西国三十三所巡り
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第二十六番 一乗寺  春は花夏は橘秋は菊 いつも妙なる法の華山
姫路市内で一泊し、朝姫路城の周辺をウォッチしたあと、一乗寺に着いたのは昼前であった。
コンビニで買った昼食を食べ、1時頃から参詣した。一乗寺
一乗寺は天台宗で本尊は聖観世音菩薩、開基は法道仙人で播州清水寺と同じである。
鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢(くはつ-)、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれる。
6から7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと紫雲に乗って渡ってきたとされる。播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺している。数多くの勅願寺を含む所縁の寺がみられる。
腹が減ると空鉢をとばして托鉢したという超能力も持っていたようである。その神通力が都にも聞こえ、孝徳天皇の病気治癒祈願を行い、治癒の功績が認められ、勅願により白雉元年(650年)に創建したのがこの寺と伝えられている。ただ、創建年については大化5年(649年)とも白雉2年(651年)ともいわれはっきりしないが、いずれにしろ1300年以上前であることは間違いない。

法道仙人は異形の渡来人で、日本人の知らなかったいろんな技術を伝えたのではなかろうか。それが神格化され伝説を生み出したのではなかろうか?

一乗寺へは、県道の交差点に「直法華山道」という参詣道をあらわす碑がある。碑に従って県道206号線を走ると小さな門があり、「二十六番法華山一乗寺」と彫られた石柱がある。
その後ろにとってつけたように地蔵様がある。
新しく道がついたために片隅感覚の位置にあるが、本来はここをくぐって参詣しなければいけないのだろう。
受付の手前に石造笠塔婆が建っている。

この塔婆は二重の基壇の上に建っており、総高は2.9mあるという。正和5年(1316年)の建立である。ここから本堂まで一町の距離にあることが書かれている。頂部には蓮弁を刻み請花、宝珠がついている。案内板によれば、蓮弁、軒反りの状態など、よく時代の特徴を表しているという。
この塔婆は兵庫県指定文化財になっている。
一番目の石段を上ると「常行堂」がある。
この常行堂は聖武天皇の勅願による建立と伝えられているが嘉吉の乱に焼失、天文2年再建したがまた焼失し、明治元年(1868年)に建てられ現在に至っている。
さらに石段を上がると三重塔がある。
国宝である。
平安時代末期、承安元年(1171年)の建立された。
藤原様式の秀作として日本建築史上名高い塔であるという。
もう一踏ん張りの石段をあがると、金堂がある。
これも重要文化財である。
金堂は舞台作りで、正面の扁額には「大悲閣」と書かれている。
金堂は、白雉元年(650年)に創建され、寛永5年(1628年)に再建された。
金堂内部は、内陣との間に格子の障壁が設けられている。内には奈良時代前期の作品とされている本尊の聖観世音菩薩が安置されているが、秘仏であり開扉時以外直接の拝観は出来ない。

金堂の裏手に護法堂、妙見堂、弁天堂の三社があり、鎌倉時代の様式をとった室町時代の建築とされている。いずれも重要文化財である。「賽の河原」へという看板があるが、大雨で道が壊れ立ち入り禁止であった。

少し時間があったので久しぶりにスケッチをした。 
一乗寺
(道の分岐点にある碑)
一乗寺
(ここが本来の入り口だったのか?
一乗寺
(階段は110段あると言っていた)
一乗寺
(三重の塔。国宝)
一乗寺
(常行堂)
一乗寺
(灯籠)
一乗寺
(扁額には大悲閣とある)
一乗寺
(鐘楼)
一乗寺
(びんづる様)
一乗寺
(三重の塔の水煙)
  一乗寺  一乗寺
(三重の塔。国宝である)
 一乗寺
一乗寺
(金堂の廊下。向こうに妙見堂が見える)
一乗寺
(妙見堂、弁天堂)
一乗寺
(護法堂)

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