問題75(論理学)の答え・・・c. 「許せないことがある場合には、理解していないことがある」(フランス語訳は"Ne pas pardonner, c'est ne pas comprendre."『許せないことは、理解していないこと』・・・下の[2018年5月29日追記]を参照)が正解です。これは、厳密な論理学的な結論です。元のことわざと答えをそれぞれ論理学の命題と考えた場合、二つの命題は「対偶の関係」にあると言われます。「対偶の関係」については、あとから詳しく説明します。

ただし、『すべてを理解することはすべてを許すこと』は『すべてを理解していれば、すべてを許すことができる』という意味だと解釈します。これは、おなじみのTo see is to believe. (百聞は一見にしかず)ということわざや、ランダムハウス英和辞典で"to"を引いて【22】<<不定詞を導いて>>の項目の最初に出てくる用例、To see her is to love her. (彼女に会えば人目で好きになる)やフランス語の類似のことわざでも、同様な理解が可能のためです。類似のことわざというのは、『望むことは、できることだ(Vouloir, c'est pouvoir.) --- 英語の対応することわざは、(Where there's a will, there's a way.)、日本の対応する表現としては、「精神一到何事か成らざらん」または「やろうと思えばできるものだ」』ですが、ここでも、最初の不定詞(vouloir = 望むこと)が前提条件になって、あとの不定詞(pouvoir = できること)が実現するという言い方になっています。

(2013年3月18日追記)「すべてを理解すれば、すべてを許せる」という文が最初に登場したのはトルストイの『戦争と平和』らしいということを、フランス在住の小林順子様が教えてくださいました。『戦争と平和』に実際この警句が使われていることを、ロシア語の原文、英訳、日本語訳で確認しました。詳しくは、「最近気付いたこと」「『すべてを理解することは、すべてを許すこと』という警句はトルストイが最初に使ったようです」をご参照ください。小林順子様、ご指摘ありがとうございました。

(2018年5月29日追記)「許せないことがある場合には、理解していないことがある」をフランス語ではどう言うのかを国立東洋言語文化大学(ラング・ゾー)ご出身のお知り合いのフランス人の方にお聞きしたところ、"Ne pas pardonner, c'est ne pas comprendre."ではないかとのことでした。これを日本語にすると、『許せないことは、理解していないこと』となります(英語では"Not to forgive is not to understand.")。さらにこれを上と同様に日常表現に直すと、「人を許せないと思うのは、その人を理解していないためである」ということになるようです。

論理学とは

論理学とはいろいろな命題の関係を明らかにする学問です。論理学では、「命題」とは、正しい(真)か誤っている(偽)かのどちらかの値しかとれない関数と定義されています[注:この定義はイギリスの哲学者、論理学者、数学者、貴族であったバートランド・ラッセル(1872-1970)の1905年の論文、"On Denoting"における定義です。もっと複雑な定義もありますが、この定義が最も簡単で正確のような気がします](この値を1と0で表したり、英語でTrueとFalse またはその頭文字を使って、TとFで表したりします)。Microsoft Excelで「IF関数」を使うときに、必要となる「論理式」がその一例です。IF関数のHELP画面によれば、IF関数は[= IF(論理式、真の場合、偽の場合)]という形をしていて、次のような例が示されていました。


IF関数 = IF(論理式、真の場合、偽の場合) =IF(A2<=100,"予算内","予算超過") ---- セル A2 の数値が 100 以下の場合は "予算内"と表示され、100を超えている場合は、"予算超過"と表示されます(引用者注:関数の中で、"予算内"というように、文字をクオーテーション・マーク〔"〕で囲むのは、囲まれた文字を、数値データではなく、文字列として表示するためのExcelの決まりです)


この場合、A2<=100 (A2に入力されている数値が100に等しいか100より小さい)の部分が論理式(=命題)で、この命題が正しい場合には、この関数を入力したセルに「予算内」と表示され、この命題が誤っている、つまりA2<=100ではない(言い換えると、A2>100の)場合には、そのセルに「予算超過」と表示されます。論理学の知識があると、Excelを使える分野が格段に広がるようです。

論理学では命題をA、Bなどの記号によって表します。さらに、二つ以上の命題を組み合わせることが可能で、組み合わせ方を示すための記号も用意されています。

(1)「〜」(「Aでない」、「否定」)・・・Aが真(1)である場合に偽(0)で、Aが偽(0)である場合に真(1)になる命題C・・・ C=〜A 
ちなみに、Aの「否定」命題Cの「否定」命題(つまり二重否定命題)HはAと等しくなります・・・H = 〜C = (〜(〜A))=A

A 〜A 〜(〜A)
1 0 1
0 1 0

(2)「or」(「または」、「論理和」)・・・AまたはBが真の場合に真となる命題D ・・・ D = A or B
(3)「and」(「かつ」、「論理積」)・・・AとBが両方真の場合にだけ真になり、どちらか一つでも偽になった場合には偽になる命題E ・・・ E = A and B
(4)「→」(「A(が真)ならばB(も真)である」、「含意」)・・・Aが真ならBも真という関係が成立しているときに真になる命題G ・・・ G = A→B

A B A or B A and B A → B 〜A or B B or 〜A 〜B → 〜A
1 1 1 1 1 1 1 1
1 0 1 0 0 0 0 0
0 1 1 0 1 1 1 1
0 0 0 0 1 1 1 1

すぐ上の表にAとBという二つの命題を組み合わせた命題を示しました。A、Bがそれぞれ1または0の値をとるため、二つの関数を組み合わせた関数は最大4種類の値を考えればいいことになります。A or Bの列は、A、Bのどちらかが真ならば、真となるため、両方が偽(0)である、一番下の行だけが偽となって、残り三つの行は真となっています。A and Bの列は、A、Bが両方真である場合だけ、真となるため、最初の行だけが真となり、残り三つの行は偽となります。A → Bの列はちょっと難しいので、各行を説明します。A、Bともに真の場合(1行目)は、Aが真ならばBも真であるという条件にぴったり当てはまるため、真となっています。Aが真でBが偽の場合(2行目)は、「Aが真ならばBも真」という命題と矛盾しますので、偽となります。Aが偽の場合には、「Aが真ならば」という前提条件が当てはまらないため、Bが真でも、偽でも、「Aが真ならばBも真」という命題と矛盾しないため、この命題は真となります。

このように考えると、A → Bという命題は、Aが偽であるかまたはBが真である(〜A or B)と言い換えることもできます。実際、表の〜A or Bという列はA → Bという列と同じ値になっています。さらに、A or Bという命題は、B or Aという命題と同じなのは明白ですので、〜A or BB or 〜Aと考えることができます。

(A → B) (〜A or B) = (B or 〜A)・・・・(1)

式(1)の最後の式のBを、等価な〜(〜B)で置き換えて、(〜(〜B) or (〜A))と書き直すと、2番目の式で、Aを(〜B)と、Bを(〜A)でそれぞれ置き換えた形をしていることが分かります。そのため、この式は((〜B)→ (〜A))とも表せることが分かります。

(A → B) = (〜B) → (〜A) ・・・(2)

つまり、「Aが真ならばBも真」が成立する場合には、「Bが偽ならばAも偽」も成立します。この二つの命題の関係を対偶の関係と言います。

これで、道具立てが揃ったため、ことわざに戻りましょう。

「すべてを理解することはすべてを許すこと」つまり「すべてを理解していれば、すべてを許すことができる」という表現を論理学的に表現してみます。
そのため、「すべてを理解している」ことを命題A「すべてを許すことができる」ことを命題Bとします。その場合、このことわざは、A → Bと表現できます。その場合、この表現と等価な、対偶表現は、(〜B) → (〜A)と表現されます。

ここで(〜B)、 (〜A)という否定表現を作るときには注意が必要です。それは、A、Bにはともに「すべて(の)」という修飾語がはいっているためです。たとえば、「すべてのボールは赤い」という命題の否定命題を考えてみましょう。ボールが全部で10個あった場合には、「すべてのボールは赤くない」が否定命題と考えやすいのですが、実際には、赤くないボールが1個でもあると、「すべてのボールは赤い」とは言えなくなるため、正しい否定命題は、「赤くないボールがある」となります。ことわざの場合も同様に考えることができるため、二つの否定命題は次のように表現できます。

命題Bの否定命題・・・(〜B) = 「許せないことがある」
命題Aの否定命題・・・ (〜A) = 「理解していないことがある」

したがって、対偶命題は次のように表すことができます。

対偶命題 = (〜B) → (〜A) = 「許せないことがある場合には、理解していないことがある」

これで、答えの説明はおしまいです。それにしても、「許せないことがある場合には、理解していないことがある」というのは、なかなか考えさせられる表現です。つまり、人を許せないと思うのは、こちらの理解が不十分であることが原因になっている、つまり、こちら側に責任があるということになるようです。許せないと思うときには、相手の立場に立って理解しようと努めると、許せるようになるということのようです。

理解を深める際に必要なのは、問題65(生き方)でご紹介したように、相手の言っていることを、相手の立場に立ってよく聞くことのようです。ただ、相手の言うことをよく聞いて、理解するのは、非常に難しく、孔子でさえ、60歳になってやっと、人の話を素直に聞く(「耳順う(みみしたがう)」、「耳従う」とも書くようです)ことができるようになったと言っているほどです。

子曰く、吾十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従いて、矩(
のり)をこえず。

わたし同様、漢文が苦手の方のために、『活かす論語』(守屋淳著、日本実業出版社刊、176ページ)に載っていた口語訳もご紹介します。

私は15歳のとき、学問によって身を立てようと決意した
30歳で、自立の基礎を固めることができた
40歳になって、自分の進む方法に確信が持てるようになった
50歳で、天命を自覚するにいたった
60歳になって、人の意見に率直に耳を傾けられるようになった
そして、70歳になると欲望のままに振る舞っても、ハメをはずすようなことはなくなった

そのためもあってか、次のようなことわざが英和辞典に載っていました。

To err is human, to forgive divine.
あやまつは人の常, 許すは神の業(わざ)

(2005年7月17日)。

〔2010年7月28日追記:この問題では二つの命題が含まれる論理式を使いましたが、三つ以上の命題を含んだ論理式は問題86(英語・論理学)に示しましたので、ご参考にしていただければと思います。〕

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