宴会の場に何故望美が侍女姿で現れたのか、そのいきさつをヒノエは知らなかったが、想像するのは難しくはない。
暇を持て余した望美が、手伝いを買って出たのだろう。
手伝い自体を悪いことだと言わないが、この場に出るのは最悪だ。
ヒノエは早く望美がここから立ち去るようにと合図を送るが、望美はそれに気づかないまま、他の侍女と同じように料理を並べている。
澄まし顔の望美は、何事もなかったかのように配膳を続ける。
そして、望美が酒の入った銚子を持った時だった。
「別当殿のところの侍女は美女揃いですな。特にそこの侍女はこの中でも特別美しい」
三嶋屋が目を付けたのはまさしく望美であった。
手にした杯を望美の方へとスッと向ける。
「一杯注いでもらおうか」
「えっ? あ、私ですか?」
望美は一瞬戸惑うも、持っていたのが銚子だったので、そのまま杯に酒を注いだ。
白濁した酒が杯に満たされると、三嶋屋は一気に飲み干す。
「美女についでもらう酒は実に美味しい。さ、もっと近くで相手をしてもうらおうか」
三嶋屋は自分の方へ引き寄せようと望美に手を伸ばす。
その時、それまで成り行きを黙って見ていたヒノエが立ち上がった。
「やはり三嶋屋殿だ。お目が高い」
「別当殿? どういう意味だろうか?」
「彼女が別当奥方となる姫君なんですよ」
ヒノエは望美の手を取ると、三嶋屋から奪うように望美を抱き寄せた。
「改めて紹介します。私の大事な花嫁です」
「えっ、あ……、の、望美と申します。よろしくお願いします」
突然紹介されて戸惑う望美だったが、慌てて頭を下げた。
三嶋屋は一瞬あっけに取られた後、眉根を寄せて不快感を見せた。
「私を試されたか? 別当殿も人が悪い」
「ちょっとした余興ですよ。ですが、さすが三嶋屋殿、人を見抜く目を持っていらっしゃる。それでこそ老舗商家の主というもの。実に見事です」
ヒノエにそう言われ、気を良くしたのか三嶋屋は表情を和らげた。
「こんな美女を奥方に迎えるとは、別当殿が羨ましい」
「恐れ入ります。さて、三嶋屋殿、彼女はこのような場に慣れておりません。今宵は顔見せということでもう下がらせていただきます」
「まだ良いではないか」
「せっかくの申し出ですが、今宵はこれにて」
「いやいや、ここで会ったのも何かの縁。もう少しご一緒していただきたい」
なんとかして望美をこの場から下がらせたかったヒノエだが、三嶋屋は引き下がらず、思うようにいかない。
「ヒノエ君、私なら平気だよ。私にもお客様におもてなしさせて」
困っているヒノエの様子を見て、望美は少しでもヒノエの手伝いがしたいと考え、そう言った。
だが、望美の取った行動は、望美を早くこの場から下がらせたいとのヒノエの思惑とはまったく反対のものである。
ヒノエの表情が晴れる筈もなかった。
「そう言っていただけるとは嬉しい。では、奥方となる美女お二方に琴の共演でもしていただけるだろうか?」
「え、琴はちょっと……」
三嶋屋の申し出に、望美は顔を曇らせる。
「では、何か他に得意なものでもおありか?」
「舞ならなんとか……」
「望美!」
余計な事は言うな、とばかりにヒノエは名を呼んだ。
「ヒノエ様、良いではありませんか」
そこに口をはさんできたのは胡蝶だった。
「望美様の舞がどんなものであっても、宴の場の余興、戯れですわ」
望美の舞を見た事のない胡蝶は、蔑むような口調で言った。
「口を出すのを許した覚えはないぞ、胡蝶」
「あら、それは失礼いたしました」
「三嶋屋殿、申し訳ありませんが、舞はまたの機会ということで」
「別当殿、そうかたい事を言わずに是非。おぉ、そうだ、舞に合わせて胡蝶殿には琴を弾いていただくというのはどうだろうか?」
「ええ、わたくしは構いませんわ」
胡蝶は笑顔で三嶋屋の申し出に頷く。
「望美殿はどうであろうか? 胡蝶殿の琴と共に一差し舞っていただけないだろうか?」
「私の舞でよければ」
「望美殿も、胡蝶殿も良いと申されている。それに、大切な奥方とはいえ、舞や琴の演奏まで独り占めするほど度量の狭い男ではあるまい? 別当殿?」
ここまで来てしまってはヒノエも止められない。
承知する他はなかった。
「望美様、曲はどうします? お得意の舞の曲は?」
「私、曲名はよく知らなくて……。でも、知っている曲ならそれに合わせて舞う事ができるから」
「そうですの。では、この間琴の練習に使った曲ではいかが?」
「そうね。あれなら大丈夫」
頭で曲を思い出す。 聴きなじんだ曲なので、戸惑うことなく体は動く筈である。
「ヒノエ君、扇ある?」
「……あぁ」
憮然とした表情で、ヒノエは襟元から扇を取り出し、望美に渡した。
扇を受け取ると、望美は立ち上がり宴の場の中央に移動する。
その後、望美は大きく息を吸い、目を閉じた。
背筋を伸ばし、ゆっくりと息を吐く。
「いつでもどうぞ」
静かに目を開けると、望美は胡蝶に合図を出した。
それに合わせ、胡蝶は琴の弦を弾きだした。
ゆっくりとした出だしの音が流れ始める。
その途端、望美の表情が変わった。
扇を持つ手が緩やかに上下する。
動き出した望美の姿を、その場にいた誰もが見つめた。
そして、一目見た瞬間から目を離せなくなった。
胡蝶の琴は確かに上手である。
独演で十分通用する腕前だ。
しかし、今は望美の舞の引き立て役でしかなかった。
三嶋屋はもちろん、侍女達さえも自分が何をしていたのかを忘れ、息を殺してただ望美の舞に見入っていた。
周囲のただならぬ雰囲気を感じたのか、胡蝶が琴からわずかに顔を上げて望美を見た。
胡蝶もまた驚きを隠せなかった。
望美の舞を見た瞬間、もう視線をそらす事が出来ない。
意識は望美に向けられたまま、それでも弾き慣れた指が覚えているのか、かろうじて音をつなげていたが、次第に音は細くなり、いつしか消えた。
音がなくなっても、望美は舞を続けていた。
花びらが風に舞うように清楚に、清澄なる川のように流麗に。
その姿を一目でも見た者は魅了される。
望美にその気がなくても、優美な舞に誰もが心を奪われてしまう。
何度も見た事があるヒノエでさえ、今また言葉を失うほどに夢中になってしまうのだ。
ヒノエは望美の舞が見た者にどんな影響を与えるかを身をもって知っているだけに、望美にこの場で舞って欲しくなかった。
切り捨てると決めた人物に、望美の舞を見せたくなかった。
「本当に美しい……」
そうつぶやいた三嶋屋の瞳がきらりと輝く。
それをヒノエは見逃さなかった。
第十四話 第十六話
<こぼれ話>
よかれと思って望美ちゃんは舞ったわけですが、それは裏目な行動なわけで。
さぁ、これからが大変?!
次回、ヒノエ君からお仕置きが!(笑)
|