waves.branching.particles
(波・分岐・粒子) Op. 4.0
作曲期間 2000年
編成 オーケストラ(2(1picc)+picc, 2+ehrn, 2(1bcl)+cl in Eb, 2+dbn/
4, 3, 3, 1/4perc/cel/hrp/pf/16, 14, 12, 10, 8)
演奏時間 11分(初稿)
修士修了作品として芸大大学院に提出されたオーケストラ作品。学部の作品は選ばれれば学校のオーケストラで鳴らしてもらえるが、修士の作品は学校の外で自ら機会を作らなければ実際に音になることはない。世知辛いものだ。云々。 前年に発表したオーケストラ曲「『表現』から遠く離れて」では、オーケストラというものを音現象として意識することがそれほど掘り下げられはしなかった。つまり、「こういう風に重ねたらどういう響きが生まれるのだろう」といったような興味のことだ。勿論その意識がなくはなかったが、書き進めるうちに次第にオーケストラを単に一つの塊として扱うようになってきて、その結果かなり古典的にオーケストラの「鳴る」曲になってしまった。それ自体にはカタルシスもあって、充実感はそれなりに得られるのだけれども、自分の興味が既に違う方に向いているのだと確認せざるを得なかった。 曲全体のテーマは題名に既に全部現れている。つまり、「波」的な現象をさまざまな形で音によって描くこと(ここで云う「波」とは、別に水面に起きる波のことではなく、周期的な運動全体を漠然と指すものと理解されたい)、且つその波を構成する要素が、単体なのではなく、微少な多数の要素の寄せ集めであり、各要素の波動が互いにずれていくことによって、それら各要素が独立した「粒子」の性格を持つに至る様相、そのようなイメージを音化することが眼目となっている。 この構想から出発して、幾種類も場面のイメージをスケッチし、それらを繋ぎ合わせてバランスを取り、最終的な全体を構成するという順序で作曲は進められた。 そしてまたこの作り方で浮き彫りになってきたのが「全体の構成」という問題である。細部にこだわった結果、特にそのことに意識的でなかったため、全体を眺めてみると「盛り上がっては鎮まり、また盛り上がる」といった、ありがちで安易なものに収まっている印象が否めない。盛り上げ方も、「いかにも」という感じがする。これでは前作の繰り返しになってしまう恐れがある。改作にあたっては、安易に盛り上げず、曲全体にとって必然的な展開というものを今一度考えなくてはいけないと思う。…何だかコンクールの審査員みたいなことを云ってるな。まぁいいか。 ともあれ、未完成であるにはせよ、これが完成したら、かなりの度合いで「自分のやりたいこと」がやれている曲になるような、漠然とした確信がある。楽観的なことだ。楽観的なのは、多分今回は、そう悪いことではない気がする。(17/01/2002) |
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