ウダツがあがる、あがらない考
いつの頃からいいだしたのか、またどのウダツを指すのか良く分からないようです。
あがると言うからには垂れ下がった袖壁ではありえないでしょう。
奈良のほうの人のなかでは、大和造りの屋根をもって、ウダツがあがるの語源だと主張する人もいます。

本によっては棟木を支えるウダツ、ウダチという短柱の部材が押さえつけられている格好から、ウダツがあがらないと言うようになったとあります。この説はかなり影響力をもっています。
しかし、このような部材は大黒柱のように頼りになる例えになっても、あがるとかあがらないとは言わないような気がします。もともとあがることは考えられない部材ですから。

あがる、あがらないという言葉から感じる事は、比較的容易に上げ下ろしできるというか、後付けでも取り付けられるような語感があります。
本ウダツを眺めてみても、どうもあがると言う言葉より建てるといったような言葉がふさわしいようです。

ウダツがあがるということばからは、どうも装飾的で非実用的なものが該当するように思います。
そんなことから、あがるあがらないというのは袖うだつのことを指すのではないかと思っています。とくに袖ウダツの装飾性は目立つものがあり、本来の目的の防火機能はあっさり忘れられています。彫刻や彩色まで施され、相当の成功者でないとつけられなかったことでしょう。
昭和になっても、また、戦後にも大阪の商家に袖ウダツがつけられ続けていることも、ウダツがあがるイコール袖ウダツをうかがわせます。
しかし本ウダツにも美濃のもののように装飾性の強いものもあり、悩ましいところです。
うだつ妄想
ウダツの変遷考
・洛中洛外図のウダツはなんじゃ
ウダツ様のものの下に柱がなく、壁もなさそうのが悩みでしたが、いろいろ考えた結果、あれはウダツというより、単なる雨よけではないかと。長屋を作るときに妻側に増築を重ねて長屋になっていき、屋根を前の家の屋根につなげる時に継ぎ目から雨が洩ることになる。そこに小さな屋根をかけたのではないでしょうか。

・本ウダツの機能変遷
先にも述べたように、ケラバの屋根材を風から守るためのものから始まって、防火壁の役割を持つようになったとしても、装飾目的がやはり最後の機能でしょう。防火の意味のないところについたもの、板壁のもの、但馬地方のは1軒屋についているし、急速に装飾目的に転化していったのでしょう。特に美濃市のものは美しいシルエットを出しています。

・袖ウダツの発生
これも防火目的で推奨されたそうですが、瞬く間に装飾化されていますね。
完全な妄想ですが、本ウダツの情報と袖壁の伝聞情報が混ざって、比較的最近といっても江戸末期ごろ四国で作られたものではないでしょうか。例えば、こんな風に。
  防火壁で屋根の妻の上にたちあがっていたよ。  (本ウダツ)
  いいや、防火壁だけど、1階と2階の間にある壁だったよ。  (袖壁)
  うーん、それじゃ、こんなものかいな。  (袖ウダツの発明?)

・大和風ウダツ
これは大和高塀作りの萱を風から守るためとあるいは瓦との継ぎ手の雨よけとして作られたものが、デザインとして瓦だけの屋根にも設けられるようになったとおもいます。低い本ウダツ様でよく見ないと気がつかない程度のものです。しかしケラバの瓦をしっかり守っているようです。
そういえばケラバ瓦の役ものは使っていなかったようですが、未確認。
本ウダツとは全く別に発展したウダツではないでしょうか。