西国三十三所巡り
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第九番 南円堂   春の日は南円堂にかがやきて三笠の山に晴るるうす雲
南円堂は、弘仁4年(813年)に興福寺の一堂として、藤原冬嗣が、父、内麻呂の供養と一族の繁栄を願い建立したといわれている。
堂を建てるに際し、白銀の観音像千体を埋めて地鎮としたと伝えられている。
訪れたのは2月の、冬にしては暖かい日であった。第九番 南円堂

奈良町を抜けた後、東大寺に行き、そしてここ南円堂に来た。興福寺の境内では、新しい建物が建設されるということで、囲いがしてあった。
興福寺は何回もの火災に遭っているようで、特に治承4年(1180年)の平重衡による兵火では、南円堂の本尊も焼失したという。
幾たびかの火災などで、なくなっていた本堂か何かを建立するのだろう。

南円堂は、日本で最も大きい八角円堂といわれており、興福寺の建物の中でも最も新しく、南円堂が出来て、興福寺全体の規模が整ったという。

正面には、弘仁7年(816年)に造られたとされている国宝の「金銅灯籠」が立てられていたといわれているが、現在、この場所にはなく、興福寺の国宝館に保存展示されている。
第九番 南円堂
南円堂そのものは、重要文化財に指定されており、本尊の「不空羂索観世音菩薩」及び「木造四天王立像」、「木造法相六祖坐像」の仏像は全て国宝である。
南円堂の傍、直ぐ北側に小堂が建っており、ここに一言観音が祀られている。
一言だけのお願いをすると、それが叶えられるといわれている。

南円堂は興福寺の一堂であるが、興福寺には国宝や重要文化財に指定されているたくさんの建物や仏像がある。
南円堂の北側、興福寺境内の北西隅には「北円堂」。
北円堂本尊の「弥勒菩薩坐像」、南円堂の西南側でやや下がったところに、三重塔がある。
それらはすべて国宝である。

そしてなんといっても興福寺のシンボルとしての五重塔がある。
塔の高さは約50mもあり、京都の東寺の五重塔に次いでの大きさであるという。
この五重塔は、天平2年(730年)、光明皇后によって創建されたものと伝えられているが、これまた数回の火災に遭い、現存のものは応永33年(1426年)に再建されたものといわれている。
五重塔の北側の「東金堂」も国宝に指定されている。
奈良観光葉書には、必ず、この塔を猿沢池の畔からみたものがある。

やはり、奈良や京都は、世界に誇れるすごいところだと思う。

奈良に来ると必ずこの近くにある奈良町を歩くが、ここもいつも新しい発見があって楽しい。
外国人もたくさん歩いていた。
ちょうどこの日、公民館で人形芝居の呼び込みをしていたのでついていくと、幅2mくらいの大きな紙芝居を見せてくれた。
なかなか面白かった。
第九番 南円堂 第九番 南円堂
(北円堂)
第九番 南円堂 第九番 南円堂
第九番 南円堂 第九番 南円堂
第九番 南円堂

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