宴は夕刻から始まった。
別当屋敷の大広間に、熊野の特産を生かした料理や美酒が並べられている。
一体何人、いや何十人分を用意したのかと思うくらいの量と豪華さだった。
上座には客人である男が一人座っていた。
その人物は、ヒノエが指揮を執る熊野水軍が取引をしている福原の商家「三嶋屋」の新主人である。
年齢は30代前半といったところか、主人というにはまだ若く見えた。
代替わりをした挨拶というのが今回の対面の名目だが、ヒノエはそれだけではないと考えていた。
今後の取引を左右する重要人物である。
これまで取引を続けていたからといって、今後も続けて行けるかどうかはわからない。
長い付き合いになるかどうかは、最初が肝心なのである。
相手の出方に気を引き締め、見極め、そして判断するのが頂点に立つものの仕事である。
不利益を予想される人物となれば今後つきあうことは出来ない。
また、逆も然り。
こちらの弱みを見せないように気を配さなければならない。
自分も探られているのだと、自覚しておかなければならない。
相手を有利な立場にしてはならないと、ヒノエは出会ったばかりの相手に警戒心を強めていた。
しかし、ヒノエがそう考えるのとは反対に、三嶋屋からは警戒心のかけらすら感じられなかった。
侍女に酒を注がせ、楽しげに酒に口をつけ、三嶋屋は上機嫌である。
「それにしても、熊野の別当殿は実にお若い。その若さでこの職に就かれるとはすばらしいですな」
「恐れ入ります」
下手側に席を取ったヒノエは微笑し、答えた。
「若いうちから主となるのはさぞご苦労も多かったことでしょうな。いや、若いのに実に感心なことだ」
三嶋屋はずいぶんと『若い』というのを強調した。
確かに年下の者が自分よりも格上の地位にいるとなれば、妬みたくもなるのだろう。
この程度の嫌みには慣れていたので、ヒノエは別段気にしなかった。
「熊野は初めてだと聞き及んでおりますが、実際熊野に来られた感想はいかがですか?」
今度はヒノエの方から話題を振ってみた。
「熊野は良いところですな。こちらに到着してから名所と呼ばれる場所へあちこちと出向き見て回り、そして参拝しましたが、心が洗われるようでした」
三嶋屋は楽しげにそう言ったが、それが嘘だと言う事はヒノエはとうに知っていた。
熊野内での情報は烏と呼ばれる密偵により逐一報告されてくる。
三嶋屋がいつ熊野に入り、どこで夜を明かし、何をしていたのか全て調査済みであった。
それを承知で質問し、どう答えのかをヒノエは知りたかったのだった。
続けてヒノエは尋ねる。
「気に入られた場所はおありでしたか?」
「そ、そうですねぇ……」
適当に答えるのならまだしも、それすらも出来ず口ごもる。
ヒノエは値踏みするような瞳で三嶋屋を見つめ、答えを待った。
しかし、三嶋屋はヒノエの望むような答えは出せず、港が、海が、などと言葉を濁すだけで名所と言われる場所の名をあげることは出来なかった。
ヒノエは内心やはりと思い、呆れていた。
初めて顔を合わせた時にその印象は良いものではなかった。
ヒノエの瞳には三嶋屋は調子の良いだけの、うすっぺらな男に映った。
取引をするのなら、誠意を持って心のうちを明かし信頼を築くか、あるいは割り切って損得を考えたつきあい方をするか、どちらかだとヒノエは考えている。
三嶋屋の先代は前者であり、だからこそ長い付き合いだった。
福原では老舗のひとつである三嶋屋。
その先代が譲ったという跡取りに会うのを少なからず期待していたのが、これでは的外れもいいところである。
この新しい主人とではヒノエが考える付き合い方はできないだろう。
もっとも、熊野に着いて真っすぐ妓楼に向かうようでは、初めから話にならないのだが。
『この程度』の人物なのかと、ヒノエが判断を下そうとした時だった。
どこからともなく、琴の音色が聴こえてきた。
三嶋屋は、これ幸いにと、まるで助け舟が来たかのように話題をそちらに移した。
「こ、これはなかなか見事な音色ではないですか」
近くもなく、遠くもない場所から届いてくる琴の音色。
屋敷にいる者の中で、ヒノエの許可なくこんなふうに琴を弾く者はいない。
ヒノエは何かイヤな予感がした。
「別当殿、この琴はどなたが弾かれているのだろうか? なかなかの弾き手のようだ」
「三嶋屋殿が気にするほどのものではございませんよ」
「いや、もっと近くで聴いてみたい。奏者をここに呼んではもらえないだろうか?」
「しかし」
「ぜひともそばで聴きたいのだ。この願い、叶えていただきたい」
三嶋屋に強く出られ、断るための決定的な理由がないヒノエは、仕方なくそばに控えていた侍女に指示を出した。
ほどなく現れたのは、琴を持つ侍女を引き連れた胡蝶であった。
「お呼びと伺い参上いたしました」
優雅な仕草で座ると、深々と頭を下げた。
「これは美しい。そのお衣装から見て侍女ではないようだが……」
一瞬考え込んだ三嶋屋だったがすぐにあぁと合点する。
「この方が花嫁の」
会話がうまくないと思っていたのに、変なところには気が回るらしい。
「いや、彼女は……」
「胡蝶と申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
ヒノエが否定しようとしたその時、胡蝶は話に割って入った。
「こんなに美しい花嫁を迎えられるとは、別当殿がうらやましい」
「彼女はただの客人です」
「隠さずともよろしいではないか。いやいや、本当に美しい」
「恐れ入ります」
胡蝶は柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「琴をご所望とのことでしたので、1曲披露させていただいてもよろしいでしょうか?」
「おぉ、ぜひ聴かせて欲しい」
「では」
胡蝶は侍女に琴を目の前に置かせると、静かに弦をつま弾いた。
奏でられたのは一般的によく知られる曲。
簡単な曲だけに、奏者の力量がよくわかるものだった。
近くで聴くと、胡蝶の琴は確かに抜きん出ていた。
短い曲だったが、三嶋屋は感心したように拍手した。
「これは、これは。容姿だけでなく、琴の音色まで美しい。本当に別当殿がうらやましい」
「何度も申しますが、彼女はただの客人です」
「祝言前ということで遠慮されているのか? 気にせずとも良いではないか。めでたい話なのだから、私もお祝いしよう」
三嶋屋はそう言い、手酌で自分の杯に酒を注ぎ、豪快に飲んだ。
その様子を眺めつつ、ヒノエは今度こそ思いっきり胸の内でため息を吐いた。
大商家である三嶋屋の次代は話をちゃんと聞けない人物らしい。
勝手に解釈し、自分の思うままに行動するのは商家の主人としてふさわしくはないだろう。
やはり信用に足る人物ではないようだ。
先代は話をよく聞き、その語らいも楽しかったものだった。
急に当主の座を譲ったという事が腑に落ちず、烏を使って調べさせたが当主交代の裏にはいろいろとあったというのは本当なのだろう。
これ以上、時間を共にしても意味はない。
どんな人物なのか自分の目で確かめるのが一番だと、挨拶したいという申し入れを聞き入れたが、実際に会っておいて本当に良かった。
昔なじみの取引先ではあるが、当主がこれでは取引を続けるのは考えた方が良さそうだ。
ヒノエはそう結論づけた。
最後に三嶋屋を一瞥する。
こちらを値踏みするくらいの人物だったら良かったのにと、ヒノエは残念に思った。
出方が決まればあとはどうしようと構わない。
適当に宴を楽しませ、福原に帰せば良い。
「酒が足りないようですね」
ヒノエはスッと右手を上げて合図を出した。
控えていた侍女がさりげなく席を立ち、追加の料理や酒を準備をしに奥へと下がって行った。
間を置かずして、侍女は戻ってきた。
「料理とお酒をお持ちいたしました」
その言葉に続き、数人の侍女が料理の乗った懸盤を持ち、宴会の場に現れた。
そそ、と歩き、料理を運んでいる。
ふいにヒノエの視線がその中の一人に止まる。
同じ柄の小袿をまとい、一列に並んで料理を運ぶ侍女。普段であれば侍女は侍女であり、それが誰なのかをいちいち区別するような事はないのだが、この時ばかりは違っていた。
同じように見える侍女の中でひときわ目を引く者がいたのだった。
それが誰なのかすぐにわかったヒノエは驚いたように目を見開いた。
侍女の姿をして現れたのは望美だったのである。
第十三話 第十五話
<こぼれ話>
『望美、何やってるんだ?!』(ヒノエ、心の叫び)
まさか侍女姿で登場するとは、ヒノエ君も考えなかったことでしょう。
ホントに何をしてるんだか(^^;)
主要キャスト集合です。
さぁ、次は望美ちゃんの出番ですよ!
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