三井寺は曇り日に訪れた。
晴れた琵琶湖を楽しみにしていたが、これは仕方ない。高速をおり、市役所前を抜けて、すぐである。
入り口では重要文化財の仁王門がある。
その両脇の2体の仁王像は迫力がある。
ところが、仁王門正面に得体の知れないTシャツがあった。不思議に思いつつ、中に入った。
頂いたパンフレットには、
「園城寺(三井寺(みいでら)は天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山で、古くから日本4箇大寺のひとつに数えられています。
その歴史をひもとくと、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)の勅額を賜り、「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」と称したのに始まります。
俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天武・天智・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当時の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。長い歴史の上で、当時は再三の兵火にあい焼失しましたが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。
三井寺の本堂には、本尊として弥勒菩薩(みろくぼさつ)が祀られています」
とあった。
境内はその歴史に恥じず、ゆったりとしていかにもお寺という感じで参詣者を迎え入れる。
「寺門伝記補録」によると、身丈三寸二分の弥勒菩薩が祀られているらしいが、絶対の秘仏となっているために見る事ができないという。
この弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられている。
見せられないとなると見てみたいのが人の常である。
そのほかにも、推古天皇、聖武天皇、陽成天皇、藤原鎌足、藤原道長、行基菩薩が奉納した六躯もの弥勒菩薩がお祀りされているという。
その他にも智証大師ゆかりの仏像や宝物が秘仏として安置されている。
ここ三井寺は、はじめてきたがなかなかいい寺である。内も広いし手入れも悪くない。参詣人もたくさん来ている。
やはり、大寺の貫禄がある。
釈迦堂で御朱印を頂きながら、
「境内にいろんなものがありますがあれは何ですか」ときくと、
「美術大学生が作ったもので展示しているのです」ということであった。
金堂の前に行くと妙なオブジェがあった。
これもそのたぐいかと思ったら、これは高名な彫刻家のオブジェで、そばに立てられていた看板には、メビウスの帯をイメージし、
「ねじれながら生成をくりかえす輪の形を大理石から削りだして・・」
とあった。
ここに1年間展示して、インドのブッダガヤに移されるそうで、インドでは赤い煉瓦や大理石の寺院などとよく合うかもしれない。
しかしここ三井寺境内の国宝の前では異質で、景観を壊していた。
金堂は、屋根の反りがすばらしく優雅で、国宝にふさわしいたたずまいである。これまで、台湾などで寺院を見てきたが、やはり日本の建築の美しさというのは、世界に誇れるものだといつも思う。
金堂の斜め前には、有名な鐘がある。「三井の晩鐘」でその音色は荘厳で、「日本の残したい音風景百選」にも選ばれている。
もうひとつ、三井寺には有名な鐘がある。
「弁慶の引き摺り鐘」で、頂いたパンフレットには、弁慶がこの鐘を奪って引き摺り上げ撞いてみると、「イノーイノー(帰ろう)」と響いたので、弁慶が鐘を谷底に投げ捨て、そのときの傷が付いているという。
堂の裏には閼伽井屋があり、ぼこぼこと音を立てて水がわき上がっていた。
霊泉にふさわしい。
この建屋の正面に、左甚五郎作といわれる龍の彫刻がある。
うっかりすると見落としてしまうが、確かにすばらしい彫りをしている。
この龍は、夜な夜な琵琶湖で暴れたそうである。
境内をかなり歩いたが、三十三カ所札所は、まだまだ岡の上なのである。
どうも琵琶湖周辺の三十三カ所は、岡の上や山の上、竹生島に至っては琵琶湖の島にある。
この三十三カ所巡りというのは、辛い観音様が続くと、楽な観音様があるというように、よく考えられている。
一切経堂、大師堂、潅頂堂等いずれも重要文化財を見ながら、微妙寺を抜け、毘沙門堂に着くと階段があり、その上に、西国十四番札所の観音堂がある。
ご本尊は如意輪観音で、平安時代のものだというが、33年ごとに開扉される秘仏だそうである。
境内から見る琵琶湖は、晴れていればもっと綺麗に見えるのだろう。
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