問題68(政治)の答え・・・正解は、(b. 2000年11月7日の大統領選挙から1年後)の2001年11月8日、つまり、同時多発テロ(2001年9月11日)の約2カ月後でした。

つまり、ブッシュ大統領にとっては、同時多発テロもひっくるめて、大統領選挙後の1年は信じられないほど素晴らしい期間だったということになります。この発言は、同時多発テロの犠牲者やその家族にとっては、許すことのできないものでしょうが、ブッシュ氏にとってこれほどありがたい事件は無かったため、思わず本音がもれてしまったというのが真相とみられます(余談ですが、発言者の意志に反して本音が漏れてしまった言い間違いのことを、フランス語では、ラプスュス・レベラトゥール(lapsus revelateur)というようです)。翻訳者のあとがきによれば、同時多発テロは、米国による自作自演であるという説もあったそうですが、「・・・少なくとも米政府が事前にテロのことを察知していたものの、何らかの理由でその発生を防ごうとしなかった、そしてその発生後は直ちにそれを最大限に活用して国内外の世論を誘導したという事実は否定できない」(307ページ)ようです。

同時多発テロがブッシュ氏にとってありがたいものに思えた理由としては、(1)落ち目だった支持率が大幅に上昇した、(2)10月7日のアフガニスタン戦争の開始によって支持母体の一つである軍需産業に大きな恩恵がもたらされつつあった、(3)イスラム教原理主義を信奉するアルカイダを民主主義に敵対するテロリスト集団と決めつけることによって、自らの信じるキリスト教原理主義を政治に反映させたことが考えられます。以下で、それぞれについて説明します。

(1)落ち目だった支持率が大幅に上昇した

得票数はゴア候補の方が多かったにもかかわらず、ブッシュが当選したのは、選挙がイカサマだったためであるという見方が広まったこともあって、ブッシュ氏の支持率は就任直後の53%から、いったん60%まで上昇したこともありましたが、同時多発テロ直前には、50%まで低下していました。ところが、ブッシュ氏は同時多発テロによってパニック状態に陥ったアメリカ国民を、首尾よく開戦支持に誘導することに成功したため、事件直後には支持率は90%にまで上昇し、中には9月20日の議会演説を「リンカーン大統領の響きがある」とまで絶賛した新聞(ワシントン・ポスト誌)もあったようです(『ブッシュのアメリカ』(三浦俊章[みうらとしあき]著、岩波新書)の43ページ、下の図は支持率と不支持率の推移ですが、同書の148ページからコピーさせていただきました)。


(2)軍需産業に大きな恩恵がもたらされつつあった

「最近気付いたこと」「アメリカ流の在庫整理の方法」でご紹介したように、ブッシュ政権は軍需産業を支持母体の一つとしており、発足当初から「軍国主義的」色彩の強い政権という見方が有力でした。政権の首脳の顔ぶれにもそのことがはっきりと現れています。まず、湾岸戦争(1991年1月17日開戦、同年2月27日停戦)当時の国防長官であり、マイケル・ムーア氏が実質的な大統領と呼んだチェイニー副大統領や、不気味な薄ら笑いと意味不明な発言でブッシュ政権のイメージを最悪なものとしているラムズフェルド国防長官などの伝統的なタカ派が中心的な役割を果たし、ウォルフォヴィッツ国防副長官を筆頭とする多数の新保守主義者(アメリカの安全保障のためには他国への先制攻撃も辞さない強硬派で、英語の neoconservatist を略して「ネオコン」とも呼ばれている)が含まれているだけでなく、比較的穏健と言われている国務長官のパウエル氏も、湾岸戦争当時の米軍・統合参謀本部議長でした。つまり、これ以上軍国主義的な取り合わせを考えるのは不可能と思えるほどの顔ぶれとなっているようです。

「アメリカ流の在庫整理の方法」では、1991年の湾岸戦争後10年間も大きな戦争がなかったことによって、米軍に武器の在庫がたまりすぎたため、戦争が計画されたという説があるということもご紹介しました。もし、この説が本当なら、ブッシュ氏の発言は正に本音だったことになります。

実際、NY市場で「ブッシュ関連銘柄」の一つとされている、軍需関連企業のロッキード・マーティン社の最終損益は、2000年には5億1,900万ドル、2001年も10億4,600万ドル(現在の108円というレートで換算すると、それぞれ560億円、1,129億円)と2年連続で巨額の赤字を計上しましたが、アフガン戦争で潤った2002年には5億ドル(同じく540億円)の黒字になりました。

(3)自らの信じるキリスト教原理主義を政治に反映させたこと

『ブッシュのアメリカ』によれば、アメリカ合衆国憲法には、政教分離原則(政治と宗教は分離する原則)が盛り込まれていますが、アメリカは現代の世界では最も頻繁に「神」が語られる国の一つで、その意味でキリスト教は「見えざる国教」(森孝一同志社大学教授)などと呼ばれているそうです(55ページ)。さらに同書の56ページには次のような指摘があります。

「・・・(アメリカ国民が語る「神」の観念の)中心となる考えは、米国を「地上で最も偉大な国(the greatest nation on earth)」とみなすもので、(この観念は)自由の普及を神から与えられた「明白な運命(the Manifest Destiny)」と見る愛国主義と結びついている」

ブッシュ氏は、イスラム教原理主義を信奉するアルカイダに対する危機感をあおり、アルカイダをアメリカが推し進める民主主義・自由主義に敵対するテロリスト集団と決め付けて、アメリカとキリスト教をこれに対立する主要な存在であると規定して、アメリカのキリスト教原理主義化を進展させたようです。さらに、政教分離原則とキリスト教が実質的に国教化しているという現実との間の微妙なバランスを、一気に崩して、政教分離原則とは相容れない発言を繰り返しています。たとえば、

「米国は信仰によって導かれている国家である。国民の95%が神の存在を信じ、私もその一人だ」
「独立宣言にあるように我々の権利は神から来たものだ」

などと発言しているそうです。また、後から取り消されたようですが、「テロに対する戦いは十字軍遠征(中世ヨーロッパのキリスト教国が、イスラム教徒に支配されているエルサレムを取り戻すために中東に軍隊を派遣したこと)だ」という意味のことも、同時多発テロの直後に発言したと記憶しています。

さらに、世界を「敵」か「味方」か、「善」か「悪」かに二分する世界観(例えば、全く同盟関係にない、イラク、イラン、北朝鮮を勝手に「悪の枢軸」と決めつけたことなど)にもキリスト教の世界観が反映されているようです。さらに、米国を「神の下の国」とみなす考え方が、新保守主義者(ネオコン)の単独行動主義(Unilateralism、ユニラテラリズム)に結び付いているようです。

アルコール依存からキリスト教によって救われた大統領

『アホでマヌケなアメリカ白人』によれば、ブッシュ大統領は「飲酒を自分でコントロールできないので、40(歳)になってからこのかた、一滴も飲んでいない」とか「アルコールが私のエネルギーを奪いつつあること、そしてこのままいくと、私が他の人に影響を与える力まで失ってしまうことになるということに気付いた」と述べているそうです。また、1976年に飲酒運転で逮捕されたという事実を必死で隠蔽(いんぺい:人または物が目につかないようおおうこと。かくすこと)しようとしていたそうです(73ページ、そのほかに酒が関係しているとみられる事件で2回の逮捕歴があるため、合計3回逮捕されたことがあるようです)。どうも、40歳くらいまでは、アルコール依存症に近い状態だったようです。

そんなブッシュ氏を救ったのがキリスト教だったようです。ただ、問題はブッシュ氏が入信したのが、比較的リベラルなプロテスタントの「メインライン」(主流派)ではなく、南部の保守的な「エバンジェリカル」(福音派)だったことがその後の同氏の極端なキリスト教中心主義につながったようです。『ブッシュのアメリカ』によれば、福音派の信者は、「聖書を文字通り一言一句神の言葉だと信じる保守的な信仰を持つ人も多い」そうです(18ページ)。

フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』 によれば、「キリスト教の原理主義と呼ばれる派の内側では、自派の呼称として「福音派」という語がむしろ好まれる傾向があり、原理主義の語はむしろ派の外部からのレッテルという性格がある」そうですから、「キリスト教原理主義(Fundamentalist)」と「福音派」は同じグループのことを指しているようです。「キリスト教原理主義」については、問題58(宗教)でも説明しましたが、この宗派の信者の大半は、神が宇宙と人間を創造したと、現在でも信じており、そのため進化論や多くの近代科学の成果を否定しているという、普通の日本人には信じられないような考え方の連中のようです。ブッシュ氏もこの宗派の熱心な信者だということですので、当然このように信じていると考えられます。近代科学と相容れないようなことを信じている人間が、(民主主義という仮面を被った)キリスト教を広めるためにイスラム教徒を攻撃したり、世界を動かしているようなことがあるとすれば、非常に恐ろしいことだと思います。

これで解答の説明はおしまいですが、以下では、ブッシュ氏が始めた「イラク戦争」のことについていくつか付け加えさせていただきます。戦争の理由とされていた、大量破壊兵器(weapons of mass destruction)が発見されていないため、アメリカは根拠のない言いがかりをつけて、先制攻撃をかけ、しかも、居直りを続けていることになります。おまえは、自分では危険な武器は持っていないと言っているが、ピストルを隠しているに違いない。そのため、俺を撃ち殺す恐れがあるので殺すといって、撃ち殺してからふところを調べたら、ピストルは持っていなかったという状態と同じで、人間同志なら殺人罪が適用されるべき事件です。これほど見え透いた侵略行為はあまり聞いたことがありません。19世紀の植民地支配と同じやり方のような気がします。

(A)イラクへの侵攻には石油産業支援と選挙対策という面もあった

ブッシュ政権はエネルギー産業、とりわけ石油産業と結びつきが深いことは良く知られています。この関係については、大阪市立大学経済研究所教授 中尾茂夫氏の 『グローバリズム再考』、第8 回「国家と市場」に詳しく書かれていますので、ちょっと長いのですが引用させていただきます。

『ブッシュ政権でも、その多くの閣僚が元石油会社重役で占められています。副大統領のディック・チェイニーは、長年、石油関連の大手ハリバートン社を経営していました。国家安全保障会議の責任者コンドリーザ・ライスは、石油メジャーの一角を占めるシェブロン社で、9 年間も社外重役を務めていました。商務長官ドナルド・エバンスは、天然ガスや石油を扱うトム・ブラウン社の元社長で、商務副長官キャサリン・クーパーは、これも石油メジャー・エクソン社のチーフ・エコノミストだった人物です。

なかでも、ブッシュ大統領本人、テキサスの石油人脈が出自であり、長年にわたり石油業界に身を置いていたことを忘れてはならないでしょう。かれは、1978 年に石油探査会社アルバスト・エナジー社を設立しましたが、それも1986 年にはハーケン・エナジーに吸収されましたが、その取締役に就任しています。そこには、サウジアラビアからも出資がなされていました。また、1990 年から94 年までは、カーライル・グループ(父親の元大統領当時の政権メンバーが経営に関わる資産管理会社で、ウォール・ストリート・ジャーナル紙がビンラディン一族から大規模な投資を受けていたことをすっぱ抜いて話題になった会社)の子会社ケイタレア社取締役会のメンバーでした。要するに、クリントン政権が概して、ウォール街との人脈が濃厚だったのに対して、ブッシュ政権の要職は石油業界の人脈によって占められているわけです。』

以上が引用です。『アホでマヌケなアメリカ白人』には、ここでは触れられていない石油業界関連の人脈の話も載っています。まさに利権まみれの政権のようです。最近の報道によれば、チェイニー副大統領がかつて経営していたハリバートン社は、イラク復興関連投資案件で、米政府から、一般的な競争入札によらずに、例外的に有利な「随意契約」(発注者が受注者をあらかじめ指定する)方式で受注しているそうです。「随意契約方式」は、日本の公共事業の受注方式としては一般的ですが、不正発注の温床になる傾向があるため、最近では競争入札方式を採用する自治体が増えているようです。

また、ブッシュ大統領は地球温暖化に関する京都議定書の合意から撤退するなど、エネルギー産業に有利な政策を次々と打ち出していますが、その決定版が産油国であるイラクの植民地化を狙っているとみられる「イラク戦争」といえましょう。

倒産したエンロンとは深いつながり

また、「イラク戦争」は2002年11月の中間選挙を有利に戦うための選挙対策として、考え出されたという面もあったと『ブッシュのアメリカ』では指摘されています(147ページ)。選挙を3カ月後に控えた8月頃には、2001年12月に倒産したエネルギー供給大手「エンロン」などの企業スキャンダルがニュースの中心になっていたそうです。

エンロンの倒産は、その後同社を担当していた大手監査法人のアンダーセンが解体に追い込まれたり、元副社長の自殺死体が発見されるなど、非常に大きな問題となりました。倒産前の2001年に発行された『アホでマヌケなアメリカ白人』は、同社の会長だった、ケネス・L・レイのことを『陰の大統領顧問』と名付けて、つぎのように指摘しています。「ブッシュの選挙運動における最大の献金者であったエンロンの会長。大統領との密接なコネを使って連邦エネルギー規制委員会の委員長に圧力をかけ、エネルギーの規制撤廃を急がせた。・・・(引用者追記:規制撤廃の結果発生した)カリフォルニアの電力危機のおかげで、エンロンは瞬く間に100億ドル会社に成長した。ブッシュとチェイニーはレイの助言に頼りきりだし、ブッシュ政権の中には事前にレイの「面接」を受けたあとに役職を得た人物もいる」(56ページ)。

『ブッシュのアメリカ』によれば、ブッシュ政権が「イラク戦争」の法的根拠となっている「対イラク武力行使容認決議」を議会に対して求めたのは、ちょうどこの頃で、ニューズウィーク誌の2002年11月18日号によれば、大統領の側近が集まって中間選挙戦略として、イラク問題を争点の中心にするという作戦が決定されたのは8月8日だったそうです。「イラク戦争」は国民の目を政権と産業界の癒着(ゆちゃく:比喩的に、本来関係あるべきでない者同士が深く手を結び合うこと)からそらすための選挙対策として考え出されたという面もあったようです。

(B)テロと戦争は区別できない

ブッシュ氏も小泉氏も「テロとの戦い」を唯一のよりどころとして、国民の批判をかわそうとしているようですが、米国自身も後から触れるように、最大のテロ支援国家で、タリバンやイラクのフセインを支援していたこともありました。

また、テロであるかどうかは立場によって見方が異なるという点が無視されているように思います。自分の国が行った戦闘行為をテロということはほとんどなく、攻撃を受けた側がその戦闘行為のことをテロとみなすというのが普通のようです。テロ攻撃をする方としては、他国からの侵略に対する抵抗、民族解放、独立、搾取への抵抗などの、何らかの政治的、宗教上または経済的な理由があるため、戦闘行為を、自らの主張を通すための正当な戦争と考えるのが普通です。従って、テロなのか戦争なのかは、立場によって違うという面が強いようです。

例えば、第二次世界大戦中に、フランス人民によるナチスドイツに対する抵抗運動は、現在ではレジスタンスと呼ばれていますが、ナチスドイツではこの運動のことを、テロと呼んでいました。

また、イスラエルはテロによって生まれた国という面もあるようです。「アリエル・シャロンとは誰か?」(2002.4.20)というページ( http://www.eco-link.org/jubilee/dn188.htm )には、「1948年から7年間、ユダヤ人のテロ秘密組織であったシュテルン(Stern)とハガナ(Hagana)がテロ・キャンペーンを行い、その結果、パレスチナ人の418の町が破壊され、全パレスチナ領の78%がイスラエル領になった。」と書かれており、この二つのテロ秘密組織がイスラエル建国で重要な役割を果たしたことが分かります。「ダビデの軍」( http://www.geocities.com/inazuma_jp/isram.html )というページによれば、「テロ秘密組織の「ハガナ Haganah」は、イスラエル独立戦争では主戦力となりました。ベングリオン初代首相やラビン首相もハガナ出身で、シャロン現首相にいたっては14歳ですでにハガナに入隊していた」そうです。

話はわき道にそれますが、「アリエル・シャロンとは誰か?」には、「
米国は、人口630万のイスラエルに年間50億ドル(現在の108円というレートで換算すると5兆4,000億円)の援助をしている。援助額としても最大だし、人口1人当たりにしても異常に大きい。米国が供与した戦車や軍用機が西岸のパレスチナ人の虐殺、町の破壊、そしてパレスチナ国家の象徴を消去する戦争に使われている」という記述もありました。

米国によるのテロ活動については、マイケル・ムーア氏の『ボウリング・フォー・コロンバイン』からテロ活動の記録を引用させていただきます。この表に載っている死者の数を合計すると431万2,000人となります。特に、注目する必要があるのは、ビンラディンを育てたのはアメリカであったという点です。『力の論理を超えてルモンド・ディプロマティーク、1998-2002』(NTT出版)に収載されている、「敵の出現」(著者は同誌総編集長のイニャシオ・ラモネ)という記事(3ページ、)によれば、このほかに、アメリカが先導したテロによって、インドネシアでほぼ100万人のコミュニストが抹殺されたそうです。そのため、同時多発テロに関して、この記事では次のように指摘されています。

世界中で、とりわけ発展途上国において、断罪すべき今回のテロ事件に際して最も多く表明された心情は、「彼らに起こったことは悲しい出来事だが、自業自得である」というものだった。

第二次世界大戦後の米国のテロ活動(『ボウリング・フォー・コロンバイン』からの引用)

テロ活動
1953年 イラン モサデク政権を転覆。パラヴィー皇帝の独裁政権を樹立
1954年 グアテマラ 民主的政権を転覆。20万人が殺害された
1963年 南ベトナム(当時) ディエム大統領暗殺を支援
1963-75年 ベトナム、東南アジア 米軍はベトナム戦争で東南アジアで400万人を殺害
1973年9月11日 チリ クーデターを支援。民主派のアレンテ大統領(アジェンデ大統領と言うこともある)を暗殺し、ピノチェト独裁政権を樹立。5,000人のチリ人が殺害された。
1977年 エルサルバドル 軍指導者を支援。7万人の民間人と4人の米国人尼僧が殺害された。
1980年代 アフガニスタン 対ソ政策でビンラディンらテロリストを訓練した。CIA(米中央情報局)は彼らに30億ドルを供与した。
1981年 ニカラグア レーガン政権は"コントラ"を援助。3万人のニカラグア人が殺害された
1982年 イラク 対イラン政策でフセインに数十億ドルを供与。
1983年 イラン 対イラク政策でイランに武器を秘密供与。
1989年 パナマ CIA(米中央情報局)の(引用者追記:職員または工作員)兼パナマ大統領のノリエガが米政府に反発。米政府はパナマに侵攻、ノリエガを逮捕。3,000人のパナマ民間人が犠牲になった。
1990年 クウェート 米国から供与された武器でイラクがクウェートに侵攻。
1991年 イラク 米国はイラクを攻撃。ブッシュ(41代大統領で、ブッシュ現大統領の父親)はクウェートの独裁者を復権。
1998年 スーダン スーダンの"兵器工場"とされる工場を米軍が爆撃。そこはアスピリン工場だった。
1991年から現在まで イラク 米軍は毎週イラクを爆撃している
2000-01年 アフガニスタン タリバン政権下のアフガンに2億4,500万ドルの援助を実施した。
2001年9月11日 アメリカ ビンラディンは、CIA(米中央情報局)による訓練の成果を生かして3,000人を殺害。

小泉首相が一番やりたかったこと

小泉首相は、イラク駐留米軍のサンチェス司令官が、現在のイラクで、「戦闘地域」と「非戦闘地域」を明確に区別することは困難との認識を示しており、さらに2人の外交官が殺害されるという事態が発生したにもかかわらず、イラク国内には自衛隊イラク派法に抵触しない、非戦闘地域があるという、誰の目にも明白なうそを押し通して、国民を戦闘地域に送り込もうとしています。これは、日本が長年の間に築き上げてきた、中東のアラブ諸国民との信頼関係を崩壊させる可能性があるだけでなく、日本国内、在外公館、海外の日本企業、海外で活動しているNGOなどに、テロ攻撃が及ぶ危険を高めるものです。

小泉首相は、靖国参拝問題でのかたくなな態度からも分かるように、もともと軍国主義的思考方式を持つ自民党タカ派の有力メンバーでしたから、今回の派兵決定こそ一番やりたかったことで、「構造改革」の方は単なる、みせかけの人気とりだったかも知れません。たとえば、従業員1万9,307人(2003年3月末現在)の「りそなホールディングス」を支援するために2兆円(国民1人当たり1万6,000円)もの資金を使うことが今年5月に決定されましたが、これは従業員1人当たり1億円以上の金額になります。金利もほとんど払わないため、庶民にはほとんど恩恵をもたらしていない銀行を、こんな大金を払って支援する必要があるのでしょうか。また、銀行に勤めているというだけで、そんな大金を出して支援してもらえるというのは、民主主義といえるのでしょうか。また、衆議院選挙が終わったとたんに、高速道路整備計画を当初計画通り実施するという話が出てきました。こうなると、小泉改革ってなんだったのと言いたくなります。(2003年12月14日)

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