夢野久作 ゆめの・きゅうさく(1889—1936)


 

本名=杉山泰道(すぎやま・やすみち)
明治22年1月4日—昭和11年3月11日 
享年47歳(悟真院吟園泰道居士)
福岡県福岡市博多区中呉服町9–23 ‎一行寺(浄土宗)



小説家。福岡県生。慶應義塾大学中退。僧侶、謡曲教授を経て、大正15年『新青年』の懸賞に創作探偵小説『あやかしの鼓』が入選して夢野久作を名乗る。昭和10年日本探偵小説三大奇書の一つといわれている『ドグラ・マグラ』を刊行。ほかに『瓶詰地獄』『氷の涯』などがある。






  

 私は嬉しい。「あやかしの鼓」の由来を書いていい時機が来たから……
 「あやかし」という名前はこの鼓の胴が世の常の桜や躑躅と異って「綾になった木目を持つ赤樫」で出来ているところからもじったものらしい。同時にこの名称は能楽でいう「妖怪(アヤカシ)」という意味にも通っている。
 この鼓はまったく鼓の中の妖怪である。皮も胴もかなり新らしいもののように見えて実は百年ばかり前に出来たものらしいが、これをしかけて打ってみると、ほかの鼓の、あのポンポンという明るい音とはまるで違った、陰気な、余韻の無い……ポ……ポ……ポ……という音を立てる。
 この音は今日迄の間に私が知っているだけで六、七人の生命を呪った。しかもその中の四人は大正の時代にいた人間であった。皆この鼓の音を聞いたために死を早めたのである。
 これは今の世の中では信ぜられぬことであろう。それ等の呪われた人々の中で、最近に問題になった三人の変死の模様を取り調べた人々が、その犯人を私——音丸久弥と認めたのは無理もないことである。私はその最後の一人として生き残っているのだから……。
 私はお願いする。私が死んだ後にどなたでもよろしいからこの遺書を世間に発表していただきたい。当世の学問をした人は或は笑われるかも知れぬが、しかし……。
 楽器というものの音が、どんなに深く人の心を捉えるものであるかということを、本当に理解しておられる人は私の言葉を信じて下さるであろう。
 そう思うと私は胸が一パイになる。
                                               
(あやかしの鼓)



 

 〈今日は、良い日で、あは、は、は、は——〉、両手をあげて笑ったのが最期であった。
 昭和11年3月11日、久作は朝から散髪屋に行き、風呂に入って気分もさっぱりと、紋服に袴をつけて謡曲の宗家に赴くつもりだった。そんなところへ国粋主義者であり政界の黒幕として暗躍した父杉山茂丸が遺した負の遺産の処理を託していた『アサヒビール』重役・林博が訪ねてきた。父の死後、その後始末に疲労困憊していた久作にとって、それらのすべてが精算されるであろうはずの報告書を受け取った瞬間の高揚した気分はいかほどのものであったろうか。歓喜し、脳溢血のため昏倒してそのまま果ててしまった。夢野久作の生み出した浪漫世界は、今も逆説的宇宙を縦横に巡らせている。



 

 西の空にうっすらと赤みを宿した帯雲をのこして、弱々しい夕闇が迫っている。薄汚れた川端の古びた寺、黒御影石に金箔を施された「杉山家累祖之墓」はもやがかった地熱を背にして、次々と生まれてくる沈黙にどこまでも向かいあっている。
 父は息子の『アヤカシの鼓』を読んで〈夢の久作(福岡地方の方言で、「うつけ者、いつも夢ばかり追っかけている者」というような意味)さんの書いたごたる小説じゃね〉と評した。ペンネームの由来である。
 その父とともに眠る土庭は苔の匂い。捧げられた小振りなひまわりは日の精を吸いつくして、黄色なるべき花弁は透き通った夢の中に。去りし時の葛藤や情熱を取り込んだ墓主たちの夢想は夕闇の袂で息を潜ませ、光射す朝を待ち続けているのだ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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