広い屋敷の中、ヒノエと望美が使う2人の室の続き間にヒノエ専用の一室がった。そこには古びた書や取り引きの見本とされていた小間物、その他、ヒノエが個人的に集めたものなどがあり、物置きのように使われている場所だった。
普段はあまり人が入らない場所ではあるが、今この時その一室には2人の人物がいた。
一人はヒノエ、そしてもう一人はヒノエより少し年上の青年だった。
ヒノエの前で膝をついて頭を下げているその人物は、顔立ちは整っているが印象は薄い。気配を押さえたその雰囲気は、すれ違ったとしても記憶には残らないだろうという不思議な雰囲気を持っていた。
どこよりも優れた熊野の情報網を担う烏の一人がその青年だった。
「報告は以上です」
「わかった」
ヒノエは短く返事した。
「いかがなさいますか?」
「わかりきったこと聞くな」
烏の質問に、ヒノエがにやりと笑う。
「手厚く迎えてやらなきゃな」
「御意」
光の入らないその場所で1本のろうそくが細々と灯る中、微動だにしなかった影がゆらりと動く。
烏は短く応えた後、頭を下げて一礼し、そして衣擦れの音も最小限に押さえて静かに部屋を出て行った。
「こんなに早くに片がつくとは思っていなかったぜ」
ヒノエは楽しげにつぶやく。
「今の熊野に来たというのがあいつの運命。オレにとっては好都合、利用しない手はないってな」
望美のためなら何でもする。
そのために誰を巻き込もうが構わない。
ヒノエの心にあるのは、望美のしあわせを守ることだけだった。
「ヒノエ君、奥にいるの?」
烏が出ていったのと入れ代わりに、望美の呼ぶ声が聞こえた。
ヒノエはろうそくを吹き消し、部屋を出る。襖を閉めたのと同時に、ヒノエの前に望美の姿が現われた。
「望美か。どうした? 何かあったか?」
「ううん、たいしたことないんだけど、コレとコレ、どっちが良いか選んでもらおうと思って」
望美は片手にそれぞれ持っていた2枚の着物を、1枚ずつ自分の身体に合わせた。
「今の季節ならこっちの薄緑色の方が似合うと思う。で、これ着てどこか出かけるのか?」
「久々に市でも見に行こうかと思って」
望美はヒノエが指差した方をもう一度身体に合わせながら言った。
「昨日熱があるとか言ってなかったか? 午後から暑くなるぞ、大丈夫なのか?」
「熱って言ってもそんな高くないし……」
「どれ」
ヒノエは望美の額に自分の額をくっつける。
確かに望美が言うように高くはないが、熱があるのがわかる。
「やっぱり熱あるぞ。今日は止めとけ」
「え〜、でも……」
「2、3日前にも吐き気がするとか言ってただろう? 人込みの中には行かない方が良いんじゃないか?」
「もう平気だもん。ヒノエ君あいかわらず心配性だね」
「オレの大事な姫君だからね。何かあったら大変だ」
望美が体調を崩すことはめったにない。だからこそちょっとした熱でも過敏になってしまう。大袈裟にはしないが、心中穏やかにはいられなかった。
「わざわざ市に行くなんて、何か欲しいものでもあったのか?」
「そういう訳じゃなんだけど、なんとなく」
「それなら、屋敷にいてオレの相手してくれない?」
「ヒノエ君、今日は出かけないの?!」
パァッと望美の顔に喜びが広がる。
望美のこういう顔を見るだけでヒノエは嬉しくなり、そして自分も笑顔になる。
「出かけないよ。ここのところ何かと忙しくてゆっくり話も出来なかったしね。今日は望美の好きなことにつき合うよ。何する? 碁、すごろく、貝合わせ、なんでも良いよ?」
「じゃあ、全部。今日は負けないからね!」
「いくらでもお相手するよ。でも負けたら『罰げーむ』だからね?」
「うっ。ヒノエ君ったら変な言葉覚えてるんだから」
初めに『罰ゲーム』と言い出したのは望美自身である。なので、ヒノエがこの言葉を使ったとしても咎めることはできない。
「ヒノエ君、罰ゲームがかかると力入り過ぎるんだもん」
「じゃあ、今日は『はんでぃ』をいつもの倍にしてあげるよ」
「ホント?」
「ああ、いいよ。それから、一度でも勝てたらこれもあげるよ」
ヒノエはどこからか花の飾りのついた髪飾りを取り出した。
「わぁ、可愛い」
先日望美のために買った髪飾りである。つい今日まで渡しそびれていたのだった。
髪飾りがよほど気に入ったのか、望美の手に力が入る。
「わかった。今日こそ負けないからね! いざ、尋常に勝負!」
「今日も勇ましいね、オレの姫君は」
望美もヒノエも楽しそうに笑い合った。
こんなふうに2人で過ごす時間が、なによりも大切だった。
第二話 第四話
<こぼれ話>
ヒロイン望美ちゃん登場〜。
5歳年をとっても高校生の時と代わり映えしてません(^^;)
罰ゲームって一体何をするんでしょうね?(笑)
|