西国三十三所巡り
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第4番 施福寺  深山路や檜原松原わけゆけば槇尾寺に駒ぞいさめる
施福寺を訪ねたときは、曇り日であった。
施福寺は、槙尾山にある。槙尾山から葛城方面まで、ダイヤモンドトレイルとして、すてきなトレッキングコースがある。
案内板を見て、歩きたくなってきた。施福寺
大阪湾も見えるらしい。

施福寺は欽明天皇の時代に、天皇の病気治癒のために、行満上人によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのがはじまりとされている。かつては真言宗の寺として栄えたといわれるが、ここでも、織田信長の兵火に遭い、豊臣秀頼によって再興されたが以前のような隆盛はなくなったという。

施福寺車を無料駐車場に入れた。無料というのがうれしい。
参道入り口に水子地蔵尊がある。
決して綺麗とはいえないおみやげ物やさんと、たばこ屋さんがあった。
しかしケバい土産物売りよりこれの方が遙かにいい。

ここ施福寺の参道は長いので、お店で杖を借りた。
参道には丁石があり、地蔵様と一緒に石碑がある。
参道を沢ガニがはしっていた。
山の深さを感じる。


行基菩薩もここで修行したと伝えられる。
さらに弘法大師がここを訪れ修行し、剃髪し得度したという愛染堂や、虚空蔵求聞持法を修した虚空堂(女人禁制)、大師堂などがある。
大同2年(807年)唐より帰ってから再び訪れ、入京が許されるまで約2年間、ここに籠もって真言宗を開くための思索を行ったといわれている。

弘法大師が、思想を形成する為にもっとも縁のあるところであり、弘法大師信仰の中心となるべき寺 の一つである。もし戦火で焼かれていなかったら、かなり違った歴史となっていたであろう。
 
境内へは、貫禄のある山門をくぐっていく。
かなり急な坂が続く。丁石が、残りの距離を示しているのであともう少し踏ん張ればという、目安となる。
急ぐこともないので、ゆっくりをマイペースで歩いた。
綺麗なケースに入った朱印帳をもった人が結構多く、中には足の不自由な方も登っていた。
行き違う人と挨拶を交わしながら登ったが、普段街中で出会っても声も出ないのに、こういうところでは素直に、
「こんにちわ」と出てくる。

終点が近づいた頃、弘法大師が髪を落としたという愛染堂がある。 そこを過ぎると本堂はすぐである。
徳道上人によって創始された西国霊場を再興した花山法皇が、粉河寺からこの施福寺に向かっていたとき、日が暮れ道に迷って困っていると、 馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説があり、境内には馬の銅像がある。

粉河寺からというと、やはり葛城山脈の山稜を歩いてきたということになる。今の霊地巡りは、楽をしすぎているかもしれない。ここまで車で来てしまった。

馬頭観音もあるということだが、見落としてしまった。
境内からは葛城山、金剛山などの山並みを望むことができるはずだが、あいにくの天気で、しばらくして雨すら降ってきた。
参道の途中には、弘法大師姿見の井戸があった。
施福寺
10数年ぶりにここを訪れたが、以前とほとんど変わっていないところがよかった。事務所の朱印を書いてくれたおじさんは、半袖のアンダーシャツで、巡礼をされている方々が白装束で来ているので、少し違和感があった。
せめて白装束でいて欲しい。

那智山を出て、和歌山を抜け、粉河寺にお参りした後、山を越えたのだろう。そしてこの日上り下りした参道からは、藤井寺に向かうのだろう。
道分けの石碑には、「こかわでら」と「こうやさん」「ふじいでら」の文字がある。
粉河寺や高野からの道は、ダイヤモンドトレイルとして有名になっている。往時は、山が深かったのだろう。ご詠歌の深山路がその片鱗を感じさせる。
そしてこの道は、当麻寺まで続いている。一度歩きたい。
施福寺 施福寺 施福寺 施福寺
施福寺 施福寺
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