今日はアッ!とビックリ驚かされる無責任、コソクな先生に出会った。
あ〜あ、教育現場が荒れている一面を覗かしてもらった ^^;
先生はこんな感覚で生徒と向かい合っているのでしょうか?
こんな先生に習ったら私はグレていたでしょう、登校拒否かな(^^ゞ、彼らの心情がよくわかった(^o^)V
校長に抗議し見解を問うている (-_-メ)



11月9日に志賀中学生が授業の一環で職業のひとつとして「たぬきの薬屋さん」を見学したいという事なので、
受け入れたところ、後日、御礼の500円図書券を同封した見学発表授業参観のお誘いがあった。 
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今日11月21日にその参観があるので、中学校に行ってきたら、私に要請文をよこした学年主任がいたから、
その先生に私は話しかけました、

「御礼の図書券(500円)を返したい、金券で御礼をするのは良くない!!、学校はどう考えているか
参観が終わった後聞きたい」と申し入れたところ。

その場で学年主任は
「 図書券受領の御礼を電話で言ってここられる方もおられるから、それで良いと考えている」 との内容の、
いいわけがましい事を述べ立てたので。

「その考えは学年主任の考えとしてお聞きしました」と言うと。

「今言った事は私の言葉ではない」 と意味不明の事を言うので、

「あなたの口から出た言葉は、いったい誰が言った言葉なの??」問うと

「私個人としての言葉です」とコソクな責任回避的言葉を言うので。

「学年主任として責任を持った態度を取れ!!」と怒り飛ばしました。


見学発表参観の後
校長不在のため教頭に面会し次の二点を伝えた。

一つ目::
「カネメの物で感謝を表そうと教育者がするのは、下の下のやり方である、もっと別な感謝の表現の仕方があるであろう、
金まみれの日本でこの様な感謝の表現を教育者からされてもちっとも嬉しくない、よって500円の図書券返却する。」
「私は職場訪問の発表会に呼んでもらったのもプログラム参加者連帯の表現であると受けとている、また訪問した
学生一人一人にも、感想文を持って来る事を依頼している。」

「感謝はカネメのものでとの発想は今日の教育者として良い発想ではないとは思わないのか??」
学年主任は理由の一つとして「連絡の電話代もかかっている事だし」との数十円理由を言っているが、
お話の準備の時間や資料の印刷、1時間に及ぶお話の善意の労力をどう評価するつもりなのか??」

「そのような善意に対してカネメのもので教育者が謝意を表そうとすることには反対し抗議し、学校長に見解を求める。」

二つ目::
学年主任と私は、今回のプログラムを企画・遂行した者、対、プロジェクトに参加・協力した者、という立場で
対話していた以外なにものでもない、それであるにもかかわらず、学年主任は自分が発した言葉の責任を確認されると、
急にオドオドと「今言ったのは私の言葉ではない」と、意味不明の発言をした。

さっきの学年主任の言葉は神のお告げででもあったのか、天声か??( 笑 )

問い詰められると学年主任は「私個人としていった言葉である」と、見当違いな変な言い訳をした。

.「学校内でこの様な条件下の話は、学年主任をしての立場以外には考えられないであろう??」と教頭に問いただすと

「そのとうりです」と教頭は認められた。

「保護者や生徒など進学を人質に取られている弱い人たちにの上にこの様な教育者がいるのはどうかと思う。」

「いった言葉に責任が生じると、すぐに教師としての発言ではない、などとコソクなせ責任逃れをする教師は
教師としてましてや学年主任という適性を欠いているのではないか??
以上の事を学校長に抗議し見解を求める。」

まことにアホラシく、日本の教育が荒れている原因の一つを垣間見た以上のような大要のことがあった。



 


 本日11月24日中学校校長がたぬきの薬屋にお話に来はった。


「えらい失礼なことをしましてご迷惑かけました」と校長は全面的に非を認められていました。

そこで、学年主任は当然学年主任という立場で話したのにもかかわらず、個人的な立場で話した事について、
(上記の二つ目::)きちんと自分の非を認め反省しているのか? と聞きますと。

「学年主任は自分の非を自覚していない」 といわれたので。

「学生や保護者が当然先生と話していると思っていても、学年主任自身は個人的な話をしていたら大変なことですね」

「こういうカンチガイの人をホッテオイタラ、学生や保護者に被害者が出たり事故が起こったりする危険性があるから、
責任を持って、校長は学年主任を指導してください、彼が非を認め、反省したかどうか教えてください」
とお願いしましたら、了解していただけました。
 
 

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