永遙の花嫁

第六話 〜笑顔〜


 

 

 ヒノエは対面の場から出ると、しばらく無言で望美の手を引いたまま渡り廊下を進む。
 歩きながらさきほどのやりとりを思い出していた。
 望美のことを拒まれるなど考えもしなかった。
 これまで両親からは、思うように生きろと言われてきた。
 自分で決めたことには自分が責任を持て、とも。
 そのためヒノエが決めたことに口を出された事はない。
 それなのに、どうしてこの件にだけ口を出されなければならないのだろう。
 ヒノエにはどうしてもその理由がわからなかった。
 思いがけない展開だったとはいえ、望美を認めさせることができず、あんなふうに引き下がることしかできなかった。
 何も心配することはないと自信を持って望美に言ったにも関わらず、結果的に望美を傷つけることになってしまったのだから無様な自分に腹が立つ。
 消えない苛立ちは歩調をさらに速めていった。
 ヒノエの歩調は望美には早かったが、小走りになりながらも望美はヒノエの後に続いた。
 しかし、ふとヒノエは歩調を落とし、そして歩みを止めた。
「悪かった、望美」
「えっ?」
「……イヤな思いをさせて悪かった」
 後ろを振り向かず、ヒノエはそう言った。
「ヒノエ君……」
「こんなことになるなんてな。オレとしたことが甘かった」
 思うように事が運ばなかった非は自分にあり、望美は何も悪くない。
「あのね、ヒノエ君。私、気にしてないよ?」
 望美はいつまで経ってもこちらを向こうとしないヒノエの前方に移動し、その顔を覗き込んだ。
 うつむき加減のヒノエのその表情には少し翳りが見られる。
「オレは許嫁なんて話、一度も聞いてない」
「うん、わかってるよ。だってヒノエ君がいい加減な気持ちで私を熊野に連れてきたなんて思ってないもの」
「……」
「だからヒノエ君も気にしないで。それに、覚悟していたことだから」
「覚悟?」
「覚悟って言うとちょっと大げさかな。でもこういう話はあり得るものだと思ってた」
「望美?!」
 ヒノエは顔を上げて望美を見た。
「それはどういう意味だ?」
「私はこの世界の人間じゃないわ。それなのにこの世界に残ろうとしている。もしも、私がこの世界に残らなかったら、ヒノエ君は別の人と結婚することになったと思うの」
「オレは望美以外の女と結婚する気はない」
「そういうことじゃないの。この世界にはこの世界の人が存在しているよね。本当ならこの世界で生きている人は、他の世界と関わることがなく、この世界でのみ完結される。だからこの世界に存在する人にとって結ばれる相手はこの世界にしかいない、そう思うの。そう考えると、この世界にヒノエ君の相手となる人が存在してもおかしくはないのよ」
 それはずっと考えていたこと。
 本当は関わることのないはずの世界。
 この世界では存在するはずのなかった自分。
 本来なら自分の居場所はここではない。
 ヒノエにしても、自分を知らなければきっとこの世界の誰かと結ばれるはずなのだ。
 でも、自分はここに来てしまった。
 そして、ヒノエと出逢ってしまった。
 それは変えることのできない事実であって、現実。
 自分がこの世界にとっては異質の存在であろうと、なんであろうと、もうこの世界からは離れられない。
「この世界にはこの世界の理(ことわり)があるかもしれない。私はこの世界に存在してはいけないのかもしれない。でも、ヒノエ君が私を必要だと思ってくれるから、私はここにいることができる。そのために、この世界の理を曲げても私はそれを悪いとは思わない」
 自分の手の中にあった全て失ったとしても、ヒノエだけは失えない。
 ここに残ると決めた時、何もかも決意した。
「だから、私は諦めたりなんかしない。ヒノエ君は誰にも渡さない」
「望美……」
 望美の強い意思表示にヒノエの心が震える。
「私、頑張るね。ご両親に認めてもらえるように。といっても、どうして良いのかわからないけどね」
 へへっと望美は照れたように笑った。
 どうしてこんなにも強い心を持っていられるのだろうか。
 ヒノエの結婚相手として拒まれ、つらい立場にいるにも関わらず、望美は前へ向かって進もうとしている。
 どうして拒まれたかなんて関係ない。
 どうしたら認めてもらえるかの方が大事なのだ。
 自分は前向きな方だと思っていたが、望美はそれ以上に前向きな性格をしている。
 幸せな未来に向かって真っすぐに進んでいける力を持っている。
「ホント、お前はサイコーだね」
 ヒノエは望美を引き寄せて抱きしめる。
「オレはお前を絶対に手放さない。必ず認めさせてみせる」
 望美を抱きしめるヒノエの腕の力がさらに強くなる。
 この腕の中にある幸せを絶対に守ってみせると、ヒノエは心に強く決意した。
「そうと決まれば、いつまでもこんなところにいないで屋敷に戻って、これからの作戦でも立てるか」
 腕の力を少し緩めると、ヒノエは望美の顔を見てそう言った。
「そうだね。そうしよう!」
 ヒノエの言葉に、望美は笑顔で頷いた。
 その笑顔が愛しくて、ヒノエは前触れもなく望美の唇に自分の唇を重ねた。
「ちょ、ちょっと、ヒノエ君!」
 いきなり唇を重ねられ、望美は慌ててヒノエの体を押し返した。
「ヒノエ君ったらこんなところで……。誰か見てたらどうするのよ」
「誰が見てたって平気。むしろ見せびらかしたいくらいだ」
「わ、私は平気じゃないもん!」
「だったら人から見えないところならいいわけだ。ならそこの几帳の向こうでもう1回どう?」
「ヒノエ君!」
「冗談だって」
 顔を真っ赤にした望美とは反対に、ヒノエは楽しげに笑った。
「ヒノエ君が言うと冗談に聞こえない……」
 望美は上目遣いにヒノエを見ながらつぶやいた。
「さて、屋敷に戻るとするか。望美、先に控えの間に行っててくれるか。ひとつ用事を済ませたら、すぐに行くから」
「うん、わかった」
「ここを真っすぐ進んで、突き当たりを右に曲がったところが控えの間だから。そこに凪乃もいるし、ちょっと待っててくれ」
「ここを真っすぐ行って、そして右ね。じゃ、先に行って待ってる」
「望美」
「何?」
「迷子になるなよ?」
「迷子になんかなんないわよ!」
 プウッと頬を膨らませたかと思うと、望美はすたすたと歩き出した。
「曲がるのは右だからな!」
 ヒノエは後ろ姿の望美に声をかける。
 望美はそれに応えることなく、それどころかさらに歩く速度を上げた。
 次第に望美の姿が小さくなり、そして突き当たりにたどり着いたのか、右に曲がっていくのが見えた。 
 そして、望美の姿は完全に見えなくなった。
 それを確認すると、ヒノエは後ろを振り返る。
 その時のヒノエの表情は、望美と話をしていた時のような穏やかさはなかった。
 まっすぐに一点を見つめ、一言告げる。
「盗み見とは、感心しないな」
 ヒノエの背後には誰もいない。
 けれど、大きな柱がある。その影からスッと姿を現したのは胡蝶だった。



 

第五話                                     第七話 

 


<こぼれ話>

 ここのシーン、そんなに長くなるはずではなかったのに思ったよりも長くなってしまった…。
 この世界に身一つで残った望美ちゃんにとっては、ヒノエ君への想いとヒノエ君の望美ちゃんへの想いだけが全て。
 例えヒノエ君には別の運命の相手がいたとしても、絶対に諦めることはできません。
 ヒノエ君にだけですが、強い想いを宣言してみました。
 さて、次は、本人対決の前に胡蝶vsヒノエ〜。
 

    

   

  

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