未来になる

第二話 〜花選び〜


 熊野本宮大社からの帰り道、ヒノエはすぐに屋敷には戻らず市を覗いていた。
 見回りというほどではないが、行商に問題がないかを気にしながら、ヒノエは歩いていた。
 いつもと変わらず市はにぎわいを見せていて、特に気になるところはなかった。
 ふと小間物を置いてあった店先でひとつの髪飾りに目が止まった。
 小花をかたどった飾りがいくつか付いた髪飾り。
 望美に似合いそうだとそれを手にした時だった。
「ヒノエ!」
 突然後ろから抱きつかれた。
 誰かと思って振り返ると、気の強そうな瞳をした一人の少女がいた。
「こんなところで会うなんて珍しいわね!」
「緋名か」
「なぁに、せっかく会えたのにそんなイヤそうな顔をして。あ、わかった。父様からの書状、ヒノエ読んだのね?」
「書状? そんなもん知らねぇな」
 緋名は速玉大社の巫女であり、同大社の宮司の娘である。つまりは、さきほど破り捨てた書状に書いてあった側室候補の一人だった。
 それを理解しながらも、ヒノエは知らぬフリをした。
「いいから、放せ、緋名」
 腕にまとわりつく緋名を振りほどこうとするヒノエだったが、緋名は負けじとしっ
かりとヒノエの腕に抱きついていた。
「いいじゃない。どうせもうすぐ夫婦になるんだし」
「バカなこと言うな。誰がお前と。とにかく放せ」
「イ、ヤ。そんな顔してもダメだからね。私はず〜っとヒノエのこと想ってたんだから」
 若さゆえに加減を知らないというか、いつまでも緋名はヒノエから離れようとはしなかった。
「そのへんでおやめなさい、ヒノエが迷惑していてよ」
 16歳になったばかりの緋名とは対照的に、落ち着いた雰囲気の女性が注意を促した。
 声のする方を見てみれば、紺色の着物を綺麗に着こなした女性が立っていた。
 見知った顔に、緋名の顔は一瞬険しくなる。
「あら、那智の……。私達に何かご用かしら?」
「あなたに用はないわ。用があるのはヒノエの方。待たせたみたいね、ごめんなさい、ヒノエ」
 にっこりと微笑んだのは、もう一人の側室候補、那智大社の巫女の桔梗だった。
「待ち合わせ、してたってわけ?」
 緋名は睨むような視線でヒノエを見た。
「さぁ、どうだったかな」
 ヒノエははっきりと肯定も否定もしなかった。
「ふぅん、まぁ、いいわ。今日のところはこのへんで帰ってあげる。じゃぁ、またね、ヒノエ」
 緋名はグイッとヒノエの腕を引っ張ってヒノエの顔を自分の方へ引き寄せると、その頬に口づけた。
「緋名!」
「忘れないでよ! 大きくなったらお嫁さんにしてくれるって言ったのヒノエなんだからね!」
 悪びれもせず、緋名は笑顔で手を振って走り去っていった。
「いつの話をしてるんだ。それにオレがひとり身だったらって条件つけたじゃねぇか」
 すっかり忘れていた話を持ち出され、ヒノエはため息をついた。
「困ったものね、こんな往来で」
「ん、あぁ、桔梗、とりあえず助かったぜ」
「礼を言われるほどではないわ。だって私はあなたの……」
「おい、まさかとは思うけれど、おまえも緋名と同じことを言う気じゃねぇよな?」
「言って欲しくないのなら、今は言わないでいてあげるわ」
 首の後ろでひとつに束ねた長い髪を揺らしながら、桔梗は艶やかに微笑んだ。
「今は、ね」
「まったく、お前もあいつも何を考えてるんだか」
「あら、好きな人に嫁ぎたいというのは普通に女性が思うことでしょう?」
「嫁ぎたいと思うならもっと普通に嫁げ。相手はオレじゃなくたってたくさんいるんだから」
「ひどいこと言うのね。私は『好きな人に嫁ぎたい』って言ってるのに」
「お前を好きな男のところへ嫁げ」
 ヒノエにしては珍しく、そのやりとりは素っ気なかった。
「平行線ね。もっともヒノエが簡単に承諾するとは思っていなかったけれど。仕方ないわ、今日のところはこれで引き下がってあげる。でも、よく考えておいて。どうするのが一番良いのか」
「よぉく考えているさ」
 口調はいつもと変わらなかったが、ヒノエの瞳には冗談めいた色は感じなかった。
 桔梗はジッとヒノエの顔を無言で見ていた。しかし根負けしたかのようにやがて視線をそらした。
「……昔のヒノエとは違うって訳ね」
 桔梗はため息混じりにつぶやいた。その時、ふと、桔梗の瞳にヒノエが右手で持っていた髪飾りが映る。
「それ、奥方に?」
「ん? あぁ、これか。まあな」
「そう。私には、いいえ、どんな女性にも形ある贈り物をしなかったあなたなのに、奥方には贈るのね。うらやましいわね、ヒノエに愛されている奥方が」
「……」
「ともかく、良い返事を期待しているわ」 
 それだけ言い残して桔梗は去っていった。

 緋名と桔梗。
 どちらも昔なじみである。
 確かに昔は仲も良かったし、どちらかを嫁にという声もあった。
 しかし、ヒノエよりふたつ年上の桔梗はともかく、緋名はその話が出た当時まだ10歳にもなっていなかったのだ。どうして結婚相手として見れようか。緋名が口にしたお嫁さん云々の話も子守りついでに出た話だけのこと。本気なはずもない。それに成長した今だってヒノエから見れば緋名は子供にしか見えない。
 昔のヒノエはその場限りのつき合い方をしていた。女性とのつき合いはただ逢瀬を楽しむだけのものであって、生活を共にするという結婚そのものについて頭にはなかったのだ。もちろんその先も結婚にしばられるつもりはなかった。
 しかし、その考えを覆す存在……望美と出逢ってしまった。
 他の誰も目に入らないほどに惹かれ、誰よりも自分のものにしたかった愛しい存在。
 自分でも信じられないほどに、自分を変えた存在。
 その望美と出逢ってしまった以上、もうどんな女性であっても心に入ることはできない。
 それだけは確信であり、ヒノエの真実だった。
「おやじ、コレ包んでくれ」
 ヒノエは望美のための髪飾りをただひとつ選んだ。 

 

第一話                                     第三話 

 


<こぼれ話>

 オリキャラ登場。
 昔のヒノエを知る2人。どちらも手強そうだぞ!(笑)