西国三十三所巡り
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第八番 長谷寺   いくたびもまゐる心は初瀬寺山も誓いも深き谷川
長谷寺を訪れたのは、ボタンの季節の終わり頃であった。そのためか、以前ボタン真っ盛りにきた折りのような、観光客ごった返しがなくよかった。
ボタンは山内のものは少しくたびれたのが多かったが、山上にのびる回廊の長い石段脇に、ずらっと並んだ様々な種類のボタンは元気なものが多かった。
長谷寺の楽しみは、この長い石段の登廊を行くことだろう。
少し上っては振り返りしながら行くと、長谷寺独特の吊り灯籠がいかにも日本的なたたずまいで、みるものを楽しませてくれる。登廊は108間、339段あり、吊り灯籠は2間おきにぶら下がっている。

長谷寺は、山号を豊山( ぶさん )というが、「ゆたかやま」と読んでいた。
パンフレットをみて初めて知った。

「こもりくの泊瀬山」と万葉集にうたわれているが、昔は、初瀬寺、泊瀬寺、豊山寺とも呼ばれていたという。
今の長谷寺より、初瀬寺のほうがなんとなく感じがいい。この地名や寺名の変更などは、どうしてそうなったのだろうかと、いつも考えてしまう。
朱鳥元年(686年)道明上人が、天武天皇のために、銅板法華説相図を西の岡に安置され、のち神亀四年(727年)徳道上人は、聖武天皇の命令により、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩を祀ったという。
上人は観音信仰にあつく、この西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となったという。
そこから、ここ長谷寺は、三十三所の根本霊場と呼ぶ。
ここ長谷寺のもう一つの見所は、礼堂の南の外舞台だろう。
慶安3年に、徳川家光の寄進によって再建されたという、国の重要文化財である。
清水寺も有名だが、ここもそれに負けていない。
人間の本性というのは、こうした高いところから俯瞰したいという欲求があるのだろう。
とにかく気持ちが豊かになる。
またここの仁王門も立派で、境内に入ろうとするものを、荘重な気分にさせる。
境内には、このほかに、三社権現がある。
また、帰り道には、能満院があり、最後に日限地蔵尊がある。ここでも御朱印をもらった。
猫が一匹、我が物顔で歩いていた。
私たちはそこからまた引き返し、弘法大師御影堂、五重の塔を観て下に降りた。いずれもいい建物で、五月の緑にしっくりと調和していた。

ここ長谷寺は、清水寺に次いで人気があるというが、いつ来てもゆったりとした気分にさせてくれ、それも納得できる。
また参道の土産物売り場も昔とほとんど変わらないのがいい。売っているものも、地元の特産品や草餅などで、どこかのようにビニールの仮面ライダーやけばけばしいおもちゃなどがほとんどないのがいい。

長谷寺の手前に、法起院という小降りだが感じのいいお寺があったので入った。ここが、夢で閻魔大王に西国三十三所巡りを広めるように委嘱された、徳道上人が晩年を送った庵だという。
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