないけどね。さすが母上が選んだだけのことはある」
「ふふ。わたくしに少しは興味を持たれましたか?」
「それとこれとは別。オレは望美以外の女に興味はない」
「本当にはっきりとおっしゃる方ですのね」
 胡蝶はクスクスと楽しげに笑った。
「気持ちというものは移ろいやすいもの。特に恋心と言うものは熱しやすく冷めやすいと申しますでしょう?」
 昔のヒノエならその言葉に頷いただろう。
 恋というものはその場限りのもの。熱い想いがある時に楽しく過ごせば良い、そして冷めたら終わりの時。
 恋はただ一時のものなのだ、と。
 しかし望美と出逢ったヒノエはもうそうは思わない。
 恋は愛へと変わり、そして不変の想いとなる。
 気づかされた望美へのこの気持ちはもう決して誰の手によっても変えることはできない。
「オレの気持ちは変わらない。いや、変えられない」
「強き想いは時として判断を狂わせることもあるもの。結論は急がずともよろしいでしょう? ヒノエ様にはわたくしのことをもっとよく知っていただきとうございます。その後で、わたくしと望美様、どちらが『熊野別当の妻』にふさわしいか決めていただいても遅くはないかと思いますが?」
 胡蝶は『ヒノエの妻』ではなく『熊野別当の妻』と言った。
 言外に好きだという気持ちだけでは、ヒノエの婚姻は成立しないのだと示している。
 その言葉にヒノエは口の端をわずかに引き上げた。
 胡蝶は自分が望美よりも優位だと思っているのだろうか。
 確かに望美は、この世界について、熊野についてまだ疎い。
 『別当の妻としての役目』を考えれば、望美が適任だとは言えない。
 だからと言ってそれが別当の妻としてふさわしくないという理由にはならない。
 丹鶴にしろ、胡蝶にしろ、二人は望美のことをよくわかっていない。
 望美の本質を知れば、どれだけヒノエにとって、熊野にとって必要な存在か思い知る事になる。
「そこまで言うなら好きにすればいいさ。だけど、オレの答えは変わらない、そのことだけは覚えておくんだな」
「またゆっくりお話いたしましょう、ヒノエ様」
 胡蝶は微笑みながらそう言い、一礼してその場を去った。



 

第六話                                     第八話 

 


<こぼれ話>

 胡蝶さん、ヒノエ君に負けてませんね〜。
 この後も大人しく黙ってはいないことでしょう。
 といっても、ヒノエ君にとっては胡蝶さんがどんな出方をしても気に止めることはないのでしょう。
 望美命なヒノエ君ですから〜(笑)
 
 

    

   

  

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