metallic capricorn Op. 3.1.1

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作曲期間  1999-2000年
編成    パーカッション
演奏時間  17分
初演    2000年1月 東京,東京芸術大学奏楽堂,平形真希子(perc)
改訂初演  2000年12月 東京,サントリー小ホール,平形真希子(perc)

芸大の同期生で打楽器科の友人である平形真希子の委嘱による。
話の発端は、学内演奏会で私が彼女の伴奏をしたことに始まる。ある日の練習で、翌年(2000年)1月の卒業審査演奏会で新曲が出来たらいいなぁと彼女が何気なく口にしたのだが、それが指導教官の有賀誠門先生の耳に入って賛同を得られ、具体化する運びになったのだった。

初演の済んだ後、作品は幸い先生に面白がっていただけたので、先生の企画するサントリーホールの新人デビューコンサート・シリーズ「RAINBOW 21」のプログラムとして使ってもらえることが決まった。それに際して、間合いなどに少し手を加え、2000年の12月に改めて最終的な稿を上演してもらった。直してから再演してもらえるという機会もなかなか稀なことであり、この機会を作って下さった平形さんと有賀先生には多大な感謝を捧げなければいけない。

曲は、確信犯的な「表現」の音楽であるという点で、前作「『表現』から遠く離れて」の延長線上にある。ただ、ピアノを除けば初めての独奏曲でもあり、時間的な演出という側面がかなり重視され、仕事としては大分異なった性格を帯びた。意識としては「音楽のア・プリオリな『表現』力」を信じて作る格好に自然と近づいていった。

そう、前作の副作用として、「表現」してしまうことと「表現」を「選ぶ」ことの境目が自分の中で曖昧になって来かねないということがあったのだ。音楽は長い間「表現」と非常に親しかったので、「表現」することには半ば刷り込みされた快楽がある。その快楽に馴れてしまうと、つい「選ぶ」ことを忘れて、ただ素朴に「表現」してしまうことになりかねないのだ。それもいいけれど、そればかりに没頭してしまうと、自分の本来的な指向からずれて来かねないという自戒は忘れたくないものだと思う。

この曲で使われる楽器数はけっこう多い。列記すると次の通りである。
スレイ・ベル、風鈴、リン(仏具の鐘)×2、トライアングル×2、フィンガー・シンバル、チャイニーズ・ゴング、サスペンデド・シンバル、鉄塊、アンティク・シンバル(2オクターヴ)、シマントラ(調律が12平均律によらない鉄琴型の楽器)、テューブラ・ベル、ヴィブラフォン、スイス・カウベル×7、タイ・ゴング×6、タムタム。
金属製の楽器だけを使うというのが最初からアイデアとして打ち合わせで決まっており、使えるものを取捨選択するために何回か楽器部屋を訪れ取材した。それぞれの音を鳴らしてもらったものを録音して持ち帰り、聴きながら作った。八村義夫の「星辰譜」や「Dolcissima mia vita」の存在が勿論脳裏にはあったが、不必要に影響されたくなかったので、敢えてこれらの作品を突っ込んで研究することは避けた。

ヴィブラフォンとテューブラ・ベルのソロ部分は必ず作るという具体的な注文もあり、曲の構成はオーダー・メイド的部分も結構ある。第1の部分はタイ・ゴング、後からスイス・カウベルも加わり、微分音的音程を持った楽器群がフィーチャーされ、シマントラを経てヴィブラフォンに収斂する。第2の部分はヴィブラフォンのソロが急・緩の順で続き、第3の部分はテューブラのソロになる。タムタムや鉄塊を加えた高潮を経て、最後の部分はアンティク・シンバルからタムタムまで最弱奏できわめて緩やかに下降する部分で鎮まりつつ終わる。

この作品では初めて音に身を任せて曲を作ったという感覚を味わった。そんな当たり前のことをと驚かれる向きもあるかもしれないが、私には珍しかったのだ。それがいいとも悪いとも思わないが、とにかく新鮮ではあったし、ある意味の快楽はやはり強くあった。ただ、当たり前のことをやっているなという感覚も一方でどうしようもなく湧くものでもあり、あくまでパレットの一つと捉えて次の活動へと繋いでいきたい。
ちなみに、題名は「金属製で山羊座生まれの曲」という以外の意味は特にない。(03/01/2001)

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