望美が舞を披露した後、ほどなくして酒宴はお開きとなった。
三嶋屋の主人とその付き人数人は別当屋敷の客間に案内され、一晩滞在することとなった。
望美も胡蝶も自室へと戻り、ヒノエだけは自室へは行かずに望美の許へと向かった。
「えっと、ヒノエ君、もしかして、怒ってる?」
恐る恐る望美は訊いてみた。
「オレが怒ってるかって? どうして望美はそんなことを訊くんだい?」
「だって……」
望美は上目遣いでヒノエを見る。
ヒノエの声音はいつもと変わらない。
しかし、望美の視線の先には、腕を組んで仁王立ちするヒノエがいるのだ。
正装に近い服装がさらに迫力を増している気がする。
そして、望美はというと、そのヒノエの足下で正座していたのだった。
この状況は、子供の頃にいたずらをしたのが見つかって父に叱られた時とそっくりである。
「……私、何かヒノエ君の気に障るような事した?」
思い切って望美がそう訊くと、ヒノエの眉がぴくりと動いた。
「自分が何をしたのか、自覚なかったんだ」
少し呆れたようにうっすらと笑みさえ浮かべるヒノエ。
穏やかそうに見えて、それがかえって怖さを感じさせる。
「じゃあ訊くけど、望美、さっき何をした?」
「さっき?」
「宴に出たよな?」
「あぁ、その事。そうね、宴に出て、舞を舞ったわ」
「その前は?」
「舞の前は、お客様にお酒注いで……」
「その前」
時間を辿るように質問してくるヒノエの意図が理解できず、望美はイライラする。
「もう! 遠回しに言われてもわからないよ! 言いたい事があるならはっきり言って!」
「どうして宴に出た?」
その質問でもまだはっきりとヒノエの意図がわからなかったが、望美は答えた。
「どうしてって、私はただ宴のお手伝いをしただけだけど」
「手伝いねぇ。まぁ、裏方は大抵人手が足りないものだからな。それを知ったら望美がじっとしてられないだろうとは思うよ。手伝いたいというのならそれは構わなかった」
「だったら、何を問題にしているの?」
「望美、自分の立場は理解している?」
「立場?」
「望美はどうしてココにいる? どうして熊野に来た?」
「それは、ヒノエ君と、結婚するために……」
ポッと望美は頬を染めて答えた。
その可愛らしい姿にヒノエは愛しさがわくけれど、今は話の方が優先である。
「そう、オレと結婚するため。と言う事は、お前はオレの、別当の奥方になるわけだよな? その奥方ってヤツは侍女と同じ格好をしたりするのかな?」
「あっ!」
「ようやく理解したようだな」
ふぅと一息つくと、ヒノエは腰を下ろした。
「酒宴の場に出るならいっそ奥方として堂々と現れて欲しかったよ。どうして侍女姿で出てきたんだ?」
「どうしてって、宴にお料理を運ぶなら、みんなと同じ服装の方が良いだろうと思って……」
酒宴に出てみたかったなどという興味本位ではなく、侍女姿になることも厭わずにただ手伝っていただけというのが理由なのである。
なんとも望美らしい答えだ。
「申し訳ございません!」
それまで望美の後ろで控えていた凪乃が突然前に出て来て土下座した。
「私が望美様の側を離れたばかりにこのような事になってしまい、本当に申し訳ございません。望美様には責はございません。お叱りはどうぞ私に」
「そんな! 凪乃さんは関係ないわ! 凪乃さんは凪乃さんでやらなければならない事があったんだし、私が自分で勝手にした事だもの」
「いいえ、私がちゃんと望美様の側に仕えておりましたなら、侍女のまねごとなどさせはいたしませんでした」
「そんな事ないわ! 凪乃さんがいても、きっと私は侍女姿で酒宴に出た筈だわ!」
望美と凪乃は互いをかばい合い、自分が悪かったのだと一歩も譲らない。
「もういいよ」
少し疲れた様子でヒノエは言った。
ヒノエが止めなければ、望美と凪乃のかばい合いは延々と続きそうだった。
「望美の事だから、凪乃が止めても無駄だったろう」
「でしょう!」
「望美、お前が言う事じゃないだろう?」
ヒノエに軽くにらまれ、望美は肩をすくめた。
「誰が悪いとかそんなことはいいんだ。それより、望美にはちゃんと自覚して欲しい」
「自覚?」
「今回は『余興』ってことで済ませたけれど、一歩間違えれば、胡蝶が正室で、望美は側室になりかねなかったんだ」
その言葉に望美はハッとする。
ヒノエが胡蝶と結婚することはないと望美は信じている。
しかし、周りはそう思わないかもしれない。
真実とは別に噂が先行し、取り返しのつかなくなるようなことはあり得る話だ。
ヒノエの機転がなければ、望美は侍女という立場で認識され、別当の花嫁は実は侍女上がりだった、などという話が広まったかもしれない。
侍女が正室になるというのはないわけではないが異例だろう。
花嫁として京の姫君と侍女の2人がいたなら、京の姫君が正室になる方が自然である。
現状、望美は花嫁としてヒノエの両親に認められていない。
その上、失態があれば、認められるのはさらに難しくなっていく。
望美は自分で自分の首を絞めかけた事になる。
「ごめんなさい、私が悪かったわ」
事の重大さに、望美はいまさらながら気づいた。
「本当に悪いと思ってる?」
「思ってる。ヒノエ君に迷惑がかかることはもうしない。ちゃんと考えて行動する」
「そうか、わかってもらえて嬉しいよ」
ヒノエのその言葉に望美は安堵した。
しかし。
「わかってもらえたのは良いとして。でも、今回は罰を受けてもらうよ」
「罰?!」
そんな展開になるとは望美は思ってもいなかった。
「今夜一晩塗籠で過ごしてもらう」
「そんな! 塗籠って真っ暗で、息苦しくて、そんな中に一晩も?」
「そう。罰なんだから、それくらい受けてもらうよ」
「望美様、私もご一緒いたします」
「凪乃はダメ。外で見張り役をしてもらうよ」
「私逃げたりなんかしないわよ!」
「塗籠に2人も入ったら狭くて大変だ。それに、この部屋を無人にする訳にはいかないからね。凪乃、燭台を用意して」
望美の反論には取り合わず、ヒノエは凪乃に指示を出す。
そしてにっこりと笑って用意された燭台を望美に手渡した。
「じゃ、明日の朝までごゆっくり」
「……」
頬を膨らませ、恨めしそうな瞳でヒノエをにらむが、望美はおとなしく火を灯した燭台を受け取り、部屋の奥にある塗籠の中へと入っていった。
そうして、塗籠の扉は閉ざされた。
「絶対に朝まで望美を外に出すなよ、凪乃」
「されど、望美様も今回の件に関してはご理解していらっしゃいますし、数刻でお許しいただいても……」
「今夜はダメだ、ダメなんだ」
かたくな態度でヒノエは言った。
「凪乃、おまえにはもうひとつ役目を与える」
「は、はい、なんなりと」
凪乃は姿勢を正し、手をついて伏した。
「もし、この後誰か望美を訪ねて来たとしても、絶対に会わせるな。『ここにはいない、別当の寝所にいる』と言うんだ」
「は? 別当殿のご寝所ですか?」
「オレも手を打つからそんなことにはならないと思うが、万が一ってこともあるからな。いいな?」
「はい、承知いたしました」
詳しい事情など何一つ凪乃にはわからなかったが、命令を下されたならそれを実行するだけである。
理由など知る必要はない。
「頼んだからな」
もう一度念押しをした後、ヒノエはいきなり着ているものを脱ぎだした。
「べ、別当殿?!」
「それ、片付けておいてくれ」
あっという間に単衣になると、ヒノエはその場から出て行った。
第十五話 第十七話
<こぼれ話>
望美ちゃん、塗籠に閉じ込められてしまいました〜。
でもそれはただのお仕置きではない……?
そして、突然単衣(下着)になったヒノエ君は何を考えているのでしょうか?!
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