カンボジア
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カンボジア旅行記 (2007年8月28日〜)
▼夕暮れのアンコール
▼王朝の踊り
▼バンテア・スレイ
▼移動中
▼タプローム
▼トンレサップ
▼市場

夕暮れのアンコール

ポーさんの薦めで、アンコールワットの近くの、プノン・バケン(バケン山)という山に登った。
登る観光客も多いが、降りてくる人もかなりあり、とりあえず「ハロー」と声を掛け合いながらすれ違った。頂上にはかなり痛んだ寺院の遺跡がある。青いビニールシートがかぶっているところがあるので、修復中だろう。
ここは、ジャングルに沈む夕陽を眺めるスポットとして有名ということで、観光客が大勢集まっていた。夕日を眺めるスポットにはたくさんの観光客がいた。
周囲は360度開けており、熱帯雨林や遠くにアンコールワットの尖塔も見える。なかなかいい場所である。
日没までを、写真を撮ったり周囲を散策したが、待っているときは時間が長い。
雲が厚いのできれいな夕暮れにならないのではないかと危惧したが、やはり太陽は雲に隠され、空は青いままで薄暗くなった。
ここの寺院も階段があり、かなりすり減っているので上り下りが結構難しかった。
遺跡はアンコール・ワットとよく似た造りで、まだ修復途中らしく所々に青いシートが被せられていた。
残念ながらちょうど雲が厚く、遺跡を真っ赤に照らしながら夕日が落ちていくというイメージ通りにはならなかった。これは天候のせいで仕方がない。
360度のアンコールの遺跡群を見ていると、つい何年か前までここで世界中を巻き込んだベトナム戦争が行われていたとは想像もつかない。
しかし現実に行われて、未だに地雷がたくさん残っているのである。

戦争写真家の一ノ瀬泰造さんはこの近くで死んだのである。この近くの村でクメール・ルージュによって拘束され、一時は中に入って写真撮影も許されていたらしいが、その後兵士により処刑されたということである。
遺骨の一部はこのあたりのアンコールワットの見えるところに埋葬されているというが、アンコールワットを見下ろせるこのあたりがそうでないだろうかと思った。
今、一ノ瀬さんは若者の間で人気があるらしい。
彼の短い人生が映画化されテレビドラマ化され、舞台でも上演されている。「地雷を踏んだらサヨウナラ」が共感を呼んでいるという。
彼のお母さんが、死後フィルムのネガを紙焼きプリントしているという。写真は、本人がいなくてもそのネガを大事にしてくれる人がいる限り生き続ける。それは本人も生き続けてメッセージを発信し続けているということである。彼が亡くなったのは26歳である。少し早すぎた。
もし生きていたら中東に行ってるかもしれない。

プノン・バケン(バケン山) プノン・バケン(バケン山)
プノン・バケン(バケン山) プノン・バケン(バケン山)
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王朝の踊り

カンボジアの夜は、王朝の踊りであった。 アンコールワットの壁面にある彫刻の踊りがそこにあった。
最初は農民の暮らしを表現した踊りがあった。昔見たワラビ座や新制作座の踊りににている。というより、やはり農村風景を表現するとにてくる。王朝の踊りになると一転して豪華絢爛となり、衣装もまばゆく仕草も優雅となる。それらを見ながら食事をするのである。
踊りもたけなわのころ、突然、というよりこの辺りでは日常的なことらしいが、バケツをひっくりかえしたような雨が降って来た。
屋根をたたく雨音で演奏も聞こえなかった。おまけに楽器演奏者のところに滴が大量にかかり、太鼓の担当者は演奏できない位であった。踊る人も演奏する人も、その雨などには動じることなく踊りを続けた。その雨は1時間もすると止んでしまった。

食事を終わり、劇場を後にするころにはほとんど止んでいたが、今度は道路が冠水していた。排水路が少ないためすぐ水浸しになるというが、カンボジアの人は全然気にしていなかった。これだけ気温が高いと少々雨が降っても気にならないだろう。
子供の頃夕立が来るとうれしかったのを思い出した。  
カンボジア王朝の踊り
カンボジア王朝の踊り カンボジア王朝の踊り
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バンテア・スレイ

小さな集落をいくつも通り過ぎ、シェムリアップから約50分でバンテアイスレイに到着。バンテアイ・スレイは遺跡の規模は大きくないが、鮮やかな紅色砂岩に彫り込まれた彫刻の美しさには目を見張らされた。バンテアイスレイは、「女の砦」という意味だそうである。
アンコール遺跡群の中でも特に優美といわれているのがうなずける。
なかでも中央神殿の側面 に彫られたデヴァダー像は「東洋のモナリサ」と評され、作家のアンドレ・マルローが盗掘して持ち出そうとし、逮捕されてしまったいわくつきの物という。その時のエピソードを小説『王道』に著したことで注目を集めたという。
967年、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成したという。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていたが、1914年に再発見された。
ヒンドゥ寺院であり、アンコール・ワットなどと比べるとかなり小さい。しかし、レリーフには瞠目した。
大勢の観光客が行き来し、人気のある観光地の常で、静かに施設やレリーフをチェックしながら行くというわけにはいかなかった。
「東洋のモナリザ」は近づくことはできなくなっているそうだが、周辺の要所要所にあるデヴァター像も、十分モナリザあるいはビーナスといってもいいものばかりであった。アンコール・ワットのデヴァターより、さらにリアルで気品と色気がある。ここの彫刻は他のアンコール遺跡と比べて色が赤っぽい。赤色砂岩が含まれているためということだった。

後で知ったことだが、ここバンテアイスレイからシェムリアップに戻る途中で一ノ瀬泰三さんの墓がある。
そのことを事前に知っていたなら、ポーさんに無理を言ったのだがこの辺で死んだということしか知らなかったので、少し心が残った。もし今度訪問したなら、お参りしたい。
そして何よりも、アンドレマルローではないが、もう一度東洋のモナリザを見に来たいと思った。
私は仏像では、秋篠寺の伎芸天が好きである。お顔の優しさから、腰のひねりの優美さ、色気は魅力いっぱいである。
ここバンテア・スレイの彫刻に通じてるような気がしてならない。
挙げているのが右手と左手の違いはあるが、スタイルもほぼ同じである。
伏し目がちに、はにかんでいるような風情もよく似ている。ここに写真を並べて比べたいところだが、秋篠寺の仏像は撮影もスケッチも禁止なので映像の記録をとれないのが残念である。伎芸天はヒンズー教の最大神の一つである「シヴァ神」の髪際から誕生した天女であるが、ここバンテア・スレイはヒンズー教のお寺である。
つながりがあってもおかしくはない。とにかく、秋篠寺の伎芸天も大変人気があるが、ここバンテア・スレイはさらに世界中から観光客がきている。
ここの彫刻群は、世界でも指折りの質と量を誇っている。子細にみればみるほどよく彫り込んだと感心する。その地で最適な素材を用い、こうして1000年以上たってもみることができるというのはすばらしいことである。
ここは別名「女の砦」と言われるそうだが、境内でかわいい少女が何人か遊んでいた。
この赤い建物の中にとけ込み、彫刻と同じくらい魅力的であった。


バンテア・スレイ バンテア・スレイ バンテア・スレイ バンテア・スレイ
バンテア・スレイ バンテア・スレイ
バンテア・スレイ
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バンテア・スレイ バンテア・スレイ バンテア・スレイ
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タプローム

以前から、写真を見るたびに一度行ってみたいという思いがあったのは、ここタプロームである。
タプロームは12世紀に建てられた仏教寺院である。塔門には観世音菩薩の四面仏が、四方を見渡している。
タプロームとは「梵天の古老」という意味を持つ仏教寺院である。アンコールでも他の遺跡が修復されつつあるが、ここだけは当時のままに保存されている。樹齢300年ほどのガジュマルの木が寺院の上からのしかかるように根を広げている姿は、さながらマンガかSF映画を見ているような感覚に襲われる。修復できないのは、樹木が建物の内側に根を生やし、破壊しながらのびているため、これと取り払うと建物はもっと崩れてしまうということである。
石と石のすき間にのびあるいは建物に沿ってのびている。
カンボジア タプローム
アンコール遺跡群の中でも特に日本人に人気が高いようである。私もその一人だが。
根は寺院を守っているように見えたり、侵略しているように見えたりする。自然の生命力の強さを見せつけられる。
また寺院の石壁が苔むしているところが多く、それがよけいに神秘的な雰囲気を醸し出している。ジャヤヴァルマン7世が、1186年に建立した仏教寺院で、王が母の菩提を弔う為に建てたとされている。当時は、「王の僧院」と呼ばれており、1万人以上の修行僧がいたと言われている。
ちなみにジャヤヴァルマン7世が父の菩提を弔う為に建立したのが、プリヤ・カンという。その後は、インドラヴァルマン2世などにより、ヒンドゥー教色を強めた。
アンコールの遺跡は、宗教が同じもので混在しているからわかりにくくなる。敷地に9基の塔があり、それぞれ観世音菩薩が参拝者を出迎えてくれる。
遺跡とは言ってもその存在感は強烈で、崩落した石壁もそこにからみついているガジュマルも、現代人に何かのメッセージを送っている。カンボジア タプロームそんな感じがしてならないのである。
これまでアンコールの遺跡群を見てきたが、テレビで見て知っているつもりでも、やはり本物を前にすると、感激もひとしおで、人間のすばらしさを感じずにはいられない、それとともに愚かしさも知ることになる。平和であれば、ここの寺院群も廃墟にならずにメンテナンスされて、もっとすばらしい寺院として存続してきたのではなかろうかと思った。アンコール・ワットには、まだ新しい機関銃弾の後がたくさん残っているのを見た。周辺の田んぼには地雷がまだ無数に残るという。ここカンボジアではたくさんの記者やカメラマンが死んでいる。一ノ瀬さんをはじめ日本人もかなり死んでいる。虐殺も行われた。それはつい最近のことである。平和が続いて、また気楽に訪問できることを祈らずにはいられない。

カンボジア タプローム カンボジア タプローム カンボジア タプローム
カンボジア タプローム
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トンレサップ湖

カンボジアは暑いと思っていたが、それほどでもなく、最適の気温であった。トンレサップ湖アンコールの遺跡群を見た後、トンレサップ湖クルーズに行った。ここはカンボジア旅行に行くと必見である。水と共に生きる人々の暮らしが見える。今回の旅では、最初の行程にはなかったのだが、ガイドのポーさんが、特別にいれてくれたのである。トンレサップ湖は琵琶湖の3〜10倍の大きさだそうである。この湖は、雨季になると水かさが増し、普段は水が無い場所まで水が来てしまうので、その分、湖の外周が大きくなる。
私たちが行ったのは雨季の始まりのため、水かさが徐々に増えているところであった。水深も乾期と雨期では7mほどの違いがあり、当然面積も違ってくるので、「伸縮する湖」と言われている。水上生活者は、この湖で魚を捕り生計を立てているのである。

カンボジアの人口が1336万人なのに水上生活者が300万人。このたくさんの人を食べさせられるのが、このトンレサップ湖のすごいところである。それだけ豊富な魚がこの湖にはいるということで、聞けば 300種の淡水魚があり、世界一の魚種を誇っている。
すばらしい。トンレサップ湖へは、ほこりっぽい道を1時間ほど走って着いた。入り口らしいところに政府の入湖料徴収所?があり、ガイドさんがお金を払ってくれた。

東南アジア独特のまったりとした茶色の川の水辺に、水上家屋がたくさん並んでいた。雨季なので、道がかなり水没しバイクも何台か取り残されていた。湖に行く間で、いくつか引っ越し中の家があった。家はゆっくりとボートに引かれていた。この辺りの家は水に浮いているのである。コンビニも学校も、そしてガソリンスタンドまでもがも水の上だった。理由はこの辺りは乾季と雨季の水位の差トンレサップ湖が7m程あるためという。
ナマズが繁殖しやすい条件である。水も泥濁りである。メコンの肥沃な土がたまって、穀倉地帯となっている。
船は快調に進んだ。びっくりしたのは、私達の船が走っているのを追いかけて、ボートが近付いたかとおもうと、あっと言う間に子供が飛び乗ってき、飲み物を売り付けに来たのである。あまりにも素早い動作でびっくりしたため、結局買わなかった。
泥濁りの川面を見ているとルアーを打ちたくなって来た。間違いなくナマズが釣れるだろう。
今度来るときは、この湖でカヌーもいいな、と考えていたが、あとに土産物売り場で大きなワニを見てからはこれはだめだと思った。ナマズが間違いなく釣れるだろうが落っこちでもすればワニに食われてしまう。
湖上で生活している女性を望遠でフレーミングしたが、皆美人に見えた。娘に、「美人が多いねえ」というと、「湖で暮らしたら美人になるの?」と言われた。
トンレサップ湖水の上だからこその風景が広がる。なにせ、すべての施設が水の上にあるので、暮らしもそれにあわせたものになる。必然的に人が集まるのは川縁か船の上になる。ただ少し心配なのは、嵐が来たときなどはどうするのだろうか?
ポーさんにその辺を聞くのを忘れた。いずれにしろ、川岸には何ともいえない懐かしい景色が広がる。なぜ懐かしいかというと、少し以前まで、日本の港にこうした景色があったからである。今も少しは残るが、同じように水上生活をしていた。よく似ている。さすがに日本では水上のスーパーマーケットはなかったがる
まだ若い感じの女性だが、子供を二人乗せている。湖のまわりはホテイアオイがびっしりと繁り、岸がどこか分からない。これは紀ノ川も同じ。ホテイアオイの茂みのあたりにルアーを打てば一発でナマズが来そうな感じがする。やってみたいね。
それにしてもこのあたりの人はうまく船に乗る。船首でオールを漕ぎうまく操る。船足も速い。無駄な力を使わないのだろう。
カヌーで魚釣りもいいなと思っていたが、このワニを見ていると怖い気がした。ポーさんも噛まれる人もいるといっていた。
カヌーで沈をして流れたりしているとやられるだろう。普通の船からだったら大丈夫そうである。
「この湖も禁漁の時期があります」とポーさんが説明してくれた。でも一度この湖で釣ってみたい。この湖では水平線を見た。
それほどこの湖はでかいのである。

トンレサップ湖
(涼しそうな家)
トンレサップ湖
(子供たちは元気である)
トンレサップ湖
(クルーズ船の船着き場)
トンレサップ湖
(蛇の丸焼き売り。食べたかったが・)
トンレサップ湖
(クルーズボート)
トンレサップ湖
(学校である)
トンレサップ湖
(皆手を振ってくれる)
トンレサップ湖
(水上の家。快適そう)
トンレサップ湖 トンレサップ湖 トンレサップ湖
(親子連れがバナナを売りに来た)
トンレサップ湖
(またバナナを売りに来た) 
トンレサップ湖
(飼っているワニ。3mを超す)
トンレサップ湖
(この口でかまれるとアウト)
トンレサップ湖
(土産物売り船)
トンレサップ湖
(ひとりタイタニック)

(かわいい。兄弟かな? もう戦争を知らない世代)
トンレサップ湖
(若い水先案内人)
トンレサップ湖
(なかなか粋な格好の船)
トンレサップ湖 トンレサップ湖
(なにやらまつわりつかれてる日本人
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市場

旅行に行くと、食べ物の善し悪しがかなりのファクターを占める。相対的にアジアは食べ物がうまい。
ここカンボジアはすごく口にあった。しかしこれはあくまでも私の主観で、あまり舌は敏感な方ではないので、当たっていないかもしれない。下痢もせず、どうしても食べられないような食事に行き当たりさえしなければ満足するタイプで、そういう意味では、カンボジアの食事は大満足であった。その国の本当の料理を食べたいのなら、露店か小さいお店で食べるのが一番なのだが、ガイドさんからそれはやめるように言われた。
カンボジアを去る日、市場に行った。スーパー同様日本とほとんど同じ物もあるが、果物や野菜、そして日用雑貨ではカンボジアでなければというものが多い。そんな商品をウォッチングするのは楽しい。旅の楽しみの一つである。またその国の人をより身近に見ることができるので楽しみは倍加する。そうした意味でもカンボジアの市場は楽しかった。あらゆるものが売られており、値段の交渉も面白い。
ここではじめて、TUKTUK(トゥクトゥク)を使った。開放感あふれる乗り物は快適だった。カブやスクーターに2輪のいわゆるリヤカーをつけたものだが、これはいい。これを幌がけにして家財道具を積み、旅行というのも悪くない。
東南アジアをこんな乗り物できままに旅できたらいいなと思う。娘が少し走らせてもらった。もう少しで他のトゥクトゥクにぶつかりそうになった。

大満足のカンボジアを発とうと、空港に着くとベトナム行きの便が、乗客の人数の関係で2便ほど減便となり出発時間がいつになるかわからないと言うことであった。効率的に輸送するためには仕方ないことで、待つことにした。待つ間、コーヒーショップにインターネット設備があったのでつないだ。関空にもあることはあるが、とてもゆったりとできるところにはない。パソコンを持った人を対象としているためにそうなるので、やはりコーヒーショップ店内や、レストランなどにあると便利だと感じた。

飛行機は結局2時間ほどの待ち合わせで出発した。外はもう暗くなっていた。
初めてのカンボジアは期待に違わずすばらしかった。機会があればもう一度訪れたいところである。日本と距離的に近く、違和感なく現地にとけ込めた。今度くるときは時間を十分とってトレンサップ湖のナマズでも釣りたい。

カンボジア 市場 カンボジア 市場
(お客そっちのけで寝てる)
カンボジア 市場
(こっちも)
カンボジア 市場
(こちらは一生懸命勉強してる)
カンボジア 市場 カンボジア 市場

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