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鉄道記念碑


大糸線の鉄道記念碑
Last Update 2017-03-25
大糸線沿線の開駅・災害復旧工事・頌徳などの鉄道に関する記念碑


鉄 道 給 水 源 の 碑

松本市 埋橋
 碑の立つ場所には、1965年(昭和40年)の新宿〜松本間電化完成まで、松本機関区の
蒸気機関車用の水源であった湧水がありました。
 駅までの1.5kmをパイプでひいて機関車の給水や飲料水として使用されました。
水が湧き出す場所はレンガでカマボコ型に覆われ「レンガ山」と呼ばれていました。
使命を終えた後も、そのまま残されていましたが道路拡幅工事により撤去されることになり
国鉄OB会松本支部により、その跡地に記念の碑が1984年(昭和59年)に建てられました。
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島 内 開 場 記 念 碑

松本市 島内駅
 大糸線の前身である私鉄の信濃鉄道開業時 1915年(大正4年)4月1日 には、島内駅は
開設されていませんでした。
 地元の島内村による熱心な誘致・請願運動によって、その年の11月1日に開駅し営業が
開始されました。碑は村と地元住民の寄付により建てられました。開駅を待ちきれなかった
のでしょうか日付は9月30日になっています。開場となっているのは当時駅は停車場と呼ば
れていたからのようです。
島 高 松 開 場 記 念 碑

松本市 島高松駅
 島高松駅は、島内駅と同じく地元の請願によって 1923年(大正12年) に開駅しています。
駅名は設置場所である当時の島内村高松地籍から村名の一字と地籍名の高松をあわせ
て島高松としたものです。
 碑は1926年(大正15年)4月1日 業務委託駅になった時に建てられました。となりの島内駅
の碑に負けまいとするかのような、りっぱな碑です。
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信 濃 鉄 道 碑

大町市 信濃大町駅
 大糸線の前身である私鉄の信濃鉄道は1937年(昭和12年)6月1日
国鉄に買収されました。
 それとともに信濃鉄道の名称が消え去ることを惜しみその業績を後世
に伝えようと同社社員により建立されました。
 碑の大きさと文面に社員の誇りを感じます。
南 神 城 駅 設 置 記 念 碑

白馬村 南神城駅
 大糸線開通当初、この場所に駅は設置されませんでした。
南神城駅が開駅したのは、1942年(昭和17年)12月5日のことでした。
 碑には上部に記念碑とあり、駅設置経歴がきざまれています。駅設置
にあたって自費を投じて献身的に努力した元神城村長 長沢紀代司 翁
の頌徳碑を兼ねています。
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風 張 山 大 崩 落 事 故 記 念 碑

小谷村千国親沢 白馬大池駅〜千国駅
 1939年(昭和14年)4月21日午前9時半に発生した姫川右岸風張山の山腹
大地すべりは、雪融けによってゆるんだ地盤が大崩落したものでした。
大糸線の線路は、西側に押し出され高さ50mの土砂に埋没してしまいました。
崩落した土砂によって姫川はせき止められて一時的に湖となりました。
この事故によって大糸線は193日間にわたり不通になりました。
本格的な復旧工事は、その年10月25日に始まり約1年後の1940年10月28日
に完成しています。碑は、現在も崩落の跡を残す風張山を眼前にのぞむ
事故現場の線路脇にひっそりと建っています。

(写真は公道から見下ろす碑の背面)
戸 沢 三 千 太 郎 翁 頌 徳 碑

糸魚川市 平岩駅
 大糸線速成同盟会会長として、大糸線の全通に献身的な努力をかた
むけた元北小谷村長 戸沢三千太郎翁の頌徳碑で1963年(昭和38年)
11月に建立され碑面には翁のレリーフがはめこまれています。
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汽 笛 一 声 百 年 の 碑

糸魚川市 糸魚川駅
 日本の鉄道の始まりである新橋〜横浜開通から100年を記念して
国鉄OB会糸魚川支部によって昭和47年に建立されました。
駅舎改築に伴い1番線ホーム東端付近に移築され碑の正面が線路側
になっています。

糸 魚 川 機 関 区 創 立 60 周 年 記 念 碑

糸魚川市 糸魚川運転センター
 糸魚川機関区の創立60周年と鉄道100年を記念して
1972年(昭和47年)12月16日に建立されました。
 D51 617のナンバープレートと動輪がモニュメントとして
利用されています。
北陸新幹線延伸工事に伴う糸魚川駅高架化工事により
2009年に撤去されました。




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