西国三十三所巡り
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第二十五番 播州清水寺  あはれみや 普き門の 品々になにをかなみの ここに清水
椋鳥は、大集団で飛行し先頭の鳥が何かにぶつかると後に続くものが次々と何の考えも無しにぶつかるという話がある。椋鳥とは、田舎から都に来たものをあざけっていう言葉でもあるらしい。播州清水寺
播州清水寺の位置をグーグルアースで検索したとき、ふとそのことを思い出した。なぜかというと、空から見る清水寺から一乗寺にかけてナメクジが葉っぱを食った後のような模様がたくさんあるのを見たからである。
なんとゴルフ場である。
そういえばバブル期、雨後の竹の子のようにあちこちにゴルフ場ができた。私のふるさと串本の畑周辺も一時ゴルフ場計画があり、私の家の畑もコースの中にあった。そのときは会員権を頂こうと手ぐすねを引いていたが、間もなくバブルがはじけてその話は無くなった。
このあたりはゴルフ場だらけである。まさに害虫が畑を食い荒らす様に似ている。せっかくの里山が台無しである。保水力も落ちているだろう。
それでなくてもこのあたりは水が少なくて灌漑用ため池をたくさん作って凌いできた地である。
ゴルフ場がはやるとなると、椋鳥の飛ぶように皆同じようにあちこちへゴルフ場を作ってしまった。当時はン億円もする会員権のゴルフ場もあったが今は二束三文のところも多いと聞く。

まさに椋鳥が障害物にぶつかり、ばたばた落ちるのと同じである。
これらのゴルフ場が健全経営しているかどうかは知らないが、いかにも日本的椋鳥集団の痕跡のような気がしてならない。

さて、播州清水寺には東条湖の湖畔をなぞるように北に向かう。

播州清水寺は、曲がりくねった山道(有料)の上にあった。駐車場からすぐに仁王門があり、一対の金剛力士像があった。
案内板には「昭和40年台風にて全壊。昭和55年末、場所をかえて新築再建。平成4年11月丹塗装完成。神戸大学元副学長 多淵教授の設計。金剛力士像は大正10年岡倉天心に従事した奈良の仏師菅原大三郎氏の遺作。後に昭和53年太三郎氏の子息、東京芸大 菅原安男名誉教授により修復」とあった。道理で新しい。

播州清水寺仁王門の階段を登りかなり深くなった緑の中を少し歩くと、薬師堂がある。中には12神将がある。私の干支の神将は「招杜羅大将」である。
薬師堂の前には方丈池があり、弁財天を祀る小さな石造りの祠が池の中央にある。
パンフレットによると、
ここ清水寺は、インドから渡来した伝説的な僧、法道仙人が約1800年前にこの地を訪れ、鎮護国家豊作を祈願したのが始まりであるという。推古天皇35年(627年)に勅願により、根本中堂を建立したと伝えられており、これが、清水寺の創始とされている。
この地はもともと水に乏しかったが、仙人は水神に祈りを捧げたところ、霊泉が湧き出したという。清水寺の名はこれに由来しているといわれている。神亀2年(725年)に聖武天皇は行基菩薩に勅願、大講堂を建立して以来永く講経道場として重要な地位を占めたという。
明治末及び大正2年(1913年)の火災で全山焼失したことにより、現存の建物の殆どは大正から昭和にかけて再建されたと案内板にも書かれている。


ここのご本尊の十一面千手観音菩薩は、大講堂にある。聖武天皇の勅願により建立されたという。この建物も大正2年に焼け、6年に再建されたという。

ここのお堂はほとんど焼けて再建されている。今昔の建物が残っていれば間違いなしに国宝級だろう。
残念である。
 
大講堂横の石段を登ると根本中堂にいく。
根本中堂は推古天皇35年(627年)に勅願で法道仙人によって創建されたといわれている。厨子の中に祀られている「根本中堂」の本尊、十一面観世音菩薩は秘仏である。播州清水寺
根本中堂の裏手におかげの井戸がある。水はすばらしくきれいであった。

泉から少しで、宝篋印塔がある。かつて護摩堂があったといわれているが、現在は般若心経の写経が3333巻納められているという。
宝篋印塔の東側に階段があり、その上には礎石がいくつかある。
多宝塔跡である。もとは保元2年(1157年)に平清盛の生母と伝えられている祇園女御の建立で五智如来が祀られていたという。
明治40年(1907年)に焼失し、その後大正12年(1923年)に再建されたが、またまた昭和40年(1965年)の台風で大破したという。
その後再建されず現在に至っているのである。
大塔跡に登る階段もかなり崩れている。
再建なるのだろうか。
予定では先に一乗寺に参拝して明くる日にここ清水寺に来る予定であったが途中道を間違い、というより阪神高速を降り違い、六甲越えをしたため時間を食ってしまった。
あわよくば東条湖で休憩がてらバス釣りを、と思っていたが実現しなかった。
本来なら有料入り口からの山道を歩いて参詣すればいいのかも知れないが車で上まで行った。
駐車場はかなり広い。
途中に土産物店がありそこの屋上からは播州平野から播磨灘が一望できるというがあいにくの雨模様で、霞がかかったようになり見ることができなかった。
帰るときには、もう売店の方々も店じまいし、駐車場の車も2,3台であった。夕暮れが迫っていた。

播州清水寺 播州清水寺 播州清水寺
播州清水寺
(放生池)
播州清水寺
 (大講堂)
播州清水寺 播州清水寺 播州清水寺 播州清水寺
 播州清水寺 播州清水寺
播州清水寺 播州清水寺 播州清水寺
(薬師堂) 
播州清水寺
(地蔵堂)
 
播州清水寺
(鐘楼)
播州清水寺
(根本中堂)
 播州清水寺  播州清水寺
   

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