西国三十三所巡り
■ホームへ
■ボクの細道へ
■三十三所トップへ 
第三十三番 華厳寺  世を照らす仏のしるしありければ まだともしびも消えぬなりけり
 谷汲山へは、バイクのタンデムで行った。

少し長距離なので途中琵琶湖ほとりに宿を取った。西国三十三所 谷汲山
明くる日、高速を抜け降りてから途中の道の駅「夢さんさん谷汲」で息子と待ち合わせた。
この日はハンディナビMIO350Pをオークションで買って初めてつけた走った。
なかなか正確にナビゲーションしてくれた。
ただし、肝心な谷汲山近くに方向を見失なって道を聞いた。
これは使い慣れていないためで操作の悪さである。
しかし世の中便利になった。
でもナビを持っていると、もしその気になればピンポイントで爆撃も可能である。

さて谷汲山華厳寺は33ヶ所満願のお寺であるが、先に来た。
1200年の歴史をもつ天台宗の由緒あるお寺という。
33ヶ所のお寺で参道があり、そこに店がたち並ぶというところはさほど多くないが、さすが満願のお寺、アプローチでたくさんの店が建ち並び参拝客を楽しませてくれる。
西国三十三所 谷汲山
ここのお寺の本尊である大悲十一面観世音は、奥州白川郷の大口大領が京都において榎の霊木で仏師に彫らせ持ち帰る際、この谷汲に来て像が動かなくなり、これは仏に縁のある土地だろうと、この地に精舎を建て安置したという。

お堂を建てるとき山中の岩からから油が湧き、これを灯明に用いたという言い伝えもあり、谷汲の地名はこれに由来してるという。尊像に華厳経が書写されていた事から谷汲山華厳寺と呼ばれるようになった。
参道を歩いていくと大きな仁王門がある。
その両脇には運慶の作と伝えられている仁王像が置かれ、左右にはに巨大なわらじがぶら下がっている。本堂前にはそれほど高くない石段がある。

石段を登ってすぐに本堂の柱に打ち付けられた、大きさ50センチほどの銅製の鯉があるが、巡礼者は帰り際にそれまでの巡礼の旅の無事を感謝して撫でて通るのが慣わしという。西国三十三所 谷汲山
精進潔斎の日々から、再び日常の生活に戻るためである。
鯉は皆がなでるのでぴかぴか光っている。
私はすべて回ったときにもう一度ここを訪問し、それをなでることにし、今回は見るだけにした。
本堂に祀られている十一面観世音菩薩は秘仏で、拝観はできない。
本堂は明治12年(1879年)に再建されたということである。
本堂に続いて笈摺堂という小さなお堂がある。
笈摺堂は、西国33カ所巡礼の満願をむかえた人が巡礼中に使用した笈摺や笠などを奉納する堂で、千羽鶴や絵馬、額などが奉納されている。

むかしはもっと汗のしみこんだものが無事に満願を迎えた喜びを奉納したことだろう。
笈摺堂の左に石段があり、その上が満願堂があるが33カ所を回り終えた際にお参りしようと今回は行かなかった。
奥の院もあるのだが40分ほどかかるということでこれも最後の楽しみにとっておく。

帰りは県道303号を西にとり、長浜市に出た。
この道は岐阜から滋賀県への山越えの道で、適当にカーブがあり車も少なく快適な道であった。
往時にはここは滋賀県からの重要な道路であったろうことがうかがい知れる。
再び琵琶湖畔の宿に着いたときは日はとっぷりと暮れていた。

この日バイクで走った距離は300キロを越えていた。

往時の巡礼は歩いて回って満願の時にはその達成感はすばらしかっただろう。
西国三十三所 谷汲山
(運慶の作といわれる)
西国三十三所 谷汲山 西国三十三所 谷汲山
(さすが満願の寺。よくにぎわっている
西国三十三所 谷汲山
(参道のお店)
西国三十三所 谷汲山
(参道途中にある仏像)
西国三十三所 谷汲山
(絵馬)
西国三十三所 谷汲山
(安産のお礼)
西国三十三所 谷汲山
西国三十三所 谷汲山 西国三十三所 谷汲山 西国三十三所 谷汲山 西国三十三所 谷汲山
西国三十三所 谷汲山
(お札を貼っておねがいをする)

▲ページトップへ
■ホームへ
■ボクの細道へ
■三十三所トップへ