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  大糸線シンポジウムに関して ゲストブックに寄せられた ご意見

 2002年10月14日、大糸線にSLを走らせる会主催・大糸線利用促進輸送
強化期成同盟会などの後援で (シンポジウムどうなる・どうする大糸線) が
糸魚川市で開かれました。
大糸線ゲストブックでは、シンポジウムに向けて皆さんから以下の2点につい
て意見を募集しました。(10月1日から)

 ◎ 3月のダイヤ改正で1日8本減便され、南小谷での連絡も以前に比べて
  不便になっている現状をふまえて、今後どのように利用促進を図っていく
  べきか
 ◎ 「新幹線と引き換えに、大糸線は3セクも無理」などと言われていますが
  その将来についてどうすべきか、新幹線後の大糸線の生き残る道はどう
  あるべきか       (JR西日本区間・南小谷〜糸魚川間が対象です)

シンポジウム終了後に寄せられた感想も含めて掲載してあります。
                (2002/10/1〜10/26投稿順に掲載・原文のまま)


大糸北線ですが、促進を図るのであればやはり、電化の上あずさ号糸魚川直通!でしょうか。
しかし、冷徹に考えますと残念ながらバス転換、となってしまうのでしょうね・・・・・・。
南小谷−白馬間も楽観視できない、といえるかもしれません。

僕も大糸線の北側を電化することに
賛成です。冬のシュプールは、その非電化の区間のために
ディーゼルが入っているので
ちょっとスピードUPになるかなあ?

私も、南小谷〜糸魚川間の直流1500ボルト電化を推進したいです。
(糸魚川駅構内に直流ホームの新設、糸魚川〜姫川間のデッドセクション設定ナド)
でも、そのためには、JR西日本自体の意識改革が必要です?
(今年は、キハ181系「白馬アルプス」が消滅し、妙高高原行きの485系「信州トレッキング」に取って代わられてしまいましたし)

なぜ、「白馬アルプス」が消えてしまったかについてですが、
1:キハ181系自体が著しく老朽化している(山陰地方では、キハ187形に置き換えられています)
2:「白馬アルプス」の走路全体(大阪〜金沢〜糸魚川〜信濃大町)の中で、非電化区間は大糸線の糸魚川〜南小谷のみである以上、その区間を走らせるためだけにわざわざ気動車を投入するのは、コスト上問題がある?
3:糸魚川〜白馬間をバス輸送に切り替え、代わりに直江津〜妙高高原まで足を伸ばした方が、関西からの乗客のニーズに適合している?

北陸新幹線糸魚川駅開業後の影響はマイナス面ばかりでなく、糸魚川までの所要時間が桁違いに短縮されるため、片道を新幹線でワープすることにより余裕のある時間で大糸線経由で東京(新宿)に戻るという旅程を組むことが可能になるため、東京方面から北陸方面に行く旅行の選択肢が格段に増えることも予想されます。JRが経営を退いたあとの鉄道資産を電化した後にいったん「新幹線保有機構」ならぬ「地方鉄道路線保有機構」というのを作って国有化し、大糸線北側運営私鉄会社を作って(JR西日本10%、JR東日本30%、東京名古屋大阪の大手私鉄(小田急、名鉄、近鉄など)40%、県、市区町村、一般投資家、鉄道ファン(?)が残りを出資)車輌は保有せず、すべてJRあるいは大手私鉄車輌を乗り入れの形で運営し、鉄道施設は保有機構から無償で借り受け、保線部門は別会計にして国からの特別会計(「赤字地方鉄道路線管理維持特別会計」というのを作って年間100億円ぐらい予算をつける)から補填してもらってまかない、JRや他の大手私鉄の経営ノウハウを取り入れていろいろな線区との乗り入れや豪華車輌を使用したスーパーあずさを延長した長距離列車を多数運行する・・・なんて、虫のいいことは無理でしょうか。でも、かならず大糸線の北側区間の生き残る道はあると思います。速く移動するばかりが旅の目的ではありませんから

思いつきでお恥ずかしい提案でございましたが、ご感想を頂戴し有難うございました。
では、悪乗りついで、恥かきついでに続編を・・・・。
北陸新幹線の所要時間は新幹線関係のHPから得たものですが、新幹線糸魚川や新幹線新黒部などの駅までの東京からの所要時間も停車パターンにもよりますが2時間前後となるはずです。
今まで東京の人間が北陸線沿線の駅を旅行の目的地としてならともかく開始点として考えることは無理なことでした。しかしながら、このような大幅な時間短縮が実現すると、たとえば、午前9時に東京駅を出た日帰り旅行者が、新幹線糸魚川や新幹線黒部、新幹線富山に着くのは午前11時前後です。そこから日帰りでどんなことができるでしょうか。たとえば、糸魚川から電化され一体化された大糸線で白馬から栂池自然園に、あるいは冬場にスキーに・・・。信濃大町からアルペンルートに・・・。さらに安曇野周辺を広く観光したあと三郷村でりんご狩などしたら・・・。アルペンルートの帰りは、富山からまた新幹線に、大糸線沿線の観光後は松本からあずさで新宿へ。今までよりずっといろんなことができます。さらに遅い時間(たとえば午後一時東京駅発)からの小さな日帰り旅行も可能です。逆に新宿から中央線経由で松本から先に行っていた人は、糸魚川からのルートを選択するようになり、新幹線と中央線の競合関係となってあずさや中央線関連の速度改善が促進されて、サービスがよくなる可能性が出てきます。そうなると、大糸線北側の利用価値はかえって高くなるのではないでしょうか。修学旅行などで片道新幹線と組み合わせて、大糸線沿線の北アルプス安曇野観光を一つの目玉とすることもできるようになります。ルート設定も複雑にいくらでも選定できます。新幹線富山周りで飛騨高山に行くこともできるようになります。
このように考えると、新幹線開業によって一気に東京からは伊豆方面に行くより近くなった北陸沿線は百花繚乱状態となり、一気に北陸線と接続する各ローカル鉄道路線は活況を呈するのでは・・・。
これに気付いた私鉄経営者は、いち早く大糸線北側区間私鉄会社への資本参加に乗り気になってくるかもしれないし、名実ともに私鉄となったJR東日本は単独で電化設備投資・JR西日本からインフラの買収をしてくるかも・・・。
大糸線北側の運営を引き継ぐ私鉄会社に東京や関西の私鉄会社に資本参加させるのは、これらの私鉄会社に、北陸沿線の観光ビジネスに参加させることによって、マンネリ化した観光地とは別の新しい未開発な信州や北陸の観光開発のチャンスを与えることにより、場合によってはかなり大規模な設備投資をしてくるかもしれないからです。たとえば、小田急などは箱根というドル箱路線をほぼ独占してきたため、ある意味では長年これにあぐらをかいてマンネリ化も目立ちますが、新たに直接はつながっていない信州北陸の観光地を営業区域にすることができ、極端なことを言えば、JR新宿駅発の糸魚川行き小田急ロマンスカーを新造した車輌で挑んでくるかも・・・。(北陸新幹線と小田急ロマンスカーで行く蓮華温泉安曇野日帰りパック、立山黒部アルペンルート室堂折り返し日帰りパックなど。)これから先、何が起こるか分かりません・・・。
もし、地元に(千葉のハマコー先生のような)豪腕な(?)代議士がいれば、政治力を使って何とか大糸線を電化させるのが先決です。これがカギになるのではないでしょうか。
保線維持管理の国費負担では、道路財源を持ってくるようにすべきです。極端な場合、大糸線に自動車車輌輸送機能を持った車輌を連結して、繁忙期に渋滞した高速道路からの迂回車輌輸送機能を持たせて「大糸線は道路輸送機能を補完する。」というつじつま合わせをして予算を分捕ってくる、などということも考えられないでしょうか。

大糸線電化区間にも改良したらいいなあと思う点は、多々あるのですが、たとえば
@交換設備をもっと増やして、列車の行き違い可能性をまして、よりフレキシブルなダイヤに対応できるようにする。
A繁忙期と閑散期の列車ダイヤを極端に変えて、特に繁忙期の利便性を向上する。たとえば夏休み中は古くなった183・189系を使って一日中快速電車を南小谷松本間で終日走らせ、すべてのあずさ、スーパーあずさに接続させ利便性をはかる。あるいは日中すべてのあずさをせめて信濃大町まで直通にする。
B大糸線一日フリー乗車券を創設し、どこで何回乗ってもおりても一日1000円というきっぷを発売する。
C ABと関連して、内装をグレードアップし、車内販売(駅弁含む)や喫茶室を設けた一日中往復する「安曇野パノラマ快速・普通」のような列車を走らせる。中にみどりの窓口機能を持った高性能券売機を設置し、松本接続のあずさの回数券座席指定や座席指定特急券が購入できるようにする。列車内に移動コンビニ車輌を設ける。朝から日没までゆったりとした座席でお茶を飲みながら安曇野の景色を放心状態で眺められる。
D観光拠点になる6から7駅ほどに300台程度の大規模な無料または低料金の自動車駐車場を併設して、高速道路経由で車で安曇野を訪れる人がここで車を長時間駐車し、Bのフリーパスを使って安曇野観光をできるようにする。大糸線の利用機会が増える。(パークアンドライド?)
E Dと関連して、駐車場設置駅にホーム付き留置線を増やして、183系などを改良したコンビニなどを設置した車輌をそのまま留置して、季節中列車店舗のようにしてしまう。鉄の皆さんが喜びそうな限定グッズを置けば車で来た人がみんな買いに来ます。大繁盛間違いなし。留置線=列車お立ち台。

大糸線(松本〜南小谷含む)の利用者数が年々減少しているのはよくわかりますが、その原因を作ったのは、国鉄(分割民営化後はJR東日本&西日本)自身ではないでしょうか?
というわけで、「欠席裁判」まがいにはなってしまいますが、国鉄の責任と考えられる?ことをいくつか列挙してみたいと思います。
1:南小谷〜糸魚川間を未電化のまま放置し、鉄道路線の連続性をないがしろにしたこと
  (南小谷〜糸魚川間は、トンネルと路線カーブの関係上、電化が困難?なのはわかりますが)
2:1995年の豪雨災害を引き起こしたのは、JR西日本の路線保守の手抜きと考えられること
  (その後の復旧作業にも手間取ってしまったことが、現在も尾を引いているのでしょう…)
3:沿線には数多くの名勝が存在するにもかかわらず、JR西日本がPR活動を怠ったこと
  (JR東日本はパンフレット上で、小海線&飯山線と一緒に沿線の名所を紹介しています)
大糸線問題は、こうした国鉄(JR)の怠慢を抜きにして考えることは望ましくないでしょう…。

現状では長野県側から見ると接続が悪く、利用を躊躇してしまいます。
私個人の意見としては、
1:せめて土日休日だけでも平岩折り返しを止めて南小谷まで接続する。
2:接続する電化区間側も快速運転をする。
JR東日本側の協力も必要かと思います、大票田の白馬近辺でさえ近年は乗客が減っていますから
、運賃収入が転がり込みのであればJR東も協力してくれると思います。
北陸新幹線開業後はJR東に移管してもらい、北陸・関西方面から白馬近辺へのアクセス路線として活用してもらう方法は如何でしょうか
9月の下旬燕岳に登ってきました。友人のマイカーに乗せてもらったのですが、国道148号線は改良が進んでいますね。しかし、トンネル、スノーシェッド内では急カーブにも拘わらず、後ろからあおられ時速90qで走っていました。
 非電化区間の大糸線の最高速度は精々時速60qぐらいでしょう。これでは人が乗らないわけです。昭和30年代の旧泰然とした設備の大糸線が、改良の続く国道を走る自動車に勝てるわけがありません。
 燕岳からの帰り道、松本から中央高速を経て東京方面へ向かうであろうたくさんのトラックとすれ違いました。最近交通安全のため、高速道路の建設を進め、トラックを一般道から高速道路へシフトさせるという新聞記事をみました。いっそ鉄道へシフトしてはどうかと思います。大糸線を改良し、ピギーパック輸送を行ってはどうでしょう。
 148号線の交通量は減少し、交通安全や環境問題の解決につながると思います。改良の費用は道路整備特定財源から捻出します。交通安全につながるということで、このような税金の使い方について、世論の納得が得られると思うのですが…。
 別に弁護するわけではありませんが、競争に敗れた設備を背負い込ませられている、一民間企業のJRは気の毒なような気がします。対等に競争できるシステムを構築することが必要と思います。

議題2点についてですが、思いついた点を書きたいと思います。
 ◎ 1.について
最低でも、1日2往復南小谷まで乗り入れているスーパーあずさとの接続を
良くして欲しい。3月の改正後、上りの10号、下りの5号は列車がなく
全く使い物にならない。改正前は何れも接続が良く、東京に向かう足と
して役立ってはいたと思う。所用時間は糸魚川〜新宿が5時間と長いが
南小谷まで約1時間と短い為、乗り換えはあるものの湯沢乗り換え
新幹線経由よりも1本で繋がっている・・に等しい安心感のようなものがあった。
大糸北線の電化は必須条件だと思う。大昔から思っていたがたかだか35キロの
区間であるここだけが何故ディーゼルなのか?という疑問を持っていて、
中途半端さが拭いきれなかった。
この区間は全国でも有数の厳しい自然条件の上にレールが敷かれ、
運行中止も度々ある、また予算の問題など道のりは険しいかもしれないが、
環境が似ていて同様の厳しい条件下にある長野県南部の飯田線
(特に天竜峡〜三河川合間の旧三信鉄道区間)
も建設された当初(戦前)から電化されているので今の技術を持って
すれば工事も可能だと思う。
沿線の活性化はもちろんのこと、万が一ほくほく線、上越新幹線が
事故や災害で運行できなくなった場合、糸西地区、北陸方面からの迂回ルートとして
利用できる。(将来北陸新幹線が通った場合も然り)
 ◎ 2.について
個人的思い入れもあり生き残ってほしいと思う。(最低3セクでも・・・)
1.と重なるが、電化を前提とすれば
そのような措置は免れると思う。北陸新幹線が将来全線開通した時に糸魚川を通過地点
にさせないためにも大糸線の存在は必要。新幹線が出来れば、糸魚川はもちろん
小谷や白馬(大町市北部も含まれる?)までの最短ルートとなり、日帰りも可能となる。
沿線にはスキー場はもちろん、温泉をはじめ魅力的な観光資源が多くあるが、
いまひとつPRに欠けるような気がする。、もっと積極的に出たほうがいいのでは?
現状では温泉地までは自家用車で乗り入れしなければ行けないような状態なので
駅から温泉までの定期バスを運行し、アクセスを良くする。

現在でも18きっぷシーズンは大糸線に乗車しています。
 さて大糸北線を電化するには、糸魚川−南小谷間を直流にした場合は架線配置の関係上、糸魚川駅の大糸線ホームは敷地の端に移動するしかないと思います、さもなければ交直両用車が必要ですが、投入されるとしたら419系か475系になるでしょう、でも老朽化している感が否めない車両では先が見えません・・、ただでさえ交直両用車は高価なので普通車両となると他JRでも更新が進んでいない現状では・・。
もう一つは架線を張れる高さが無いトンネルが幾つもあるからではないでしょうか、蒸気機関車時代に掘られたトンネルに多くみられますので。
 電化するとなると常磐線福島県内みたいに、別のトンネルを掘ったりルートを変更する必要が出てきますが、費用が莫大になるのは目に見えているからではないでしょうか。

糸魚川の直流1500ボルトホームですが、もし作るとしたら、糸魚川駅構内の高架化と並行して進めるべきではないでしょうか?
加えて、北陸本線から乗り入れる車両用に、糸魚川〜姫川間のセクションも設置してあげることも重要でしょう…(457系用に)
北陸新幹線乗り入れを見越した上でのことでしょうが…。
トンネルの問題についてですが、既存のトンネルの拡幅工事を進めるといった手は考えられないのでしょうか?

皆さんの大糸線の意見が活発なのに触発されて書き込みします。
電化が望ましいのですが、コスト面では実現不可能とあれば…
観光需要に期待するしかありませんね。
北陸新幹線開通後は、
東京〜北陸新幹線〜糸魚川〜大糸線〜松本〜中央線〜東京
という一筆書きの経路の観光客の需要をもっと掘り起こせると思います。
その為には核となる観光列車の運行が不可欠です。
大糸線にトロッコ列車を走らせてみてはと常々思っております。
トロッコ列車なら機関車の交換だけで、大糸線を直通させることは可能でしょう。
大糸北線のオプションとしては
途中に塩の道のトレッキングを取り入れる。
1.中土〜南小谷コース
下里瀬宿、虫尾阿弥陀堂を経て小谷郷土館に立ち寄る
2.中土〜北小谷コース
碑田山の大崩落を見物して来馬温泉に立ち寄る
平岩駅からのシャトルバスで蓮華温泉の温泉&トレッキングを売りこむ

私も一言言わせてください(笑)
現状で出来る活性化といえばやはり観光かと。
特に最近のトレッキングブームを逃さないテはないでしょう。せっかく沿線に
北アルプスの素晴らしい山々があると言うのに、勿体無いですよね。
トロッコ列車しかり、北陸新幹線&大糸線で行く北アルプス周遊きっぷ
(温泉、ホテル等提携企業の特典付き)なんてのもいいかも知れませんね?

電化にかかわる費用ですが、播但線電化北伸部会が実施しているように、地域住民からの基金積み立てで一部をまかない、それをJRに寄付するといった方法をとってもよいのではないでしょうか…。
(播但線に事情がよく似ているように思えますので)

大糸線非電化区間の北陸新幹線糸魚川駅開業後もその前も存続させるために、駅名変更の案を(思いつきではありますが)考えてみました。
現在の、大糸線非電化区間の駅名は、(こちらのHPの詳しい解説のとおり)それぞれ地理的・歴史的に由緒ある正しい名称が採用されており、この呼称に対して私はなんら違和感を覚えることなどありません。しかしながら、大糸線を存続させるにはやはり世論を味方につけることが是非必要であり、全国的によく知られた名称を一部でも取り入れることにより大糸線北側区間の存在をはるかに広く全国に認知させることができるようになります。この際、駅名に土地のもっとも著名な観光資源を象徴した名称・呼称を取り入れたものに変更する案を考えました。また、駅名変更することによって、さまざまな媒体で(たとえば時刻表や旅行ガイドで)全国の人々の目に付く機会が増え、列車の行き先表示、主要な駅での乗り換え行き先案内表示、新幹線や中央線、大糸線の車掌アナウンス、切符にも印刷されることになるため、自動的に大変多くの長期に亘る広告を行うことにもなります。また、旅行紀行番組で取り上げられる機会も増えるのではないでしょうか。
@大糸線北側区間の出発点である南小谷駅には「北アルプス北玄関口・南小谷駅」または「北アルプス口・南小谷駅」または「北アルプス入口・南小谷駅」あるいは「北アルプス・南小谷駅」という名称をつける。私は、山登りは素人でこの土地が北アルプス登山の相対的にどのような立地に(地理的、利便さ的に)位置しているのか自信がありませんが、「南アルプス市」が出来るくらいですので、何らかの形でこの駅が北アルプスの入口に位置することを象徴する駅名とするのは悪くないと思うんですが・・・。実際に登山口に位置しているのではなく、新幹線糸魚川側から大糸線に入ったときに、ここから先は北アルプスの山々が連続しますよ、望めますよ、スキー銀座ですよ、登山口のある駅が多数連続しますよ、という意味で。でも、あまりに北アルプスの名前を独り占めすると他の著名な山岳駅(信濃大町駅)などからチョッとマッタなどと言われるかも。
A中土駅には「中土・小谷温泉駅」という名称を。
B北小谷駅は、「きたおたり」という響き・語感が美しく、土地の名称もあらわすためにそのまま残す。
C平岩駅は蓮華温泉への入口であることから「蓮華温泉・姫川温泉・平岩駅」という名称を。
D小滝駅は「小滝・姫川渓谷・ヒスイ峡駅」という名称を。
E根知駅には「根知フォッサマグナパーク駅」という名称を。
F頸城大野駅、姫川駅、糸魚川駅は市街地に近づくため、観光地的名称をつけるのは難しいですが、何らかの観光資源や自然の美しさを想起させる第二名称などを。
よそ者が何をたわけたことをと言われそうですが、あくまで前向きな一つの案として思いつくままのことですのでどうぞお許しを・・・。第一、駅名としてはあまりに長くなりすぎますが、これもまた一つの特色で・・・。
このような駅名から観光資源の連続する沿線であるのが一目瞭然になってしまうと、さすがに新幹線が接続した上に、これだけの観光資源をもつ沿線をみすみす廃止にする鉄道会社がどこにあるのかという議論がわきおこるであろうし、このような観光資源を持ちながらわざわざ廃止に追い込んでしまった鉄道経営者の経営判断能力は・・・などと言う話が出ることも予想されますので、経営する鉄道会社としてもさすがに廃止には応じられなくなるのではないでしょうか。もちろん、駅名変更に伴う莫大なコスト(駅や車輌の各種表示の変更に伴う費用、さまざまな帳票・原簿の再印刷費用、座席予約・発券システムの修正や再構築、JR社員への教育・周知徹底などなどなど)をどこが負担するのかといった問題もありますけれど・・・。

1)第3セクター化は止む無しだが、直流電化した上で運営はJR東に委託し一体で運行
2)第三セクターは北陸本線と一体化せずに、独立した経営を行い特色を出す(日本一小さな3セク鉄道になれますか?)
3)直流化費用を地元で賄いきれない場合は、国債金利+αで社債を発行し全国のファンと投資家から募集する
4)第3セクターの経営者には優秀な民間人を据える
5)直流化断念でも、レールカーの投入などで最低限レールははがさない
6)災害復旧のときに自治体が費用負担した経緯を踏まえて、JR西は固定資産などを無償譲渡する
以上はJR西が手放した後の枠組みの話ですが、地元の人に乗ってもらわなくては経営が成り立ちません。主に地域の総合交通体系と地域の自立の中での見直しが重要になると思います。
1)平岩駅での分断ダイヤの見直し
2)高規格道路「松本糸魚川道路」の建設凍結
3)国道の部分改良、生活道路、地域農道と林道の部分整備
4)特区としてタクシー免許の緩和、集落〜大糸線最寄駅までの限定免許(2種免許不要)で駅とのフィーダーの確保と活用
5)道路特定財源の鉄道・バスへの投入、バリアフリー化の補助
6)第3セクター転換時の費用に道路特定財源を投入
あと、イベントや観光客誘致については皆さんのいわれるとおりだと思います。
地元、特に自治体関係者は「高速道路も欲しい新幹線も欲しい、でも在来線も残せ」って理論の展開は無理なことを再認識する勇気も必要だと思います。
全国の多くの地域で新幹線と高速道路は地方から雇用・人材、経済を吸い上げるポンプであったことも忘れるべきではないでしょう。今後はポンプに頼らず、出来る範囲の中で地元の価値を高める戦略が今の地元首長の方々にあるのでしょうか。
P.S. トンネル断面の問題は、最新開業区間の真那板山随道や鎌倉山随道では問題ないようです。比較的古い大野や根知のあたりのトンネル断面が小さいと聞いたことがあります。

シンポジウム終了後

シンポジウム、まことにお疲れ様でした。
やはり、地域住民の積極的な行動なくしては、大糸線問題は決して改善されないのでしょうか…。
というわけで、糸魚川・ヒスイ王国館の前にでも、「大糸線を残そう!募金箱」と銘打った募金箱を設置して、地域住民・大糸線(南小谷〜松本含む)の利用者へ協力を呼びかけるのも考える必要があると思います。

12〜15日まで実家に帰省して、ヒスイ王国館でのシンポジウムに参加して参りました。
パネリストの方々、また参加者のみなさんの熱意が伝わってくる有意義なシンポでした。
私自身、地元でありながら大糸線のことをあまり知らず、どことなくおざなりにしていたことを改めて感じました。大糸線を活性化させる為には、皆さんも申し上げていましたが第一に地元の熱意、意識改革が必要だと思いました。現状では地元にいまいち盛りあがりが感じられない雰囲気が漂っているような...。
この地域特有の市民の気質(あまり新しいものに飛びつかない、消極的)も関与しているように
思われ、根本から考え直していかねばならないでしょう。
参加者については、用意されていた席の半分ほどが埋まっていたように思われ、年配の方がほとんどで、若い人(私も若くはないんですが...^^;)
にももっと関心を持ってほしいです。
最後の一般参加者意見コーナーであるお方からの「あきらめないでください」との一言に私も勇気付けられました。
参加された皆さん、パネリストとして出席されたイタ様、本当にお疲れ様でした。
...ということで行き帰り共にもちろん大糸線を利用いたしました。
行きは新宿発10:00の「スーパーあずさ5号」で信濃大町まで乗車、車中の字幕放送にあった「南小谷以北運休日のお知らせ」というのが気になってしまいましたが、好天に恵まれ久しぶりに
望むアルプスは絶景かな絶景かな。
事前に約束をしていた名古屋方面から遊びにきてくれた友人と大町市内で合流し、大町以北は車での移動になってしまいましたが、途中葛温泉「高瀬館」と道の駅小谷に寄りました。久しぶりの葛温泉は都会での生活を忘れさせてくれる、正に至福のひととき。露天風呂から仰ぎ見る
青空がとってもきれいでした。欲張って1時間近くいました(笑)
帰りのルートは当初ほくほく線上越新幹線を予定していたのですが、シンポで刺激されたため
(苦笑)またもや大糸線で引き返すことにしました。そういえば肝心の区間は乗ってこなかった
し、大糸線の活性化に微力ながらでも貢献しなくては(笑)
糸魚川15:06発の432D→南小谷発1344M→信濃大町発富士見行1542M→上諏訪
から最終のスーパーあずさ16号とたどり帰宅したのは23:00をまわった長旅でした。(^^;)
糸魚川からは平日にも関わらず旅行客や登山客と思われる方が乗ってきて20〜30人はいらした
かと思います。南小谷まで各駅事にぼちぼちとお客が下車しましたが、本数が少なくなったため
でしょうか、客は意外にも多いんだなという感想でした。
この日も好天に恵まれ車窓からは穏やかな姫川渓谷、小滝〜平岩の右手車窓から白馬三山が
ちらりと望めました。これからの紅葉の季節はもっとステキでしょうね。
こういう風景はお供している国道148号をただ走っていてはお目に掛かれないものなので、何だか
新鮮な感じでした(多分地元にずっといたら車ばかりでしょうし...)
姫川に大きな石がゴロゴロしていたり、北小谷〜中土にかけては山深いところ山腹にへばりつくように集落が点在するのが確認され、この地域の自然の厳しさを改めて感じました。
また、E127系車両に乗り換え、車両後部の運転席から遠くを眺めると見慣れている雨飾山が
遠くに見え、南神城を過ぎ佐野坂を越える付近まで見えていました。
大町を過ぎ安曇野に差しかかると日が暮れ通勤通学のお客さんが多く乗ってきました。
心癒される大糸線全線走破各駅の旅でした。また帰省の折には乗りたいです!

シンポジウム本当に大変お疲れ様でございました。
想像するかぎり大糸線を取り巻くさまざまな諸課題(問題点)が数多く見つかった(具体的に認識された)だけでも大変な進歩というか大収穫だったのではないでしょうか(こちらのカキコミから想像させていただいて)。こういったことが、多くの人たちの共通して認識するところとなり、少なからず各方面(特に鉄道各社)には我がことのように身につまされたことも多かったのではないでしょうか。

実は私も当日シンポジュウム会場内に居ました、しかし他の方の発言が積極的だったのと、時間の都合上、発言は控えてしまいました。
 シンポジュウムで大糸北線の問題点が鮮明になったと思います、何よりシンポジュウム参加者でさえ当日、会場まで大糸線で往復出来ないと発言されている方が何人もいらしたのが、一番の問題点かと・・・。
 現状、糸魚川駅で自社特急との接続が悪いなんて首を傾げるようなダイヤの改善を、JR西に求めるなどダイヤの改善を進める事が、大糸線再興への第一歩かと思います。

シンポジウム出席の皆様、お疲れ様でした。
やはり、これからの地方自治は道路にしても鉄道にしてもダムにしても、行政に任せきりにしない住民の自立的な取り組みが肝要になってくるように思います。
「自治」ですから国の直轄や補助金を当てにしない意思と税配分が求められると思います。
さん、
電化が南小谷止まりなのは、1に旧国鉄の管理局境界(金沢と長野)の問題と2に乗客の流動方向(平岩以北は糸魚川経済圏)、最大は行政区分(長野と新潟)の谷間に落ちていたことだと理解しています。技術的な問題は二の次だったでしょうね。
当時は小谷村当局も信濃森上以北、南小谷電化開業で「我が村に電車が来た」と電化運動が一段落した印象があります。
私は小谷村生まれ、今は東京都民ですが、松本糸魚川道路とこの大糸北線問題は広域交通体系と地方自治の自立の点で注視して行くつもりでいます。

JR各支社のエリアは、国鉄時代の鉄道管理局エリアをそのまま引き継いだような所が多いですから、その可能性は大きいですね、なにもJR化後も引きずらなくてもとは思いますが・・・。
 その当時、大糸線で貨物輸送はあったのでしょうか?、もし貨物輸送がそこそこあったら、国鉄のことですから構わずに全区間電化したかも・・・。
 それにしても電化の絶好の機会を逸したのは痛いですね。

 話は変わりますが、冬にムーンライト信州が運行されますね。
 急行アルプスと似たようなスジみたいですので、1323Mに乗り継げば南小谷まではすんなり行けますが糸魚川へは・・・、せめてこの期間だけでも423Dが南小谷発にならないのでしょうか、夏の臨時夜行やルンルン舞浜号からの乗り継ぎ客で非電化区間も賑わったのですから。
 もし現状のダイヤのままでは、南小谷駅で1時間30分を過ごす術を考える必要があります。

乗り継ぎが良くない南小谷駅で時間をつぶす術として、駅構内または徒歩圏内に
温泉があればいいのではないか、とふと思いました。(上諏訪駅のように)
小谷村は名湯小谷温泉をはじめ、多く温泉が湧いていますが、いずれも列車だけで
移動している人達には交通の便に多少問題があります。
そこで、温泉地から施設までお湯をタンクローリーで運搬し、旅人に温泉気分を
楽しんで待ち時間のあいだに疲れを癒していただくのです。
(温泉地からの引湯はコストが掛かると思うので、運搬するのがベストでしょう)
ライバル(?)の国道148号沿い、北小谷地区の道の駅には「深山の湯」という
温泉があります。(ここはなかなか好評のようです)
これなら、大糸北区間活性化のひとつとして実現可能ではないでしょうか?
(乗り継ぎが良い、良くないに関わらず駅に活気が出ると思います。)

長野県知事は松糸道路の凍結を明言していますが、県議会では建設促進の請願が採択されたり、糸魚川側では促進とネジレ状態ですが、本当に広域交通体系の中で考えないと解決しない問題だと思います。
松糸道路は主に南安曇地域の住民の建設に対する疑問から凍結手前まで来ていますが、大糸線の利用促進は行政主導の形式的な掛け声ばかりに思えてきます。地域住民が本当の声をあげないと取り組みが難しそうに感じます。
大糸北線では開業時は蒸気の客貨混合列車でしたし、昭和45年頃まではC11の牽く貨物列車が信濃大町まで入線していたと思います。その後DD16が糸魚川区に配置になり、DE11も入りましたか?
青海産出の石灰石輸送は大糸線を通せるほど軽量・少量でもありませんでしたから、林業が盛んだった時分は中土(転車台があった)、北小谷、平岩、小滝には貨物用の側線と積み込みホームがあって木材輸送で賑わっていました。
しかし貨物輸送が盛んな当事とて、直流電化にはトンネルの限界よりも、交流電化済みの北陸本線糸魚川口の接続・交直切替のコストと技術的問題は解決できなかったと思います。
私は当時から良く言っていたのですが「南小谷〜糸魚川は長大なデッドセクション」だと。
北陸本線では数秒のデッドセクション通過に過ぎませんが、大糸線では1時間かけて通過するのです。交直切替は「車上式」「地上式」はあたりまえですが、大糸線は「車両交換式」なのです。
この歴史的経緯の歪が問題解決を複雑にしています。

JR西日本は今冬のシュプール号のダイヤを発表した。私は、学生時代によく信州方面に出かける際「ちくま」や「きたぐに」は利用したが、若者の域を超えてしまった時代に設けられたシュプール号の利用経験はない。この列車は、国鉄末期に夜行バスとの対抗商品として設けられたものであり、JR発足後はTVコマーシャルも頻繁に使いながら、多数運転された列車である。名古屋、松本経由が便利な場合でも、北陸線経由で信州へ入らなくてはならない(大糸線が一部不通となった一時期に名古屋経由のシュプール号が運転されたことはある。)と言うことを除けば、コストパーフォーマンスに優れた利便性の高い列車で、JR西日本のドル箱であったと記憶する。
 さて、今回、シュプールダイヤを見て心配していたことが現実のものとなったのである。毎年、夏休み期間中に運転されていた「リゾート白馬」号(シュプール号の夏バージョン)が大糸線乗り入れを止め、糸魚川からバス連絡となっていたが、まさか多客期のシュプール号はそのようなことにならないと信じていた。しかし、なんとJR西日本のホームページを見ると運行されるシュプール号はすべで信越線乗り入れであり大糸線に乗り入れる列車がないのである。スキーヤー達は大糸線を横目に連絡バスに押し込められるのであろうか。
 私は、今回のダイヤにJRのねらいが見え隠れすると考える。輸送実績を落とし鉄路を廃止した「横川、軽井沢間」と同様の運命にあるのではないかと。「横軽」は廃止直前は特急銀座ではあったが、普通列車はわずか1日数本と言った状態で、JRは「短距離の生活需要はない」と鉄路を文字通り碓氷峠で切断した。しかし実際は設定ダイヤの不便さから多くの乗客は特急利用を強いられていたのである。JR西日本は北陸新幹線が営業開始した段階で、大糸線(糸魚川、平岩間)の廃止の意向と聞く。強いて季節需要を創るよりも低い輸送実績造りを優先していると考えるの私だけであろうか。JR発足当時は、北陸線経由の長野行き特急「スーパー雷鳥信越」号が運転され、ついこの間まで新潟行きの「雷鳥」や女王「白鳥」も運転されたが、頼みのこれらの列車も廃止されてしまった。
 大糸線は北アルプス山麓を走り信州の四季を楽しめる列車である。特に、山深い平岩以北は、沿線の紅葉がすばらしい。廃止とならないことを願う。


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