永遙の花嫁

第十一話 〜音色〜


 

 

「もうこんな時刻か」
 急に催すことになった宴に関する手配をヒノエが終えたのは、陽は西に傾き始めた頃だった。
 朝の一件以来この時間まで望美を放っておいてしまったことに今更ながら気づく。
「オレとしたことが……」 
 ヒノエは自室を出ると、すぐに望美のいる部屋へと向かった。
 少し歩いていると、向かう先からかすかに琴の音が聞こえて来た。
 望美のところへと向かうごとにその音はよく聞こえてくる。
 その音は、少し進んでは止まり、その直前からやり直す。 
 たどたどしい音色は幼い子供の手習いのようであった。
 この屋敷にこんなふうに琴を弾く者がいただろうか。
 不思議に思いながら音色に導かれるようにヒノエが進んでいくと、たどり着いた先は望美の部屋であった。
 ヒノエはそっと中の様子を伺う。
 まさかとは思ったが、琴を弾いていたのは望美だった。
 慣れない手つきで琴の弦をつま弾く。
 どうやら侍女の凪乃に指導されながら弾いているようである。
 真剣な面持ちの望美を目にしたヒノエは、部屋には入らず柱の影にしばらく身を潜めた。
 どういういきさつで琴を始めたのかはわからないが、望美の懸命な様子に、ヒノエは口元に軽く笑みを浮かべた。
 まだ曲とはいえないほどの音色だったが、望美が弾いているからだろうか、その一音一音が清々しく心地よく響く。
 しばらくヒノエはそのまま望美が奏でる音色に耳を傾けていた。
 そうして望美が一息ついたところで、ヒノエが姿を現した。
「なかなか初々しい音色だったね」
「ヒノエ君?! もしかして聴いていたの?」
「少し前からね。なかなかの音色だったよ」
 琴を間にしてヒノエは望美の向かい側へと腰を下ろした。
「初めてだから全然弾けなくて。それより、ヒノエ君、今日は忙しかったの?」
「あぁ、こんな時刻まで逢いに来れなくて悪かったね」
「謝らないでいいよ。お仕事か何かだったんでしょう? 」
「仕事ってほどのことでもないけどちょっとね」
「ヒノエ君は熊野別当だもん、忙しいのは当たり前だよね。私のことは気にしないでいいからね」
 望美のその言葉にヒノエは苦笑する。
「物わかりが良すぎるのも淋しいな」
「えっ?」
「『いつでもそばにいてくれなきゃイヤ!』とか言ってくれないのかい?」
「そ、そんなこと言えないよ! 私は少しくらいヒノエ君がそばにいなくても平気だもん」
「嘘が下手だね、望美は。平気じゃないって顔に書いてあるよ」
 そう言われて望美は思わず頬を両手で覆う。
「か、書いてあるわけないじゃない」
「だったらその手はなんだい?」
「こ、これは別になんでもないわよ!」
 とっさに動いてしまった手を、慌てて膝の上に戻した。
「ホントに望美は可愛いね」
 ククッと少しからかうようにヒノエは笑った。
「でも、このあと3、4日も放っておいたらさすがの望美も怒るかな?」
「3、4日って、何かあるの?」
「3日後に客が来るんだ。本当は客を迎えられる状況じゃないから断りたいところなんだけど、断るわけにもいかなくてね。招かざる客とはいえ、歓迎の宴や滞在の準備などしなくちゃいけなくてね」
「ヒノエ君が断れないということは大事なお客様なんでしょう?」
「まぁ、な。古くから取引している福原の商家の主が代替わりしたそうなんだ。それで新たな主が挨拶したいそうだ」
「それなら、ちゃんとしっかり歓迎してあげなくちゃ! ヒノエ君は熊野別当。お仕事はしっかりね!」
 こうビシッと望美に言われてはヒノエもうなずかない訳にはいかない。
「はいはい、未来の別当奥方には逆らえませんからね」
「そう言う問題じゃないでしょう〜」
 そんなやりとりに楽しげな笑い声が響いた。
「ところで、どうして急に琴なんて弾き始めたんだい?」
 ふいにヒノエは琴の弦を爪で弾きながら望美に訊く。
「これ? これは、自主練というか……」
「ジシュレン?」
「えっ、えっと、女の意地……じゃなく、そう、たしなみよ! 女として琴を弾くのはたしなみのひとつでしょう?! だから練習していたの!」
「たしなみねぇ」
 望美は口ではそう言っているが、どうも様子がおかしい。
 ただ琴の練習をしているには、力が入りすぎているような気がする。
 言うなれば、ムキになっている素振りがみえる。
 『女の意地』と言ったのをヒノエは聞き逃してはいない。そう言いかけたくらいだ。自分がそばにいない間に胡蝶と何かあったに違いない。
 琴で張り合うくらいのことなら問題はないだろうけれど、ますます早急に胡蝶の件を片付けなければならないとヒノエは思った。
「まぁ、琴は弾けるにこしたことはないし、凪乃はかなりの弾き手だから、よく習うといいよ」
「恐れながら私では力不足かと思いますが、お力になりたいと思います。なにより望美様は筋がよろしいですから、すぐに上達いたしますわ」
「そいつは楽しみだ」
「私が琴を弾くの楽しみにしてくれるの?」
「もちろん楽しみさ。月夜に望美の琴を聴きながら夜を過ごすのも悪くないだろう?」
 ヒノエは望美と二人で過ごす穏やかな夜を想像して微笑む。
「そうねぇ。うん、私頑張るね!」
 望美も同じように、女らしく琴を弾く自分とそばにいるヒノエの様子を想像するのだった。




 

第十話                                   第十二話 

 


<こぼれ話>

 穏やかなひとときです。
 でもそれは嵐の前の……?

 さて、望美ちゃんは琴をちゃんと弾けるようになるのでしょうか?!
 2人で過ごす夜に向けて、練習だ!(笑)
 
 

    

   

  

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