宴の当日となると、凪乃も準備に借り出され、望美は一人所在なげに部屋にいた。
琴の練習も一人では今ひとつ進まない。
ヒノエからは屋敷内が慌ただしくなるかもしれないがゆっくり寛いでいれば良い、と言われていた。
とはいえ、一人でいるには暇すぎる。
それに、ただじっとしているのは望美の性に合わない。
部屋の中にいたのでは、時間を持て余すばかり。
何か体を動かすことでもないだろうか、と望美は考える。
「そうだ!」
ごろん、と寝そべっていた望美がふいに体を起こす。
名案が浮かんだのか、望美は部屋を飛び出した。
盤台所は今日一番忙しいと思われる場所だった。
宴に使われる場所の準備も当然忙しいが、やはり宴に欠かせない料理を用意する盤台所が一番大変で、下働きの娘達が忙しそうに手を動かしていた。
「宴の準備は進んでいるかしら?」
娘達は一斉に手を止めて顔を上げた。
盤台所は縁のなさそうな派手な柄の着物が目に映る。
突然声をかけてきたのは、胡蝶だった。
訊かれた事に答えなければならないと思うものの、誰一人返事をしようとはしなかった。
返事がないのをはじめからわかっていたかのように、胡蝶は特に気にした様子を見せなかった。
「今日は大事なお客様をお迎えするのだから、粗相のないようになさいね」
それはまるで女主人であるかのような振る舞いだった。
娘達は互いに顔を見合わせ、どう胡蝶に返事をしたらよいのかわからず困惑した様子である。
胡蝶は一段高い場所から娘達を見下ろし、盤台所を見渡した。
その時、盤台所の奥の方でこちらも見ずに黙々と作業をしている娘がいることに気づいた。
「そこの……、あ、あなたは!」
自分を無視して作業を続ける娘に声をかけようとして、その娘が誰なのかに気づき瞠目した。
「あ、あなた、の、望美様?!」
驚いた胡蝶の視線の先にいたのはまさしく望美だった。
望美はかまどの火に向かって竹筒で息を吹きかけている。
「あれ、胡蝶さん? どうしたの、こんなところで」
胡蝶に気づいた望美が顔を上げる。
そして流れる汗を拭うと、頬に黒い炭のあとが残った。
「どうしたのって、それはわたくしの台詞ですわ! 望美様こそそこで何をなさっておいでなのですか?!」
「何って、火の番をしてるんだけど」
望美は当たり前のように答えた。
「それは見たらわかります! そうではなく、何故望美様がそこでそんなことをされているのですか?!」
「えっと、今日は宴があって、その準備が大変そうだから手伝ってるんだけど」
その至極当然とばかりの答えに胡蝶はめまいを覚える。
「か、仮にも望美様は、熊野別当の奥方に、この熊野の女主人になるためにここにいらした方ではないですか! それが下々がするようなことをなさるなんて……」
「でも、人手が足りない時は助け合うものだし、私にできるのはこれくらいだし。料理ができれば良いんだけど、そっち方面はちょっとねぇ。譲君に『先輩は包丁だけは持たないでください!』なんて言われたりしたのよね。剣は持って良いのに、包丁はダメって変よねぇ、同じ刃物なのに。あ、譲君っていうのは幼なじみの男の子なんだけど、料理がとっても上手で……」
「そんな話は結構です!」
胡蝶は勢い良く望美の話を遮った。
「と、とにかく、望美様はご自身のお立場を考えて早くこちらへいらしてください」
「でも、私が火の番してないとみんな困るし」
「望美様!」
「何を騒いでいるのですか?」
静かながら凛とした声が響く。
そこに現れたのは、古参の侍女頭の椿であった。
椿は屋敷内の事を一切取り仕切る立場にあるせいか貫禄がある。
胡蝶も望美も椿の登場にドキリとした。
「これは胡蝶殿、こちらに何か御用でもおありでしたか?」
椿はまずは胡蝶に声をかけた。
「えっ、いえ、用というわけでは……」
「ここは盤台所でございます。先代の北の方様のお客人であるあなた様には無用の場。どうぞご自分の室にお戻りくださいませ」
「わたくしは北の方様の客人などではなく、ヒノエ様の……」
「胡蝶殿」
それ以上は言わさぬとばかりに椿は遮った。
椿の目に見えない迫力に押され、胡蝶は何も言い返せずキュッと唇を結ぶと、その場から立ち去った。
胡蝶の姿が見えなくなると、娘達のうちの誰かが口を開いた。
「あの方が奥方様になられるんですか?」
「奥方様は望美様でしょう?」
急にざわざわとしだした。
「私は望美様に奥方様になって欲しいです」
「私もです! 望美様は身分に関係なく私たちにも優しく接してくれますし、あのお方よりも奥方様にふさわしい方です!」
「私も望美様の方が好きです!」
私も、私も、と盤台所にいた下働きの娘達は、あっという間に望美を囲んだ。
何かを期待する娘達の瞳に、望美は戸惑った。
「えっと、その、ありがと?」
どう返事をしたら良いのか躊躇いながらも、望美はとりあえず礼を口にした。
「私たちは望美様の味方ですから!」
「そうです! 絶対に奥方様になられてくださいね!」
娘達が口にする応援の言葉を嬉しく思うものの、何故そんな話になったのかと望美は苦笑するばかりであった。
「さぁ、さぁ、休憩はそれくらいにして、手を動かしなさい」
椿の言葉に従い、娘達は一斉に自分の作業に戻る。
望美も作業に戻ろうとした時だった。
「望美様」
「は、はい!」
ふいに呼び止められ、慌てて返事をする。
「あなた様はここでの作業をお続けなさいますか?」
椿の視線が真っすぐに注がれた。
にらまれている訳でもないのに、体に緊張が走る。
望美は先ほどの胡蝶の言葉を思い出した。
自分の立場を考えれば、本当はここにいるべきではないのかもしれない。
人にはそれぞれの役割がある。
盤台所での仕事を得手としない自分は、この場所では必要ないのではないだろうか。
火の番をしたところで、役に立っているとは言えないだろう。
役に立てないのならいるだけ無駄という事だ。
胡蝶の言う事はある意味正しいのかもしれない。
そう感じていても、それでも、と望美は思う。
「たいしたことはできませんが、私にできることがあるのなら続けたいと思います」
役に立てないのなら、役に立つように頑張るしかない。
見ているだけの自分ではいたくない。
その望美の返事に、厳しさを含んでいた椿の瞳が和らいだ。。
「そのお心がけ、大変結構です。熊野で迎える方には、熊野総出で迎えるのが礼儀というもの。それは奥方様であっても同じこと。むしろ奥方様自ら率先して準備にあたるのが筋というものにございます。どうぞお励みなさいませ」
「はい!」
すすで頬を黒くしながらも、望美は笑顔で返事をした。
第十一話 第十三話
<こぼれ話>
じっとしてられないのが望美ちゃん(笑)
いきなり盤台所に現れた時は娘さん達も戸惑ったことでしょう。
でも、こうして娘さん達の人気もゲットです(笑)
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