桔梗は地面に落ちていた髪飾りを拾った。
ヒノエが望美のために買ったものだとすぐわかる。
揺れる小花の飾りは愛らしく、それは決して桔梗に似合うものではなかった。
桔梗は望美を見た。
淡い黄緑色の地に白い小花を散らした柄の着物。それはヒノエが望美のために選んだものだという。
髪飾りも、着物も、きっと身につけるものの何もかも、望美のために、望美が一番綺麗になるように、ヒノエが選ぶのだろう。
何よりも大切に、ただひとつの宝物として、大事にされているのが見ただけでわかる。
桔梗はこれまでのことを振り返る。
初めは幼なじみとして過ごし、気づけば夜を共にするようになり、きっと異性の中では誰よりも近くにいた時間は長かったはず。
しかし、その長いと思われる時間の中、何をしようとも、どんな手立てを考えたとしても、ヒノエは本心を見せてはくれなかった。
本心を見せないのは誰に対しても同じだったから、誰にも本心を見せないのならそれでも良いと思っていた。ただ同じ時間を過ごすことだけでも他の女性よりもあるのなら、と。
それなのに。
今目の前にいるこの女性だけがヒノエの心を掴んだ。
どうやってヒノエを心を掴んだのだろうか。
龍神の神子だからなのだろうか。
平家を倒し、源氏を勝利に導いたのは龍神の神子と熊野水軍の功績が大きいと言われている。共に戦ったことで絆が深まったのだろうか。
あるいは、たとえ龍神の神子と呼ばれても女であることには変わりない。桔梗が知る女達と同じように、手練手管を駆使してヒノエを誘惑したのかもしれない。
異世界から来た事を切り札として、自分が考えもつかない方法を使ったかもしれない。
しかし桔梗はすぐにそう考えたことに自嘲した。
どんな切り札があろうとも『誘惑』などというテが効くのなら、とっくにヒノエは桔梗の隣にいるだろう。
彼女は何もしていない。
ヒノエを自分のものにするための企てなど何ひとつ。
何もしていないからこそ、ヒノエの心は震えたのだ。
心は、きっと何もしなくても求め合うものなのだろう。
望美のまとう空気に、桔梗は目を細める。
見えるわけではないけれど、望美のまわりには澄んだ気が漂っているのが感じ取れる。
望美は視線を落としたまま、自分とは決して目を合わせようとはしない。
けれど、ヒノエに対しては心のままに真直ぐに向き合い、見つめるのだろう。
憎くて憎くて仕方がないのに、何の条件もなしにヒノエと見つめあうことのできる望美が、ただうらやましかった。
「頂点に立つ者が跡継ぎを為すのは当然の義務。子が産めないのなら子が産まれるように配慮するのも奥方としての当然の義務」
桔梗の言葉に望美の肩が小さく震える。
「その義務を怠ろうともヒノエは貴女を選んだ。ヒノエが繋ぐ熊野の未来ではなく、貴女というたった一人をね。周りが何と言おうとも、どんな答えであろうとも、ヒノエが決めたことがただひとつの正解」
桔梗は髪飾りを望美に差し出した。
「貴女の勝ちよ、奥方様」
『勝ち』とは一体何についてなのだろうか。
ヒノエが、緋名でもなく桔梗でもなく、望美を選んだという事についてだろうか。
誰かを想う気持ちに勝ち負けをつけられるものなのだろうか。
望美は差し出された髪飾りをすぐには受取らず、ただぼんやりとそれを見つめていた。
髪飾りを受け取ることは勝利を認める行為に思えた。
自分が勝ったなどと思う事は到底できない。むしろ逆の思いが心に広がるようだった。
望美がぴくりとも動かずに髪飾りを受取らずにいたので、桔梗は望美に渡すのを諦め、望美の隣にいた弁慶にそれを手渡した。
そしてヒノエの方に向き直る。
「これ以上はもう一切口出ししないわ。ヒノエにも女として近づかない。今後巫女として顔を合わすことはあるでしょうけれど。あなたといた時間、楽しかったわ。じゃあ、本当にさよなら、ヒノエ」
桔梗はそれだけ告げると、くるりと向きを変え、その場を去った。一度もヒノエの方を振り返ることなく。
「桔梗殿も望美さんに殴りかかったらどうしようかと思いましたが、これにて落着ということですね」
事の成りゆきを見ていた弁慶がつぶやいた。
その隣で望美は複雑そうな顔をしていた。
ヒノエもどう声をかけたらよいのか戸惑い、動けずにいる。
「……屋敷に帰ります」
望美は小声でそう言うのが精一杯だった。
第八話 第十話
<こぼれ話>
まだ関係を持っていなかった緋名に比べると、桔梗の方がツライですよね。
恋愛に、単純に勝ち負けをつけることは出来ないでしょうが、届かない想いであることを
認めなければならない現実。
どんなに想っても届かない気持ち。いっそ思いっきりぶつけて泣叫んだ方が
気持ちに整理はつくのかも。
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