薄明かりの淵から(3)         

  文字通り生死を分けることになった僕の脳腫瘍手術は無事成功し、なんと2週間ほどでもう退院してもいいよ、と言われました。例の「ぼけ」状態もすっきりとしてきて、何となく視界が明るく広くなって、車椅子で頻繁に喫
煙室に通うこともでき、一階のレストランへ毎日コーヒーを飲みに行くこともできるようになり、看護婦さんのあの質問にも難なく答えることができるようになりました。
 これは入院期間だけ考えればほとんど盲腸の手術と大差はないことになり、自分でも信じがたい思いです。それにしても、同じ国立の大学病院なのに、かたや死を待つしかないという診断でまさにホスピスの最終段階だったのを思うと、北大病院の卓越した技術には敬意をもって驚くとともに、医療機関同士での相変わらずの横つながりのなさに腹も立ち、あきれかえりもします。
 医師達の「学会」というのはいったい何を論じあっているのでしょうか?他者の発表論理に本気で対応するということがそんなにむずかしいのか?それほどに旧態依然として組織防衛にかりたてられるしかないのか?
 「うちじゃダメだがあの病院へ行けばなんとかなる」と、直接患者に伝えるのはおそらく病院のプライドや経済的理由が許さないのでしょうが、それとなく情報を手渡してやる位のことならば一医師としての立場でも可能なのではないでしょうか?それぞれの分野にボスがいて、その下にばからしい系列ができていて、くだらんプライドが支配して、企業間競争のように機密保持が必要で・・・と、いやなことばかりが連想されて仕方ありません。これは一般企業ならまだしもやむを得ないことなのかも知れませんが、人間の生死を託される大病院がそんな有様では情けないことおびただしいと思うんです。
 ある芝居の脚本で医師のセリフとして「あなた達患者はベルトコンベアに乗って運ばれてくる不良品のようなものなんですよ」というのがあります。人間をモノ扱いするだけでも当然クズ医師ですが、それならその修理屋としての医師はどうすれば不良品の欠陥部分を直すことができるか必死で修行を積むべきであるし、お偉いボスに伝授されたモノばかりでなく、この情報化時代のメリットをあらゆる垣根を飛び越えて最大限に取り入れ続ける義務があるはずでしょう。
  そして今や僕ら患者の側も、たとえばインターネットを利用したりしてできるかぎりの情報を得るべきであると思います。自分の体のことなんですから医師よりももっと切実な問題として調べ上げることができるはずですからね。実際そのようにして北大にやってきている患者達は日本中にいますし、また海外からも来ています。ですからあそこでは患者自体がずいぶんと自立できてきているのを感じます。僕が知る限りでは医師達もとても開明的で、特に情報獲得には熱心で、変に尊大ぶった人はまるでいませんでした。ですが、僕が北大のすごさを知ったのはそういう情報収集を自分できちんとやれたからではありません。その点に関しては僕自身はどんなクズ医師よりも怠惰でした。でもこの点に関してはやはり長くなるのでまたいずれ触れることになると思います。
 僕は自分の体がひどい不良品であり、日本中を廻って「名医」にかかっても、いや世界中を転々としても修理不可能なものだということは、もう30年以上も前から承知していましたが、その後の医学の進歩情報にはまったく無頓着でした。脳腫瘍の次は脊髄腫瘍と脊髄空洞症、それから腎臓をがんでやられて、そして肺がんでお終いになる。1994年に弟がやはりこの病気で死んだときにはまさにそういう情報が僕の知り得た最新のものでした。そしてその後もその予告通りに僕自身の足が劣化していく中で、そのことはもう定まったことだと思いこんでいました。
 「オアシス」102号の「堂々巡り」で書いたように僕の病気はリンドー病というもので世界でも有数の難病らしいんですが、面倒な場所に次々に生じてくる腫瘍に対しても先端的な研究が進んでいて、例えば北大病院のように脊髄の髄内腫瘍さえ摘出できるところが出てきました。もう10年以上前のことになりますが、弟の病状悪化をなんとかくい止めたくて東京の有名病院をかたっぱし訪ね歩いていたころには、「脊髄の中はいつもくねくねと動いていて、人間の体を冷凍して手術するなんてことができるようになるまでは無理だね」と言われたものです。自分や弟の体がコチコチの冷凍マグロみたいになってまな板の上に乗っている姿を想像してその場で声を出して笑ってしまったのを覚えています。
 北大病院ではちょうどそのころから脊髄腫瘍の摘出手術を始めていたようですが、もちろん当時そんな情報はどこからも得られませんでした。今、僕は脳腫瘍や脊髄腫瘍で苦しんでいる人がいれば、まったく躊躇することなく「北大へ行ってごらん」と薦めることができます。
  当然ながら北大病院へ行けば全てが理想的に解決するなどと宣伝マンみたいなお気楽なことを言っているわけではありません。医学の、したがって科学の進歩の課程は複雑で危険な試行錯誤の連続でしょうし、病院内部で働いている方々にはきっとさまざまな問題があり、僕ら素人には分かりようもない困難が山積しているには違いありません。でも、あそこではその最先端を担う覚悟というようなものが医師や看護婦・看護士さん達の間でぴーんと緊張しあっているのが感じられて、僕ら患者の安心感を高めてくれるのは確かだと思われます。
  けれどもまた僕ら患者は医学の最先端とも言うべき領域にはある一定程度のところまでしか自分の意志を持ち込めません。ぎりぎりになったなと思ったならば、そしてそれでもまだ自分や家族、友人の力で調べたり迷ったりできる段階だと思えたならば、できる限り情報獲得などにジタバタしてみるしかありません。そしてまたそうすべきだと今の僕は思っています。「お任せ」にするのはやはりそこから先のことでなければならないと思うんです。
  そのジタバタの結果とはもう一つ言い切れないのですが、つまり、もうそうするしか他に選択肢はありえないと理性的に判断したと言い切れるわけではないのですが、そのときの僕には今進むべき定められた通路のように思えて、体調がまずまずに回復してすぐに泌尿器科へ転科して手術を受けるということになりました。2年前には拒否して病院から逃げ出したあの腎臓癌の摘出です。
  癌の大きさは自分で予想していたよりはやや小さくて、世界記録の7センチにはまだまだの直径が5,5センチで深さが12センチとのことでした。腎臓というものの大きさ全体がどれほどなのかはよく分かりませんが、ほぼ左腎まるごと癌に冒されてはいたのでしょう。実際、群馬で入院していたときにかなり濃い血尿が出ていたので、それが腎臓のせいだとすれば相当なところまで行っていたことは確かだと思います。
 ですが、今回手術を受ける気になったいちばん大きな要因は、この泌尿器科のブラックジャックというか、ビッグジャックというべきか、2年前にもお世話になったS先生の熱意あふれる誠実さだったと思えます。この先生、大きな体に繊細な神経が行き渡っているようで、とにかく気さくないい人なんです。確かめたわけではありませんが彼はおそらくリンドー病に関しては日本を代表するほどの研究者の一人だと思います。アメリカの学会にもよく出席していて、やはりアメリカにあるリンドー病の友の会みたいな組織とも連絡を取り合っているようです。2年前にも僕が多少とも英文が読めるということでその詳しい資料を見せて説明してくれたものです。資料は当然ながら専門用語が多すぎて全然まともには読解できなかったのですが、腎癌の大きさの世界記録はそれで知りました。
  でも結局僕はそのときは腎癌をしばし放置することに決めて、群馬で治療を考えるという口実を使ってこの先生の元から逃げ出してしまったのでした。前にも書きましたようにどうしても切らなければならないモノなのかどうかじっくりと考えてみたかったわけですが、実際はビッグジャック先生が紹介してくれると言った群馬の病院に行くこともなく、したがって手術はもちろんのこと薬の類を服用することもなく、ただいろんな本を読むことで癌一般に関する知識を多少得ただけで、やはり手術は受けまいなどと決め込んでいました。そして今回、癌よりも先に小脳の腫瘍がパンク寸前までになってしまってのジタバタと相成った次第です。
  それなのに今回すぐに手術に同意したのは、このビッグジャック先生の誠実さがいちばん大きいのですが、問題はその誠実さの中身です。脳外科に入院している間にも彼は何度も病室に顔をみせてくれて、この2年間に手術の新しい方法が確立できたことを丁寧に説明してくれたからです。これはうれしい情報でした。それは腹腔鏡を使っての手術で、脇腹や背中の筋肉を切断せずに腹部に3つ小さな穴を開けるだけでやれると言うんですね。そうするとどうやら術後の痛みがまるで違うらしいんです。
 顕微鏡を使っての遠隔作業みたいなことでやるらしいんですが、その3つの穴のうち2つで腎臓を切り取り、その切り取った腎臓をもう1つの少し大きめの穴から取り出すということなんです。この手術方法は今はいろんな臓器の摘出に使われているらしいのですが、しかし腎臓摘出で、というのは初めて聞きました。大人の握り拳ほどもある腎臓をいったいどうやって引っぱり出すのかとだれでも不思議に思いますよね。僕にとってそれはまさに聞いてびっくりのやり方でした。
 先生の指2本で袋をつまんで腹の中に入れ、そしてその袋の中に腎臓を入れてその組織を握り潰す。そしてどろどろになったものをその直径2センチほどの穴から取り出すということなんですね。僕は「うへ〜!」という思いでそれを聞いていて、自分の体にそんなことが施されるなんてと、不安に思うよりも先になぜか変にワクワクとした気持ちになりました。
 各地の病院の泌尿器科で今現在こんな方法を採れるところがいったいどれほどあるのかは尋ねてもみませんでしたが、おそらくは最先端の技術だと思います。北大病院でも、僕がこの方法でやる8人目の症例だということでした。しかも2年前に僕が手術を逃げたときにはまさに僕がこの手術方法での最初の患者になるはずだったと言うんです。ビッグジャック先生は僕を安心させようとしてか、「2年間じゅうぶんに修行しましたからね」と軽いジョークのようにあっけなく言ってくれました。
  
   今回は人の善意の輪みたいなところに触れるつもりでしたが、やはり僕の
予告というのは当てにはなりませんでした。でも、次号ではどうやってもそ
うなるはずです。「さらに次号に続く」ということでご容赦ください。