西国三十三所巡り
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番外 花山院(菩提寺)   有馬富士ふもとの霧は海に似て波かときけば小野の松風
国道176号線の温度表示は37度であった。
蝉がせわしく鳴いている。そんな暑いさなか、花山院の参道約900mあまりをのぼった。
時折、貸切りタクシーが登り降りする。
道は結構勾配がきつい、しかし普段なら特に堪える坂ではない。
しかし暑さが堪えた。今年の夏は湿気が多いので特に暑く感じる。
この坂は琴弾坂といい、花山法皇を慕って11人の女官たちが花山院を訪れたが、女人禁制のため参道を登ることが出来ず尼となり山麓に住み、琴を弾いてその思いを伝えたという。
琴弾坂の名称はこれに由来しているらしい。
花山天皇は元慶寺で出家してから、この寺に来るまでの間、修行に出ていたが、この間に幾人かの女性を愛したという。それらの女性が後を追ってきたのである。
「よ! 色男」参道の途中には一丁毎に道標があり、傍らに小さい石仏が置かれている。山門近くにきた時、やっと人が歩いて降りてきた。中年女性の二人連れで、手には朱印の掛け軸を持っていた。
「御苦労様です」どちらからともなく声を掛け合った。
「下から歩いてきたのですか?」
「はい、そうです。暑いですね」
「よく一人であのさみしい道を登ってこれましたね」
そういえば、坂の入口付近は木が生い茂り道を暗くしていたが、暑さがしのげていいなと思っただけである。その人たちと出会ったところは炎天下であった。

ほどなくこじんまりした山門に着いた。仁王が向かえてくれた。ここの仁王は鳩避け網で囲われていない。これはありがたい。網が張られていると焦点深度の深いデジカメなどでは金網にピントがいき、仁王はイメージとおり写ってくれない。

山門からもしばらく石段があり、登り切った正面に本堂が見えてくる。大きくはないがなかなかいい造りのお堂が並んでいる。本堂の右側に薬師堂があり本尊である薬師如来が安置されている。
境内では蝉の声にも増して、食用蛙の泣き声が鳴り響いていた。本堂の横に小さな池があり、声はそこからであった。
薬師堂の右手に仏像が7体あり、それぞれに名前がつけられている。
私の感覚からすると、あまりこういうのは好きではないのだが、人々へ仏のメッセージを伝えるという意味ではいいのかもしれない。
本堂前には広場があり、その向かいに、やや小高い場所があり、花山法皇御廟所が設けられている。
花山法皇の御廟だけあって規模も大きく、造りもなかなか立派である。
ここ、花山院は、三田市尼寺にあり、宗派は真言宗花山院派の本山である。
正確には、「東光山 花山院菩提寺」という。
ご本尊は薬師瑠璃光如来で、法道仙人が白雉2年(651年)に創建したと伝えられている。法道仙人は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持ってインドから雲に乗ってこの地にきたと言われている。法道仙人はほかにも25番の清水寺や、26番の一乗寺なども創建したといわれている。京都のこれも番外である元慶寺で出家し、徳道上人が中山寺に埋めた宝印を掘りだし、それに従って西国霊場を再興した花山法皇がこの寺に居を構え、41歳で生涯を閉じるまでの約14年間、隠棲生活を送ったとされている。
この寺の正式名称は菩提寺なのだが、花山院が通称として通っている。

とにかく暑かったので車から持ってきていたペットボトルのお茶をたちまち飲み干してしまった。
カエデの緑がきれいであった。
少し離れた寺務所ですばらしく達筆な朱印をいただいた。今年は、花山法皇一千年御遠忌ということで、散華を頂いた。裏には、「自分自身の仏性の扉を開けば人は須く実在の御仏と出会う」とあった。
寺務所までの間に展望台があり、有馬富士と周囲の景色を見渡せる。
有馬富士はなるほど円錐形の山であった。右手には千丈寺湖が見える。
私はつい先ほどまで、ここでブラックバスを釣っていたのである。

花山法皇もここからこの景色を見ながら麓の女性のことなどを考えたのだろう。
小一時間見て回り、同じ坂を下りたが、貸切りタクシーが数台連なって上がってきた。
暑い中をぼちぼち歩く私を、もの珍しげに見ている乗客を乗せてタクシーは走り去った。


(琴弾坂の碑)

(坂中腹にあるお地蔵さん)

(びんずるさま)

(こじんまりとした山門)

(花山法皇御陵)

(父の地蔵)

(祖母の地蔵)

(母の地蔵)

(祖父の地蔵)

(子供の地蔵)

(結びの地蔵)

(賢者の地蔵)
 
   
(展望台から有馬富士を)

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