未来になる

第六話 〜決断〜


 熊野本宮の最奥。
 そこで熊野においての主要人物が集まり話し合いが行われている。しかしそれは、それぞれに思うところがあり、話し合いは一向に進まないままだった。
「奥方と別れろと言うてるわけではない。今だ跡継ぎが産まれぬから側室をと申しているのだ」
「跡継ぎを為すのは別当としての義務ではないか。頂点に立つ者、側室を持つのは当たり前。側室の一人や二人いたところで問題になることではなかろう。何故ためらう必要があるというのだ?」
 速玉大社と那智大社のそれぞれの宮司が発言すれば、側室候補の2人速玉の緋名・那智の桔梗も黙ってはいない。
「5年経っても子の一人も産めないようじゃ、やっぱり、ねぇ。その点私なら、3人の姉様もそれぞれにたくさん子供を産んでるから、子には恵まれた家系だわ」
「あら、3人の姉様方とあなたは異腹の姉妹でしょう? 確かあなたの母君はかなりお年を召してからの出産ではなかったかしら? それも相当の難産だったと耳にした覚えがあるわ。あなたもその母君と同じ道をたどるかもしれなくてよ? お年を召してからお子が生まれるようじゃ今側室としてあがる意味がないのではなくて?」
 緋名が張り切って自分を売り込めば、桔梗が反論する。
「あなた、今年いくつになるんだったかしら? ヒノエ……別当殿より年上なんだし、それこそ私よりも高齢だもの、大変じゃないの? そのお年で嫁ぎ先が決まってないんじゃ必死になる気持ちもわからなくはないけれど?」
 向かい合わせに座った女二人が睨み合う。その視線に火花が散るようだった。
 言いたい放題の発言をヒノエは黙って聞いていた。
 いや、聞き流していたと言っても良いかもしれない。
 言葉を巧みに変え、遠回しながらもっともらしいことを並べ立てたところで意味はどれも同じである。
 熊野別当に相応しいのは自分だから退け、と。
 今にも取っ組み合いのケンカでも始まりそうな気配に、ヒノエはもううんざりしていた。
「あんな女が奥方になったのがそもそもの間違いなのよ。あ、そうか、あの女が『側室なんて迎えるな』ってごねてるのね? 熊野の人間でもないくせに。他所者が大きな顔するなっていうのよ」
「黙れ!」
 それまで沈黙を守っていたヒノエが叫んだ。
 それは緋名の不用意な一言だった。
 緋名にしてみればずっと心に思い続け我慢していた事を口にしたわけだが、それは絶対に言ってはいけない言葉だった。
 ヒノエの琴線にふれた一言。
 望美の存在を否定されるのは、ヒノエにとっては何よりも許し難い事だった。
 家族も友人も、それまでの生活の何もかもを手放して、身ひとつでこの世界に、熊野に、自分の元に残った望美。
 どんなに頑張ったところで、望美が失ったものは決して埋められはしない。別の何かが代わりになるわけでもない。
 だからこそ、この世界にしかないものを、望美と二人で紡ぎあい、新しく築き上げているところなのだ。
 何も知らないくせに、望美のことを勝手に語るのだけは許せない。
「ヒ、ヒノエ? どうしたの突然……」
「黙れと言ったはずだ!」
「ひっ」
 再度怒鳴るヒノエに、恐る恐る声をかけた緋名は身をすくませた。
「いい加減にしやがれ! 望美が熊野の人間じゃないだと?! 5年前、望美を熊野に迎え入れた瞬間からあいつは熊野の人間になった。その覚悟で望美は熊野に来たんだ」
 ヒノエの言葉に誰一人、口を挟められない。
「望美に子ができないと誰が決めた? 自分が次代を産めると何故わかる? 憶測で話をするのはもうたくさんだ! 今、熊野の未来を定められるのは誰だ?! 定められるとするならこのオレ熊野別当藤原湛増だけだ!」
 ヒノエの啖呵にその場はさらにシンと静まり返る。
「次代を決めたいのなら今ここで『オレ』が決めてやる! いいか、よく聞いておけ! この熊野別当藤原湛増に万が一の事があった場合、次代は『前熊野別当藤原湛快の弟』とする!」
「な、なんですと?!」
「ほ、本気で申されているのか?!」
 とても信じられないと、居合わせた者達は顔色を変えた。
 ヒノエは話を続ける。
「あぁ、オレは本気だ。こいつも熊野の藤原の直系だ。これまでの経緯はいろいろあるにしても、次代を継ぐ血の資格はある。ただし、現熊野別当藤原湛増とその妻望美の子が生まれたなら、その子を次代とする。 よって熊野別当藤原湛増は今後も側室を必要とすることはない! この決定に異論ある者はいるか?!」
 ヒノエの迫力に押され、その場にいた者で異論を申し出る者はいなかった。いや、申し出せるほどの気概を持った勇気ある者はいなかった。
「この決定は最優先事項だ。今後この決定事項に背くような行いをしたものは、重罪として処断する。以上だ!」
 そう言い切ったヒノエは襖を大きく開け放ってその場を出ていった。 
 しばらく誰もが圧倒されて口をきけずにいたが、やがて不満は声となる。
「じょ、冗談じゃない、こんな決定認められるわけが……」
「そ、そうだ。こんな……」
「さて。別当の決定は絶対だ。ということで、皆、お引き取りを」
「湛快殿!」
「オレは口出しせんよ。なにせ、隠居の身だからな」
 穏やかそうにそう言った湛快だが、有無を言わさぬ鋭い眼光は健在だった。
「言いたいことがあったなら、あいつがこの場にいるうちに言っておくべきだったな」
 今さらわめこうがもう遅い、と湛快は言うのだった。
 取り付くしまもない湛快の言葉に、その場に居合わせた者はしぶしぶながら承諾せざるを得ず、そして退出するしかなかった。
「……こんなの、こんな決定私は認めないわ!」
 緋名は怒りを露にしてその場を勢い良く飛び出した。
 やがて氷った表情の桔梗も立ち上がり場を後にする。
 そして最後に湛快と弁慶が残った。
「まったく、ヒノエも大胆なことを考える」
「本当に。僕に熊野を継がせたらどんなことになるか、ヒノエとてわからぬわけでもないでしょうに」 
 そう言いながらもどこか他人事のように弁慶は微笑んだ。
「いや、案外俺達よりも良い別当になるかもしれない。試しにやってみるか?」
「御冗談を。奥方を持たない僕が別当になって、また跡目争いに巻き込まれるのはご免です」
「なら、お前も奥方を迎えれば良いじゃないか」
「僕の隣に並べる女性がどこにいると?」
「どれだけ高望みをするんだか」
「心当たりは一人だけいたのですがね」
「相手は聞かないことにするよ」
「そうしてください。では、ちょっと僕はヒノエに苦情のひとつも言わせてもらいに行ってきますよ」
「ほどほどにしてくれよ」
 湛快の言葉に曖昧な笑みを浮かべて、弁慶はヒノエの後を追った。
 

 

第五話                                     第七話 

 


<こぼれ話>

 再び本宮にて、ヒノエ君が出した決断です。
 一番迷惑(?)被ってる弁慶さんは意外に冷静ですね(笑)
 この決断に、緋名や桔梗は黙って受け入れ……られないでしょう(^^;)