米連邦準備理事会(FRB)が一矢を報いたのに対して、負けが込んできた日銀

お知り合いの日銀OBの方のお話によれば、数年前まで日銀内部では金融を引き締める(金利を引き上げる)ことを「勝つ」、緩和する(金利を引き下げる)ことを「負ける」と表現していたそうです。勝つとか負けるとか言う場合の相手方は政府です。政府は常に人気取りのために景気を良くしようとしますが、その際企業の投資や個人の住宅投資や消費を拡大させるために金融緩和を日銀に求めることになります。これに対して「通貨の番人」とも呼ばれる「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」(日銀法第2条)と定められていて、金融秩序の維持と物価の安定がその使命となっています。

この用語法に従えば、2014年10月29日に約6年間続けてきた量的緩和に終止符を打つことを決めた米連邦準備理事会は久しぶりに「勝ち」、アベノミクスの成果が表れないため10月31日に意表を突いた大規模な金融緩和を実施せざるを得なくなった日銀は「負けが込んできた」ことになります。

インフレ率は「搾取率」

日銀が物価の安定に失敗した場合にはインフレが起こります。インフレが庶民の生活にいかに深刻な影響を及ぼすかを示す例が日本でも戦後の混乱期や1973年のオイルショックの際にありました。オイルショック後の1975年には日本でもインフレ率が23%に達し、庶民は生活防衛のために買いだめに走り、スーパーでトイレットペーパーが売り切れるという事態が頻発しました。

一方、電力会社や石油会社をはじめ多くの企業が、ここぞとばかりに原材料価格の上昇分を上回る大幅な製品値上げを行うことによつてぼろもうけをしました。どこかの石油会社は「千載一遇のチャンスを利用するべき」という社内文書があったことが判明して社会的批判を浴びました。また電力会社のぼろもうけが批判された結果、電力料金を原油や天然ガスなどの燃料価格に連動させる現在の制度が導入されたのも、オイルショックの影響でした。ただ、この制度では電力会社は一定の収益が確保されるように価格が設定されている点が問題で、これがその後電力会社が庶民感覚からかけ離れた経営を続けることができた原因となりました。

このように、インフレは製品を値上げできる企業や、資産を持っていて値上がり益を受け取ることができる金持ちには恩恵となり、一般庶民は同じ金額で買えるものが減るため、実質的な所得の低下によって、生活水準の引き下げを迫られるというはっきりとした損得関係の構図があります。その意味で、インフレ率は庶民からの「搾取率」と言い換えることも可能です(「搾取(さくしゅ)」とは資本家、地主などが労働者、農民などに労働に見合った賃金を払わずに、その利益のほとんどを独占すること[明鏡国語事典])。逆にデフレは、政府、企業、富裕層にはマイナスですが、庶民にとっては生活資材が安く手に入るため、歓迎すべき変化です。政府寄りの経済学者は企業や一部富裕層が儲ければ、そのおこぼれが庶民にも恩恵をもたらし、経済全体が良くなるという理論ともいえない理論(トリクル・ダウン・セオリー、浸透理論などというもっともらしい訳語もあるようですが、trickle downはポタポタ垂れる、(汗などが)流れ落ちるという意味です)を提唱してますが、ここ数十年の間、米国、日本をはじめとして世界的に格差の拡大が加速していることをみると、これが詭弁であることは明白です。

「おまじないのような話」が日銀の金融政策の基本となっている

上で触れた日銀OBの方も「異次元」の黒田総裁が就任したため、日銀の使命が置き去りにされ、金融緩和が絶対視され、そのことを「負け」などと言う人はいなくなったとおっしゃっています。さらに異次元総裁に指名された岩田規久男副総裁は、2013年8月28日の講演で次のように語ったそうです。

「人々の期待に働きかける」という私の説明を聞いて、おまじないのような話だと思われた方もいらっしゃるかも知れません。しかし、金融政策というのは本来、「人々の期待に働きかけること」を通じてその効果を発揮するものなのです。

以上が引用です。つまり、金融政策というのは、本来おまじないのようなものであると言っているようです。またこれはインフレ目標の設定のことを指しているようです。インフレ目標、例えば、2%というインフレ率の目標を設定して公表すると、多くの人がそのことを信じる、つまりインフレ期待を持つことから物価が2%に近づくという考え方が根拠になっている政策です。その場合この政策は、「風が吹けばおけやが儲かる」とか「明日天気になあれ!」という「期待」に近い次元の話のようです。金融政策は金利や資金供給量を管理することによって、企業や個人の理性に訴えかけることによって資金需給に影響を与えて、経済の成長と物価の安定を目指すことかと私は思っていました。通常の手段では効果がなくなったため、「異次元」の緩和を実施し「期待」にはたらきかけてまでインフレ率を引き上げようとしているようですが、これがまともな金融政策といえるのかどうか疑問です。

10月31日に発表された今回の金融緩和では、長期国債の買入額を年間50兆円から80兆円に増やすことも含まれていますが、今年度の一般会計歳入額96兆円の大半、このうちの公債金収入41兆円の倍近い金額が日銀から供給されることになり、日銀はますます紙幣の印刷工場に近くなってきたようです(予想される国債値下がりの問題については「私のお返事・・・「3.11」から1年経った日本・・・・三菱東京UFJ銀行も2016年頃の国債価格の急落リスクを想定」をご参照ください)。

「お金を使った景気対策では問題は解決できない」


それでは景気を良くするには何をすべきかというと、アベノミクスの3本の矢のうちの1本とされているものの、全体像が不明で痛みを伴うこともあって一向に進展しない構造改革ということになります。ドイツのメルケル首相の側近として知られるフォルカー・カウダー連邦議会院内総務は、日経新聞の取材に対して次のように語っています。(金融緩和などの)「景気対策の効果をあまり信じていない。競争力を高めるべきだ。2015年から赤字国債の発行を停止する。ドイツは過去の借金で巨額の政府債務をかかえてしまった(引用者追記:それでもGDPに対する財政赤字の比率は今年の年末で73%と日本の245%の3分の1以下と予想されています)。だから新しい借金はしない。次世代に安易にツケを先送りしたくない。・・・借金を重ねると大きなリスクを抱えることになる。それはポルトガルやギリシャなどの財政危機で証明されたはずだ。お金を使った景気対策では問題は解決できない。費用はいつか(増税などで)捻出(ねんしゅつ・・・費用などを無理にやりくりしてこしらえること)しないといけない。構造改革こそが重要だ。・・・政権公約の通り、教育、研究・開発に投資する」(『日経新聞』2014年10月30日付)。

1989年末のバブル崩壊以降日本は、公共投資と金融緩和によって景気を支えようとしてきましたが、それだけでは問題は解決しないことを四半世紀の間(25年間)体験していながら、全くそこから学ぼうとしないという態度は、正に「うちひしがれた国民(この見方については問題38(政治)をご参照ください)」と、自分たちの懐(ふところ)のことしか考えない政治家のベストマッチの結果といえるでしょう。さらに現政権は経済の不振を戦争によって打開するという、戦前と同じことを繰り返そうとしているらしいのが空恐ろしい点です。世界経済の表舞台から後退するのは自らの責任なので仕方がないようですが、それなら少なくとも波風を立てずに静かに引き下がるべきでしょう。(2014年11月1日)。

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