西国三十三所巡り
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第十三番 石山寺  のちの世を ねがふ心はかろくとも 仏の誓ひおもき石山
朝、出がけには晴れていた。
滋賀の大津インターチェンジを下り、昼ご飯をデパートで食べたが、そのとき一気に空が暗くなり土砂降りでおまけに雷までなりだした。
傘を持っていないし、なによりもカメラが心配であった。
しかし石山寺の駐車場に入れた頃は雨も上がってきた。少し寝不足だったので駐車場で一眠りしてから山門をくぐった。
余り上等とはいえない仁王様が迎えてくれた。

パンフレットによれば、
「石山寺は千二百余年の昔、聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって開基されました。
三万六千坪におよぶ高大な境内には、日本唯一の巨大な天然記念物、世界的にも珍しい珪灰石がそびえています。
また国宝の本堂には、聖徳太子がお伝えになった縁結・安産・福徳の霊験あらたかな秘仏、勅封の御本尊如意輪観世音菩薩をはじめ、紫式部が世界最初の長編小説「源氏物語」を執筆した『源氏の間』があります、
その他、蓮如上人の御遺跡である蓮如堂、国宝の多宝塔など、奈良、平安、鎌倉時代からの文化財が多数伝えられています」
ということである。
実は、ここは2回目である。
以前の時は何の考えもなく訪れたので詳しいことには関心がなかった。
再び訪問してみると、なかなかいいお寺である。
道路に面した仁王門(東大門)は建久元年(1190年)の建てられとということで現存する門としては、かなり古いものという。境内には天然記念物に指定されている硅灰石があちらこちらに露出しているが、大理石になる一歩手前の石とは知らなかった。

本堂も硅灰石の巨大な露頭の上に建てられているという。
参道の石段を登ったところに蓮池がありちょうど盛りであった。雨に濡れた花や葉がきれいであった。
本堂へはもう一つの階段を上っていく。
この本堂は、舞台造りとなっており寄せ棟造りでこれも国宝である。
境内には宝篋印塔があり、四方に四国88カ所の土が埋めてあり、これを巡ると88カ所を回ると同じ功徳があるという。

国宝本堂の外陣は、桃山時代の慶長7年、豊臣秀吉の側室・淀君によって建てられたものという。
国宝の源頼朝が建立したという多宝塔を過ぎると展望スペースがあり芭蕉庵や月見亭がある。
そこからは、琵琶湖から瀬田川が俯瞰でき、いい景色である。

京都からも近く、ここの景色に安らぎを求めてたくさん来たであろう。
雨の中でもたくさんの人がお参りに来ていた。
紫式部が「源氏物語」をこの石山寺で書き始めたのは有名で、源氏の間として本堂脇に式部の像がある。
現在ではあまりべっぴんさんとは見えないが、当時の美人画はほとんどがこんな感じであるから、やっぱり美人だったのだろうか。
また芭蕉は『夕月は二つ有りても瀬田の月』の句を詠んでいて、駐車場前にその石碑がある。
ここ石山寺から約2キロほどのところで過ごし、たびたび石山詣をしたという。
安藤広重の近江八景にはここの秋月がある。

ご詠歌が流れていた。
さすがと思っていたらいつまでも止まらない。結局テープレコーダーとわかったが、かなりの音量でかかり続けていたため、いささか興ざめした。せっかくいいお寺なのに少し残念であった。
紫式部像も、それを見た人は、紫式部のイメージを固定してしまう。
これもお節介なことである。
彼女が書いた肉筆の文書などの展示であるならば、それはそれで意義があるが・・
日本の観光地の悪いところはこういうところではなかろうか?
いらないサービスや情報提供は極力さけて、見るものの感性を引き出す工夫をしてほしい。
このおせっかい感覚は、地域の町内放送で、
「5時になりました。よい子の皆さんは帰る時間です。気をつけておうちに帰りましょう」
と根が通じていると思うがどうだろうか。

石山寺は境内よりもむしろ周辺の小道を行くのが楽しい。
小雨の中、人もほとんどなくゆったりと散策できた。
無憂園は、私の好きなサルスベリが盛りで、目を楽しませてくれた。

(本堂。国宝)

(大黒堂)

(松尾芭蕉の句碑)

(ご本尊観音は勅封)

(紫式部像)

(多宝塔。国宝)

(びんずるさん)

(参道)

(境内の蓮。盛りであった)

(経堂にかかっている鍵。いいなー)

(無憂園の散歩道とサルスベリ)

(本堂下の道から本堂舞台を)

(源氏苑にある式部の銅像)

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