どんな漆黒の夜でも、必ず明けて眩しい朝が来る。
どんなに迷った心でも、真実が見えれば答えは見つかる。
何もなかった真っ暗な空間から、望美はヒノエの元へ還りたいと一心に願い、足を踏み出す。
一歩進むごとに、何かが身体を蝕むようにじわじわと鈍い痛みが身体全体に広がる。
その痛みに耐えるかのように瞳をきつく閉じながら、それでも望美は途中で歩みを止めることはせず、前へと進んだ。
やがて急に痛みが取れ、身体が軽く感じられた。
痛みから解放された望美は、張り詰めていた全身の力を抜く。
その時だった。
「望美!」
さきほどよりももっと近くからの呼び声が望美の耳に届いた。
その呼び声に応えるかのようなタイミングで、望美はゆっくりと瞳を開けようとした。
少しだけ開かれた瞳に眩しい光が飛び込む。あまりの光の強さに一瞬耐えられずに再び瞳を閉じる。顔をしかめながら、やがて恐る恐るもう一度瞳を開けた。
瞳に映ったのは鏡の前にいた時の暗闇ではなく明るい空間。
ほんの少し前まで歩いていたはずなのに、自分の身体は横たわっていた事に望美は気づく。
不思議に思いながらも身体を起こし、顔を上げてみる。ゆっくりと視線を動かすと、望美の瞳にたった1人が映る。
他には何も映らない。望美の瞳はヒノエの姿だけを捕らえた。
そして、そのヒノエは真直ぐに望美だけを見ていた。
2人の視線が絡まったその瞬間、ヒノエは望美に向かって再度手を差し出す。
「望美!」
「ヒノエ君!」
そして望美もヒノエが伸ばす手に自分の手を伸ばす。
この時、望美の身体はまだ白龍のつくり出された透明な球体の中にいた。
そのため、望美の意識が戻ろうとも、2人はまだ別々の次元にいたのだった。
この状態のままでは2人は触れ合うことはできない。
しかし、ヒノエと望美の指先と指先が重なり合おうとしたその瞬間、望美を包み込んでいた球体が弾けた。
そしてその弾けた後には柔らかな光の粒が残る。複数に細かく分裂した淡く光るそれは、蛍火のように静かに漂うのだった。
ふわりと漂う光の粒は、球体とは違う形で望美を包む。不思議な力に支えられて空中に浮かんだ形となった望美は、まるで羽衣をまとった天女が空から舞い降りて来るかのようだった。
望美の手とヒノエの手が握り合う。
それと同時に、望美の身体は徐々に実体化する。それまで向こうが透けて見えていた望美の身体。その身体の持つ色が濃くなる。
白龍はその様子をただ眺めていた。
驚いた様子もなく、ただ静かに見守っていた。
望美が実体化したのは白龍が力を使ったわけではなかった。
ヒノエが心から望美の帰りを願い、望美が心からヒノエの元へ帰りたいと願った結果、望美自らの力でヒノエのいる世界へ戻ったのだった。
「望美」
触れあうことのできるその身体を、ヒノエは優しく、しかししっかりと抱き締める。
「……俺のそばからいなくならないでくれ」
振り絞るように苦しげに告げられた言葉。
その時、望美は触れ合った頬に何かが流れ伝わってくるのを感じる。
それはヒノエの涙だった。
深く抱き締められていた望美から見えはしなかったが、ヒノエの瞳から涙が一雫流れていた。
どんなにつらい事があっても、どんなに悲しい事が起こっても、望美の前では流される事のなかった涙が、今望美のために流されていた。
その瞬間、望美はヒノエを悲しませたことを大きく後悔し、そしてどんなに愛されていたのかを心から感じる。
望美にも自然と涙が浮かぶ。
そしてヒノエを抱きしめ返し、何度も頷く。
「ごめん……、ごめんなさい。私、もうどこへも行かない。ずっと、ずっとこの先もあなたのそばにいさせて……」
「当たり前だ。絶対に離さない。離すもんか。オレの隣に並べるのはお前しかいないんだから!」
抱き締める腕の力が一層強くなる。その強さに苦しくなるけれど、望美はその苦しささえも嬉しく思わずにはいられなかった。
直接伝わる想いの強さ。
それは全ての不安を打ち消す、ただ一つの真実だった。
「……ヒノエ君、ありがとう」
望美はヒノエの腕の中で、確かなしあわせを感じた。
しばらくの間、二人はお互いの存在を確かめあうように抱き合っていた。
やがて、望美の流す涙が落ち着いた頃、ヒノエはゆっくりと抱き締めていた腕をほどいた。「望美、帰って来てくれてありがとう」
向かい合って言われる言葉に、望美は軽く首を左右に振る。
「お礼を言うのは私の方だから。私を待っていてくれてありがとう」
ヒノエは優しく微笑む。そしてそっと望美の頬に触れる。
流れた涙を優しく拭う指先から、確かなぬくもりが頬に伝わる。そのぬくもりは、今この時が夢ではなく現実のものだと感じさせてくれる。
望美は心穏やかにしあわせを感じながら、ヒノエの手に自分の手を重ねようとした。
あと少しでヒノエの指に触れる時だった。
ヒノエへと伸ばされた手はぱたりと落ちる。
「望美?」
穏やかな笑みを見せていた望美が急に腹部を押さえてその場にうずくまる。
「……痛っ……」
「望美?! おい、しっかりしろ!」
望美の急変にヒノエは慌てる。
急いで抱き起こし、ヒノエは声をかけるが望美はかすかに言葉を紡ぐだけだった。
「ヒノエ……君、ヒ……ノエ……、ごめん……黙って……て……」
「何を謝っている?! 望美! 望美!」
何度も呼び掛けてみるが、望美は苦しげに眉を寄せ、額に汗が浮かぶばかりで、呼びかけには応えられずにいた。
ふいに、望美の足下を伝う赤い線がヒノエの目に飛び込んだ。
イヤな予感が頭をよぎる。
震える手でそれに触れてみれば、ぬるりとした感触。
指先が染まるそれは血だった。
「なんだよ、これ……。おい、望美、望美!」
何度も何度も望美の耳に自分の名前を呼ぶ声が届く。
突然の痛みに耐えられず、望美は意識を失いそうになる。
「望美! 望美!!!」
ヒノエにできることは、望美の名前を呼ぶことだけだった。
第十五話 第十七話
<こぼれ話>
やっとヒノエ君のところへ戻ることのできた望美ちゃん。
これでもう安心して……と思ったところに急展開!
突然の身体の異変に、望美ちゃんは耐えられるのか?!
ヒノエ君は助けることができるのか?!
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