その日は珍しく父湛快から呼び出され、朝早くからヒノエは自分の屋敷を出た。
てっきり本宅の父の部屋で話があると思っていたのだが、呼び出された場所はそこではなく、熊野本宮大社だった。
ただの個人的な用件で本宮は使わない。
父は、熊野別当藤原湛増としての自分に用件があることを理解した。
湛快はすでに本宮の一室で待っていた。
「わざわざすまないな」
「そう思うんだったら、そっちから来やがれ」
ヒノエは文句を言いつつ、湛快の前に座る。
「で、用件って何だ?」
「これを見てくれ」
湛快は懐から2通の書状をヒノエの前に並べた。
「これは?」
「速玉と那智の宮司からのものだ」
「内容は? 見たんだろ?」
「内容は、見たが……、まぁ、そうだな」
湛快は何故か言葉を濁す。
「手短に話せよ。どうせ今度の神祭の資金がどうとか、大方そんなところだろう? オレを通さずともそれくらい親父がやれよ」
「いや、そうじゃないんだ」
はっきりと言い出さない湛快に、ヒノエは次第にイライラを募らせる。
「一体、何が書かれているっていうんだ?!」
しびれを切らせてヒノエは書状のひとつを手に取り、広げた。
読み進んで行くうちに、ヒノエの表情が曇り出す。
「親父、これ……」
「そうだ。もう1通も同じ内容で、お前宛の婚姻申込みだ」
「婚姻申込みって、オレには望美がいるんだぜ? 何を今さら……」
熊野別当の婚姻ともなると、政略結婚は珍しくない。そのため、本人同士の気持ちはあっても、政治的な局面を考え、相手によってはまわりの重臣達に反対され、認めらないこともある。
しかし、龍神の神子との婚姻は熊野全体でも歓迎されたものだ。後ろ楯が何もないとはいえ、神職を重んじる熊野では、その色の濃い『龍神の神子』としての立場だけで十分だった。
祝言から5年経った今も、『龍神の神子』は望美の意志とは別に崇め奉られ続けている。いや、5年前よりももっと神格化され、誰もが一目置く存在になっている。
これまで一度として望美の落ち度たる事は何も起こってはいない。
それなのに、今さら何故別の婚姻を勧められるのか、その理由がわからない。
「今さら、というか今だからと来たというべきか。理由はちゃんとあるんだ。お前達の夫婦仲を疑うつもりはないが、子供がまだだろう?」
「それがどうした?」
「早く跡継ぎが欲しいんだとよ」
「はぁ? 何だ跡継ぎって」
「跡継ぎといやぁ、熊野別当の跡継ぎ、お前の次の代となる者だ」
「言葉の意味を聞いているんじゃねぇよ。オレはまだ別当を退くつもりはねぇぞ」
「もちろんそんな若いうちから隠居させるつもりはない。代替わりするかどうかは別としてだ、お前達が祝言を挙げてから5年になる。それなのに子供の話が一向に出ないとなると、噂したくなる者が出てくるんだよ。別当の妻は子供が出来ない身体なんだって」
「誰だ、そんなこというヤツは。ここに連れてこい! オレがシメてやる!」
「落ち着け。噂の出所なんて見つからないものだ」
「……っ」
噂というものはいつの間にか広がるものである。
書状を送られるということがなされるまでそれを知らなかったのは、ヒノエ自身の落ち度だったかもしれない。
「お前が望美さんにベタ惚れなのは周知の事実だ。だからなおさら噂になりやすいんだよ。まぁ、俺は別に二人が仲良く暮らしててくれれば何も言う事はない。お前達はまだ若いんだから、今から深刻に考える事はないだろう。ただ宮司どもにも思惑はあったからな。自分の娘を熊野別当に嫁がせたいってな。一時は『龍神の神子』が相手ではどうすることもできないと諦めたようだが、こういう噂が出たことでこれを好機と思ったんだろう」
「何が好機だ」
「どちらの書状も、正妻は『龍神の神子』だということは認めている。その上で娘を側室と差し出すというのだ。それぞれの立場上、側室ということには不満はあるものの、いずれ熊野を継ぐ子が産めるのならそれで構わないということだ」
「それじゃまるで子供を産むだけの道具みたいじゃねぇか。そんなんで、女のしあわせが感じられるかっての」
「女のしあわせ、ねぇ。お前がそれを語るとはな。さぞ、望美さんは女のしあわせってのを存分に感じてるんだろうな」
「うるせぇよ、余計な事言うな。とにかく、オレは望美以外の女と関係を持つつもりはない」
ヒノエはきっぱりと言い切った。しかし、湛快はそれでは引き下がらなかった。
「お前の気持ちはわかった。だが、お前は熊野別当だ。この件が『いやです』『わかりました』で済む問題じゃないってことは理解しているよな? 予想外とはいえ、出て来ちまったこの跡継ぎ問題、『お前』がどうにかしないといけないよな?」
湛快はどこか楽しげな雰囲気で口元に笑みを浮かべる。
「ちっ、面白がってんじゃねぇよ。とにかく、誰が何を考えようと、オレは望美以外の妻を持つ気はない。それが答えだ」
「何をする気だ?」
「何をしようとオレの勝手だ。オレを怒らせた事を後悔させてやる」
ヒノエは2つの書状を、それぞれ破り捨てた。
序章 第二話
<こぼれ話>
いきなり男2人親子の会話。華やかさがなくてすみません(^^;)
しかもサブタイトルも物騒ですみません。
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