ボンズと制作者による随筆2001年 (2000年/2002年) 

11/30

 工房には素敵な作品なのに、埃をかぶっていたりする。こんな作品が私の庭のあちらこちらにあったらさぞや楽しかろうと常々考えていたのだが、悲しいかな、購入するほどの資力がない。昨今のガーデニングブームで、洒落た置き物が売られてもいるのだが、やはり自分の庭にはどこかしっくりこないのだ。

 そこで考えたのが、ネット上の展覧会。第一回目はPippimamaの庭で開催するという名目で、御招待したのはボンズ先生の作品。了解を得てエッチラオッチラ、車で運んだ。次回は、もっとたくさんの作品を、庭のあちらこちらに並べて一日展覧会を開きたいと思っている。そうすると、問題はお天気なのだが.....。

 前から横から後ろから、じっくり被写体を見つめていると、とにかく可愛い。「自分の作品があることで、ほのぼのとしたなごやかな環境を作っていきたいんだよ」というボン先生の気持ちが良く伝わってくる。それにしても、ちょっと居ないと思ったら又バリ行っていたりして、「いいものを作るには心が豊かでなくっちゃ」なんて、いいなあ。写真を見たい人はここ。

 展覧会のリンクはこちら。

11/18

 今日、どこからかBonzeの名前の由来に関しての質問がメールであった。そう言えば、このことについてはまだ記録していない。「ボンズへの質問」の一番下になるが、付け加えた
このページから、質問ができるようになっているので、もっとどんどん質問して欲しいものだが。

 ところで、ボン先生、静かだと思っていたら「今バリからの帰途」というメールが飛び込んだ。人の心を和やかにするような良い作品を作るためには、自分が穏やかで豊かな気持ちにならなくてはならない。近ごろは新聞を見てもテレビを見ても悲しいことが多いので、バリに行ってたっぷり英気を養ってきたとか。

11/1

 作品39番「もっと飛びたいの」が昨日我が家にやって来た。本体は昼に私が車に乗せて、台はボンズ先生が工房の帰りに運んで来てくださった。なかなかしっくりくるけれど、買い手がつくまでのおあずかり。

 でもうれしい。氏の作品はどこかユーモラスで、これもドン・キホーテの雰囲気。よぼよぼじいちゃんが、ほっておいたら本当に崖の上から飛び上がろうとしてしまいそう。「いいから、屋根のあるここでぴょんぴょん跳ねてなさい」と声をかけている。

 今工房はちょっと静か。ここのところ、注文に応じて製作することがほとんどだったから、こんな時には、芸術家本来の製作意欲が頭をもたげてきているよう。さあて、どんな作品がでてくるかな?

10/9

 村野醸造に写真を撮りに行く。私はこの作品の顔が気に入っている。凛々しくて、写 真で御会いするボン先生の若いころを思わせるから。(今だって凛々しいことは凛々しいんですけど...)

 彼の作品には、子供や年令不詳の人物が多いので、こんな爽やかな青年が却って新鮮にうつる。それにしても、近頃の若者にこんな表情はみられなくなったなあ、などといった感慨は年代物のおばはんの心の歪みだろうか。

 生き方の多様性が許される素晴らしい時代だが、自由すぎて迷いの渦に巻き込まれる落とし穴も大きいような気がする。しっかりと目的の定まった目は、地味で堅実な努力の裏付けがあってこそ生気を帯びてくる。「些事に捕われず大きく生きよ」と、半世紀以上も生きた自分に改めて発破をかけた。ボン先生、良い作品をありがとう。

10/4

 その子さんの個展を終えて一息。後片付けを一緒したのだが、側に居ると、奥様へのさりげないやさしさが伝わってくる。

 仕事は途切れずにあるのだが、工房はなんだかちょっとお疲れムード。次にドカ〜ンと大きな仕事でも来そうな気配もないじゃないので、少しは皆さん中休みをどうぞ。「えっ、それどころじゃあないって?」ボン先生の声が聞こえてきそう!じゃあ昔のお顔でも見て、ひと休み!

9/20

 工房を訪ねると、ひとりポツンとテノール歌手のCDを聞きながらデッサンをしている。次のプロジェクトの下絵とか。いつもながら、うまい!

 無から有を創りあげる作業の一旦を垣間見る。無機的なセメント空間に自分の作品をどう調和させ、どう変化させるか。緑があるのに緑が生きていない空間。そこにデッサンの作品が置かれたら、地域の人がそれをどう受け止めどのように接するか。

 辺りに植える植物の話などをしながら、ベンチの高さ大きさ、照明の数や位 置と話が弾む。

 明日はその子さんの個展、オープニングパーティー。ボンちゃんはもちろん応援に駆け付ける。

9/9

ボンズよりpippimamaへのメール
 秋になったせいか、疲れが出てきたみたい。やっと落ち着いたかなと思ったら、付き合いで酒の席が続いています。昨日は、午前中立川で仕事、道具を庭に持ち 込んで、行田の壊れてしまった人形の顔作り、やっぱり、もう自宅では音を出せないね。
  午後から、素敵な女性4人と、ゆりかもめでお台場へ、おしゃれなところでお食事会。しかし、また太ってしまう。宿題を終わらしてないで遊んでいるこど ものようだ。

 Pippimamaより
  パーティーの席にボンちゃんが居ると、明度が一段と高くなりあたりが活性化してくる。存在することで周囲の空気をなごやかに変えていくのは、Bonzeの作品だけじゃなく、本人も。あっそうか!ボンちゃんは自分の体がひとつしかないから、人形にして全国にばらまいているのか!
 そういえば、工房にあった行田の人形、とうとう自宅に持ち込んだんですね。

9/7

 銅楽展にはとうとう行けなかった。開催の翌日から、仕事で京都に出かけなくてはならず、なんとか初日に行って写 真を撮ろうと計画していたのだが、体調をくずして大事を取ってしまったから。
 昨日工房を訪ねると、疲れた様子のボン先生と澄ちゃんが、けだるそうに仕事をしていた。オープニングパーティーには百人を越す人達が集まったのに、作品の写 真は誰も撮ってくれなかったとか。

「ボン先生は何をしていたの?」
「 デジカメの電池が切れていたのよ。」
「 子供みたいなことを言って!]
 でも、スナップ写真はここにありますから、一部の人達だけれど会いたい人はどうぞ。

8/23

 立川、村野醸造の「醤油を作る人」の設置直後に写真を撮りに行く。凛々しい顔だち、動きを感じさせる体、持田君の作った醤油樽、屋根の下に取り付けられた家紋、鳥。和の庭にしっくり調和している。設置直後、造園家が待ってましたとばかりに、大きな石を埋込みはじめた。
 残念ながら、除幕式には参加できなかった。

8/21  工房は銅楽展に向けての準備で活気に満ちている。時々しか顔を見せない面 々もそろって、空間の隅々にまで生気が満ちあふれているよう。とは言っても、ボン先生の仕事のペースはあいかわらず。アシスタントは自分の事で大忙しなので、黙々と明後日取り付けの「醤油を作る人」の仕上げに入っている。
8/3

 銅楽展の案内ができあがる。鳥をテーマに、工房の仲間達、友達、総勢15人の参加となる。

 青梅は暑い。冬が寒いと思ったら夏もしっかり暑い。ここのところボン先生からはあまり連絡がないのは、暑さで時折動けなくなっているらしい。かとおもうと、ちょっと涼しい日には、どうやら工房に泊まりこみで仕事をしているらしい。あいまいな書き方になっているのは、こちらもへばって、炎天下には部屋に籠っているからである。

 明日は青梅の花火大会。ボン先生、にわかに元気がでて存在感がはっきりすること請け合い!

7/15

 空梅雨のまま梅雨明け宣言、焼け付くような日照りが続いている。今日は園子さんの誕生日をかねて鮎パーティー。人懐っこいボン先生が、おでん屋さんで友達になった人達も呼んでの賑やかな会。炎天下で鮎の塩焼きをつくりながら赤い顔をしているのは、ビールも泡盛も日焼けもいっしょくたになっているから。お誕生日の乾杯をする時、園子さんが「やっと20才になりました〜」というと連れて行った友人の子供達はキョロキョロ。遠慮がちに「ねえ、20才の人ってどこに居るの??」
 それにしても、釣りたての鮎は風味も香りも抜群!舌鼓を打ってお酒の飲めない私は早めに退散した。(肝心の園子さんは工房の中でした!)

 今日の行事も例によって「忙中閑あり」の類いで、工房では引きも切らずに注文に追われている様子。企画段階からのプロジェクトに参加することの多いボン先生は、打ち合わせや会議への参加に忙しそう。こういった気のおけない人達と共に過ごす時が、何より心の充電となるのだろう。

6/16

 福生市の和田邸への設置に同行した。そしてまたひとつ教えられることがあった。
私の目的は写真を撮る事、だから設置が終わってから連絡をしてくれるように頼んであった。が、当日は近くのレストランでの昼食前に一度、そして和田家に行く直前にもう一度連絡が入った。せわしなく動き回る私が、予定時間前に家に居る訳がない。が、2度目の連絡の時には家にいて、ちょっと不本意ながら出かけていった。
 実際に自分の目で経過を見るということは、第三者の目を通し咀嚼された情報とは違い、ナマで入ってくる。同行しても私には何もすることがない。棒切れのように突っ立ったままで、ボン先生がアシスタントと共に、依頼者の要望に合わせながらマラドーナを台座に取り付ける間の会話が楽しかった。奥様は乗馬をなさるらしく、馬にまたがるマラドーナの角度になかなか適格な注文を御付けになる。フムフム、ムニャムニャと相槌をうちながら、座りの悪い銅の固まりを動かしてはズルン!持ち上げてはズズン!やっと台座に固定したら足場が砂利で不安定。
 芸術作品を製作している氏だが、こうして最終段階までの「作業」がすべて作品の価値に関わってくるので手抜きができない。 ひととおり終わると玄関からのアプローチをたどって、遠景からの様子を観察。そこでやんわりと、「下を.....した方がいいですねえ」とひとこと「決め」が入る。
 作品は個で存在するのでないから、常にそれが置かれる場の状況を考慮に入れてテーマを決めていくということは常々聞かされていたが、ここでもその鉄則が入っていた。一流の建築家の手になる和風の建物に不思議とスペイン風の作品が馴染んでいる。確かに和風の庭によく使われる黒の玉 じゃ利はそぐわない。

 夜はボン氏の作品「大きなけやき」のある、立川幸公民館でのチェロコンサートに娘と同行した。自分の作品の前で、我が子を愛おしむように、ながいことおしゃべりをするボン氏の背中が温もっていた。

5/31 カメラマン大隅氏からの写真「風に向かって」が届く。望遠レンズを使っているので臨場感があって面 白い。町と作品の立川のページにこの作品を追加した。5月も今日で終わり、庭仕事の忙しくなった編集者だが、そろそろボンズ工房の様子を取材に行く頃と考えている。
5/25

 立川北口の「風に向かって」が写真入りで読売新聞に取り上げられていた。このサイトの「ニュース」で取り上げて、このモニュメントを説明しているページに手を加える。

 立川の北口には建設初期から、大きく交差する鉄のパイプが人の目を引き付けた。やがて水色に塗られて、これが広場を支える構造的な意味を持つのだと分かったが、一種独特の造型物である。 新聞には、ボン先生の作品と、この超近代的な作品の写 真が対角状に掲載されていた。ふたつを暫くじいっとみつめた後、改めてボン作品の写 真をみると、「こ、こ、ろ」がじんわり伝わってくる。暖かみのある人柄って作品にでるもんだなあと、改めて感心する。
 

5/21  ボンズ工房はなにやら忙しそう。忙しいのに、ボン先生は時折パソコンの前に座ったきりになっているらしいい。ISDN回線も引いてあるので、何が何でも工房でも使いこなそうとの意気込みのようだ。じゃまをしてはいけないと、草々に切り上げて、現況を聞き損なった。
5/11  ボン先生がノートパソコンを購入、安定してメールを使うようになったので、メールを直行できるようにする。彼が直接、多くの人達と連絡をとるようになったと思うと嬉しい。
  預かったスライドをやっと焼きつけたと思ったら、よごれがあって焼き直し!
4/24

 写真家の:大隅さんから文教大学に設置した作品の写真がメールで届く。

このページを作るが、説明がないままアップロード!バリの写真もできているのに報告も書けないよ〜。ニュースじゃなくて古ニューになるぞ〜。

3/23 宮代町農業公園入り口のシンボルとして位 置付けられたモニュメントが完成。
3/13

 今、工房では宮代町のプロジェクトに忙しい。「農に光 あれ!」というタイトルでモニュメントを設置するとのこと。(設置場所の写 真はここをクリック )

 ボン先生は愛知県立芸術大学の講師もしているけれど、23日からは学生達とバリ島に研修旅行に出かける。報告をお楽しみに。スケッチをたくさんしてくるとのことです。

3/1

 ひさしぶりに工房を尋ねた。「近頃ちっとも更新してないね」とボン先生。

どうして、そんなに街造りに情熱をかけられるのだろうか。彼の熱弁が続く。

 生活って何だろう。あちらこちらと居を移して、故郷と言える街のない私には良く分からない。お隣さんがいて、歩けば挨拶を交わす御近所があって....

 私は、ともすると、家族以外のだれとも会話をせずに過ぎる日が何日も続く。誰かに会いたくなると、家から目的地まで直行する。それが車であったり、電車であったり。いずれにしても、地域という中間帯は移動のみにあってそれは無機機的な空間でしかない。買い物をする場すら、商品と私の間の関係であって、人間臭さとは程遠い。

 今私の住む福生の街はどうなんだろう、と考える。幸い多摩川があるので、かなりの緑地帯に恵まれているが、街の景観という点では、ばらばらで見られたものではない。隣組みの活動も形骸化してきている。誰もが忙しいから、隣組みの活動には若い人たちの協力がなくて困っている。子供達は習い事で忙しい。

 そんなことではいけないのだろう。いけないのだけれど、この無干渉生活が私には心地よい。

 そんなことしていると、大通りで困ったことがあって叫んでも誰も助けに来てくれないよ、とボンチャンに言われた。

 そんなボンチャンとおしゃべりをしたら、心がぬくぬくしてきた。

 私は、美味しいものだけをつまみ食いしているのかも知れない。だから、そのうち骨が咽に詰まるかも知れない。ア〜ンと泣いてもだれも助けに来てくれないかも知れない。

2/14

「僕とともだち」 完成。 かねてより制作していたモニュメント「僕とともだち」が完成しました。 川口市にある、14階建てのコスモ川口栄町というペット可のマンションの二階部分で、銅板彫刻もあわせて6基の作品が取り付けられています。 設計は森建築設計研究室。川口の鋳物も素敵にとりこまれ、20年に渡る街作りに、さらに新たな展開を示しています。 「僕とともだち」にはこんなメッセージがブレートされています。 『キューポラのある街といわれた頃、ここも鋳物工場だった。真っ黒になって額に汗して働く大人たちがいた。そんな姿をみながら、僕達は元気よくあそんでいたんだ。友達がたくさんいて....』 (ボンズ)

近頃ボンチャンは、アイモードでメッセージを送ってくる。内緒だけど、ここをみた人には、教えちゃおうかな。<09046774295@docomo.ne.jp>
私は、よそのホームページ翻訳の仕事やなんやがあって、暫く工房を尋ねていなかった。ごめんね。

今日やっと、序幕式の写真ものせましたよ。

1/14

ボンチャン、ごめんなさい。12日の「風に向かって」の序幕式に写真を撮りに行くはずだったのに、行けなくなりました。

それにしても、誰かいたでしょうに!
誰かにカメラを渡して撮ってもらえなかったのかなあ。

誰か、こんな時のボランティアをかってでる人いないかな〜。募集いたします。

1/7 21世紀を迎えました。温くみ、癒し、育み、のテーマで銅の力を借りて銅板造形を続けていい作品造りに励みます.1月12日には、立川駅北口デッキに塩田明仁と共作のすてきなベンチと銅板彫刻、INTO THE WINDが完成です。(ボンゼ)
1/6

そうか、ボンチャンの書いたものが見当たらないのか。

今日彼が仕事帰りに立ち寄って、そんな要望があると話をしていた。

「iモードで送るからさ」とのこと。これから、彼からのメールをここに載せることになりました。

と言うわけで、今日から、このページを表に出すことにします。リピーターの方はこのページをに直行するブックマークを作ってくださいね。

メール歓迎です。

1/2

 なにかをすると、なにか新しいものが見えてくる。
ボンチャン、その子さんのページを作りながら、彼等と対比的な生き方をしている自分が見えてきた。

 昨年中にボンチャンが、私を形容するのに使った最多単語は「貞子さんはせっかちなんだから〜」でした。
 よ〜し、今年はふたりの、のんびりペースにうまく適応してみせるぞ〜。

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